人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

恩寵の道

2023-12-21 09:23:38 | 求道、探究
瞑想というと、どうしても修行と結び付けられてしまいます。
だから、私は祈りというものに触れようとすることが多いのですが...この祈りさえも修行として捉える向きもあるとキテいるのです。
修行を為そうとするのですか?...修行にはやり方、テクニックというものが付きものですが、”このやり方であなたも悟れる、幸福になれる!”、なんてーのは、すべてウソですよ!
ウソだと思うんなら、やってる人皆に訊いてみりゃいいんです。
その何かに達するとか得られる保証などどこにも無いのです。まあ、そうならない保証も無い訳で、可能性があるからやり続けているのでしょうね?
いんやあ、しかし...こうして書いているだけで、どっかから幸福が降りてくるというのは、どう説明したらいいんでしょう?...そうか、書くことが方法なのか?って、あーた、それは私の場合のことなのっ!
それに書けばいいってもんじゃなく、もう、これは歩いていても、寝てても、何してても何してなくてもいいんです!
これは、私がやる何かでそうなるんじゃない!...恩寵としか言いようのないものです。
この典型的な例は、寝て起きたら至福に包まれているようなことです。
これを巷では何と言うのですか?...え、無いの?...人間、一日の三分の一くらいは寝ているのでょ?...その間、何もしてないのに、そうなるなんて驚くべき、重要なことなのに!...
私も瞑想っぽいこともやることありますが、いままで一度もそんなことになったことはありません!
いつも言っている、今もなっている現臨感覚というものにはなったことは何度もありますが、ああいう、すっかり思いから自由になり、自分の本来性に帰ったようなことは!...
どうしたら、そうなるのかって?...だからそれは、”僕の愛のモノポリー”なんだから教えられる訳無いでしょ!
いや、理由は先に述べたとおりなのです!...ただ、この”二度夢見状態”については、よく言われていることですが、保証は無いけど、祈り心地でいるとか、寝る前の意識の在り方がかなり重要であるのは確かなことです。
というか、この意識の在り方こそが、そうした”恩寵の道”すべてに言えることなのです。
これは又、何回も言っていることなんですが、やり方の代わりに私の”独占的”秘儀を公開しているのですよ!、年末だし。...やろうとする人は居ないだろうけど...
”意識的になる、意識を向けるという、向ける何かがあるから向けられる”...意識的になることは、私が思い、為すという、テクニックに拠ろうとするなどの意志思念の世界を超えている、自己を超えたものを頂くということに他なりません。
だから恩寵という他無いのです。
テクニックに拠ろうとしても、愛、平安、幸福に与る保証などありません。しかし、恩寵の道を歩むことには、少なくともそれは付いて回るものと言えるでしょう。
それは、自分を超えたものに意識が向けられるということなのだから!...

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