人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

不思議なブログ

2019-02-25 11:24:21 | 雑感
最近はこうしてブログを書いてる最中にも、あのジンジンと意識の渦へと誘われてくる感じになり、筋道立てて書くことが難しくなることしばしばです。
始めた当初は、全くそんな感じではなかったのです。
実は8年ほど前、右足を複雑骨折するという、生涯最大の重傷を負ってしまい、その三ヶ月半ばかしの入院の間に、ここで書いているような"意識が向いたらパッと..."となる感じも大分鈍ってしまっていたのです。
体力が著しく減退してしまったのですが、あの感じというのは、意識の面ばかりでなく、体力面でもある種のエネルギー的なものの感受があり、例えば疲れた時とかすぐに体力、気力共に快復したりしたものです。
このことからあのハタラキ、エネルギー的なものは、生命エネルギー、東洋で"気"と呼ばれるものと通じているものと勝手に思っていたのでした。
思っていた、ということはどうも必ずしもそうではないらしいと今は思っているのです。
体力、気力もま、年も年だけに低下してるのですが、ここ最近の耳鳴り"キンキン"、心身が"ジンジン"はどうしたものか?といつも感じている次第なのです。
何でそうなるかは、こうして書いててハッキリ分かります。
ブログを始めた頃、中々あの自動スイッチが作動しない中、深く考えるでもなく、あの摩訶不思議な、"意識を向ける、向いちゃうだけで、思いを超えたものが立ち上がってくる"と書いてみよう、何てノリで書いたりしていました。
その後も何回となく書き続けているうち、いつのまにかこんな風になってしまったのです。何とも不思議なブログではあります。
一つの契機としては平成14年暮、思いがけなく現臨に捉えられた(ある種の法悦状態をこう呼んでいます)ことが大きかったと思います。
これらは、このブログを書いていなければ決して起こり得なかったでしょう。
この読み人知らずみたいなマニアックなブログにも拘らず、そこそこの反響も増加してきているのはどういう訳か分かりませんが、このように私自身のために書いている側面があるのです。
"あの現臨、見えざる導きを文章にして表してみよう..."これはどうしても意識があっちに向かわざるを得ないことです。
そして向かうことであの御方が召喚される...これは全く自明なことです。
さらに、私のこの思いの奥には、私であって私でないもの、より大いなるものの意志も"じわーっ"とこんな感じで伝わってきます。
"そうだ、私のことを表すんだi 私はだんだん顕わになる..."
この思いを超えた導きは、単なる生命エネルギーというもので言い尽くされてしまうものではありません。
生命には違いないですが、愛、平安、リアリティ...如何なる言葉でも到底言い表すことなど出来ません。(最近では、何か途方もないもののように感じています)
私はいつまでも自分の体力、気力を充実させるためにこのブログを書いている訳ではないのです。
すべては"あの御方の御顕れ"のためです。それが私の喜びであることに他なりません。
すると自分の奥から響いてきます。
"そうだ、それでいいi お前が嬉しければ私も嬉しいi"
読者にあっても、何か感ずるものがあれば私も...あなたも嬉しい?
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