人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

救いは一瞬のこと

2024-12-16 10:06:44 | 求道、探究
人間死んだらどうなるのか?
天国や地獄はあるのか?

そんなことは、勿論死んでみなきゃ分かりませんね。
分からないものを通説や誰かが言ったことを真に受けて、固く信じ込むことは、盲信、迷信であり、人生の大いなる無駄なことという他ありません。
私はただ、客観的に、固定的な有り様でそういう世界があろうとはどうしても思えないものを感じています。
何故ってそれは、全くもってこの物質的世界の感じ方(それが真実かどうかはさておき)なのであり、人の肉体も思考も無くなるであろう、あの世には適応されないと思われるからです。
もし、死んだ後もそんな世界があるとしたら、ましてそんな地獄などがあるとしたら、それ自体、神も仏も無い、地獄しか実在しないということになるでしょう?
又、神がそういう世界を造ったとしたら、やはりそういうことになるでしょう。
従って、天国もそういう天国しか実在しないということになるのです。考えてみて下さい、固定した有り様の天国など地獄と変わりが無いではありませんか?...いやもう、とにかく考えられない、感じられない!...神がそういう世界を造り、善悪の裁定をして、天国か地獄行きを定めていることなど!
というか、これほどの冒涜は無いではないか!...そういうことを本気で信じている人間は、生きながら地獄に堕ちているようなものではないか?!
そこで(真相は分かりませんが)想像するに、天国や地獄(取り分け後者)は、人間の観念が造り出した、あるいは映し出した(実体は無いということ)世界、仮想現実の世界ではないかということなのです。
そこには当然神は居ない!、光は差してこない!...
地獄の実在を信じている人間には、神は”実存”しないでしょう!
神の実存を感じている人間には、地獄の実在は信じられない、感じられる訳が無い!
死んだ後のことは分かりませんが、この世に地獄のような心理状態(先に従えばこれがその実体の無い本質的有り様なのではないか?)があるとしたら、私自身経験したことがあります。
そうです、あの思いのがんじがらめ状態のことです。
その状態は、突然現れるものでは無く、悩ましき、負の思いがどんどん重なってゆき、それがますます強固になってゆくのです。
つまり、時間に応じた思いの集積によるものと言っていいのです。
そして、その思いから離れられなくなる、それを超えた方に開かれなくなる...
あのね、そういうことを思い浮かべるだけで、そういう状態に陥りそうになる訳なのですよ!
といって、わお!...あっという間に、パッと開かれてしまったりするのですよ!
そうです。私はそういう地獄の状態が天国へと転じてしまうことも経験しているのです。
地獄的心理状態は時間の長い経過によって造り出されるものだけど、思いから離れる、それを超えたものに開かれるのは、一刹那のことなのです。
前世のカルマのこととか、今生の悪い思い、行いのこととかは、思考の世界でそう思い巡らしているだけなのです。
そこには自分の思いだけしか無いのか?...自分の思いに閉じ込められた世界、それが地獄で無くて何であろう!
しかし、その救われは一瞬で起こるのです。思いを超えたものを受け入れることで!...
それは、ありのままの自分を受け入れることと同じことです。
それは、全くもって思いに囚われて、苦しんでいる自分のことですよ!
苦しみを受け入れる...受け入れることで思いを超えたものに与ることが出来るのです。
戦いは終わった!...私は敗れ去った!...思い、為そうとする自分は超えられてしまった!
何も実在するかどうか分からない神を信じなさい、とは言いません。
だけど、人間は思い為すだけで生きてはいない、ということはこういうことで分かる、分からされることなのです。
人間存在は、一コの自分を超えたものと元々一つのもの...
だから、救いは一瞬で起こるのでしょう!...
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