人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

ブログ開設から一年

2015-09-13 14:50:37 | 雑感
”自分を取り巻く全てのもの、宇宙、世界、歴史…そして自分自身についても…見えるままが、思われていたままがそうなっているんじゃない…その裏には知られざるものが隠れており、それが顕わになると…わおっ!…そしてその秘密のベールが解かれ始める…”
ブログを開設して早くも一年になりますが、こういったものがこのブログに見え隠れしている基調です。
思えば、二年前に初めてパソコンを手にしたという、超アナログ人間(今でもアナログレコード聴いてますよ!ただし集めるのはもう無理。家が狭くて。)が何と無謀な事を…でも後の祭りです。ケモノ?は放たれた…
書きたいことは沢山あるんだけど、何をどう書いていいのかサッパリ分からず、ひたすら恥をかきまくってるみたいで、とにかく試行錯誤のままスタートしたのでした。
ネット上のスピ界の現状というのもどうなっているのか分からず、もう同じスピのカテの中でありとあらゆる情報が錯そうして、それを巡っての無責任な、投げっぱなしのコメントの数々を目にして思わず、”ヤバイところに踏み入れてしまったものだなあ”と感じたものでした。(私がこうした現状的なものに関心を持っているのは、現在進行形の生きたあるものを視野に入れているからです。この辺りがレトロ原理主義者の友人”すぎた”と異なる点です。)
こんな時参考にしていたのが、この道の偉大なる先駆者、ご存じ大御所さんのブログでした。
この時はそのコメ欄からしてが、とても啓発に富んだものが多いように感じられたものです。
まだ自由に各人が意見を発信できるスペースという、オープンな性格は有ったように思います。
昨年の暮、そこであるトラブルが起きました。”せーの”で例のアカデミーが発足というその時です。
詳しいことはよく分からなかったですが、50万円!なんじゃらほい!…とかでした…
ここが何かの結節点であるらしいですね?…それからはもう、日に日に怪しくなる…どんどん加速して行く…
脱スピの皆さんが何を言っても止められないです!…だって懲りん星人ですもん…
ちょうどその時、私はイタ飯屋系ファミレスでパスタを食べていたら、(何でそうなったのか…確かブログのネタを考えていたのでした…)突然涙が込み上げてくるのでした。
凡そ、5年ぶりに自分を超えたあるものに捉えられてしまったのです。パスタの味がやけに塩辛かった…
この時、私はブログを立ち上げる前からもたげていた、ある後押ししてくるものの意志を感じました。
”これはお前のためなんだ!”
私は他ならぬこのブログを書くことで、気づきを与えられました。
例えば、本当には自分が理解してない事でもとりあえず書いてみる…ところがその過程で電撃のように閃いた事が幾度かありました。
それから忘れてはならないのは、例の大御所さんです。アンチだろうと何だろうと、自分だけでは気づけなかったことをいかに学ばされていることか! タダでです! こう思うのは私だけでは無いでしょう…。
もっとも当人は皮肉に感じているでしょうけど…何も考えてないか…
かくしてブログの基調もそれらしくなってきました。
書く方針も”人受けしやすく”とか”もっと分かり易く”(これはどう捉えられているかは別としてなるべく読みやすく…というのは心がけていることです。ただ理解してもらえるかどうかは知りません)とかで無しに、ただ自分が感じたこと、好きなこと、生きてきたことなどをありのままに書く…
そして人気ブロガーNさんじゃないけど、”好きな事言います!”自己満満載のカラーを強めて行きました。
当初はほんの余興のつもりでしたが、こんなことになるとは…十分に思ってましたとも! もういったん火が付くと止められなくなります。だって懲りん星人ですもん…
今後ともよろしくお願いします。
















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絶対なるものの影

2015-09-09 17:01:43 | 宗教
私は度々触れているように、いくつかの宗教的、精神的グループと関わってきました。
その中には皆さんもよく知ってる有名な新宗教の団体もあります。
その教祖さんは何でもイエスや釈尊や老子やら、五大聖者が霊的に合体しているとか…
そこで提唱している祈りをしていれば救われることに決まっているとか…
そういう事を信じ込むことと、自分自身の魂の在り方、生き方とは何の関係も無い…ということは少し学のある方ならお分かりのことと思います。
大きな宗教にはこういったミソもクソもという話は付き物ですね。
ただ私はその教祖さんが常々言っていた「常に神への感謝、祈りで想いを満たしておくことが大事です…宗教の本道は本心を開くことです…」といった言葉には共感するというより、ある種感応するようなところが今もあります。
物を食べたら勝手に消化され、血肉となるように、何かが細胞に浸み込めばいいので、どうでいいことはどうでもいいのです。
教祖さんが言葉の端で言ったような、例えば「コレコレやった人は地獄へ行きます!」というような言葉でも、何でもかんでも教祖様は正しいと信じ込んでいる信者には無上の真理に映るらしいです。
教祖さん自身は「私はクサイ信者はイヤだね!」と言ってましたが…
このようなそのグループ特有の色、そこにしか通用しそうにない言葉、そして何より教祖、先生、教えを取り巻く権威主義…
私は最初に関係していた教団以外、そういうものに感染したことは一度もありません。私の中に芽生えていた免疫がそうした誘惑から防いでいたのかもわかりません。
ある一時期など、見えない導きに後押しされるように関わりを持ちましたが、決してそこに位置づくことはありませんでした。
多くの場合、私は様々なグループを取り巻くこの通気性の稀薄な空間に嫌悪感を抱きました。
ある霊的修練を伝えている団体で、大御所さんのように目されていた人が、周りの人間を煙に巻くような言葉でコントロールしている様を見て、その団体への信頼はいっぺんに飛びました。”魔術なんかに関わってられるか!”と…
こうした息苦しく、魔術的空気は、あるその創始者なり教師なりに共感して集まるどんな団体でも、程度の差はあれ避けられないものです。
とにかくこうしたグループへの関与の変遷は、私にとり幻滅と裏切りの繰り返しだったと言っても過言ではありません。
(ただその事とは別に度々触れている、いくつかの言葉を超えた感応もありましたが…)
そこでは中心に権威があり、それを信奉する者たちはその従属物と言う印象を持ちました。
権威に違うようなことを言おうものなら、時にそれは周囲から自我からの言葉とみなされます。
しかし自分が自分でいられないなら、世界一のエゴイストになっても可なり…です!
大我とか小我といった言葉に従えば、各々の自我は小自我なら、信者をコントロールし、管理しようとしている動きが有るとすれば、それは大自我とでも言うべきでしょうか。
この大自我というものの実体は、おそらくは集まる者たちの意識にあるアートマン的なもの、人それぞれの内なる絶対的なもの、大我の投影でしょう。そしてその団体も有る見えないものの影でしょう。
そしてその眼に見える教会なり、団体は仮現的なもの、中途的なものに過ぎず、分離した形態とならざるを得ません。
それはこの相対的二元的世界の雛形と言ってもいいかと思います。
あらゆる狂信者、宗教的相克が生まれるのもこの屈折した絶対主義からでしょう。
現在ではオウムの事件以来かなりウミが出されたのか、宗教にまつわる歪んだ形はあまり見られなくなったものの、相も変わらずすり替えビジネスも盛んなようです。
教える人と、教わる人、従う人との関係が無くならない限り神の国は開かれないのでしょう…。



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学問のススメ

2015-09-08 20:04:07 | 哲学・思想
つ、ついにあの何でもありの科学者Y氏がスピ・ビジネスに参戦! 一体どうなっていくのか全く予測不能です。
ナイナイづくしと何でもありのコラボってとこですか…
何年か前、伯家神道(これはさんとも関わりが深いとも言われる、由緒のある筋です…でもその継承についてはかなり疑わしい流派もいくつかあるとか…)の秘儀について本を出していましたが、アセンションとか異星人とか言ってる人とと同じ人物だという事に気づいたのはつい最近のことです。
学者と所謂ムー的な人との関係というのは時に棲み分けがハッキリしていて水と油のよう、時にミックスされると…これがもう、オカルト・ファンタジーもまことしやかな学説が加味されて、より奇天烈さが余計強まって…いや微妙なものがありますね…
ホントは私など、トンデモ云々と揶揄するのは大キライです。
オカルチックな話も悉く否定しません。
ただめったに飛んで行くことも無いですけど…
私にとっても、この学的なものとムー的なものの関係には微妙なものが有ります。
何人かの人には後者のように観られましたが…
確かに宗教的、精神的な探究が始まった大学3、4年くらいの時は何だかいつも現実感が希薄でエーテル界に居たような気分でした。
それが大学年の時小池辰雄先生との出会いから、徐々に学的なものに目覚め始めました。(大学卒業目前!)
何せ先生は表の顔はずっと高名なドイツ文学者、大学教授です。ドイツ語も堪能です。学問の世界で飯を食ってきたのです。ところが裏では”私しゃもう、異言が出てきて困る…ペラペラペラ…”と、何語だか分かりません!
そもそも私がその無教会的(無教会の先生方はほとんどが何らかの学者です)キリスト教に近づいた動機は、それまで関わっていた前世とか霊界とかいったオカルチックな雰囲気に嫌気が差したからです。
想像を逞しくしているだけでは生きていけないと悟ったのです!
この小池先生とのつながりで、ロシアの哲学者ベルジャーエフと出会い、より一層学的なものに親しむようになったのです。
(ただこの二人について言えば、オカルチックな言説以上にリアルにスピリチュアルなものを感じたものですが…)
以来、この学問的世界は私にとりある意味での”安住の地”です。そこでは有るのか無いのか、真偽のほどが分からない現実遊離の話からも自由だし、教祖様、先生絶対主義からも自由で居られます。
何も小難しい理屈など覚える必要も、私のように何の役にも立たない知識など覚える必要もありません、
楽しいことにハマるのはいいけど、しばし距離を置いてみるのはどうでしょうか?
これでいいのだろうか?本当に自分が求めているものなのだろうか、マッチしているのだろうか?…学ぼうという精神を養うのです。学的精神とは、物事を客観的に観る、諸々の先入観、思い込みから離れる、何より自分で考える、判断する精神です。
”ふわふわと何となく心地よいけど、何となく自分の意志と関係の無いところで、ことが起きたように何かが進行しているみたい…気が付けば財布も頭もカラッポになってた!”実に危うい! 歴史の局面もこんな風に展開されていくのではありませんか?
何となく世の中軍国主義…いつの間にか周り中マルキスト…気が付けば”ハイル・ヒットラー!”

しかし、世の中頭だけでことが済むはずが無く、論理や法則で神なんかわかるはずもないのも確かですね…。
第一肩が凝ってしょうがないです。こういう時はまたエーテル的なものなり、日本のピラミッドなり、トカゲ型異星人陰謀論なりで楽しめばいいのです。
戻って来れればの話ですが…
そう言えばベルジャーエフも言ってました。「ダーウインの進化論より、シュタイナーのアーカーシャ年代記のほうがずっと真実を伝えている…」

コメント (2)
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逆説的非二元論

2015-09-06 19:14:11 | スピリチュアル?
私は、欧米そして日本でも流行の兆しのある非二元論は自殺の増加と関係があるのではないか、と以前から感じています。
今わの際の、のっぴきならない苦難を背負いこんでしまった人たちにとり、私はいない…起こることが起きているだけ…といったメッセージはあるいはこれ以上ない福音となるかも知れません。
私はそのことに対して、そのような導かれ方に対して、如何なる意見もつぶやきも引っ込めざるを得ません。
その方がそれにより、救いを、幸福を見出したのなら、それでいいに決まってます。
しかし、この状況は破滅と隣り合わせですね。
私は昔から時折苦難を背負いこんでしまった際、それは本当の一大事に比べたら坊ちゃんじみたものかもしれませんが、誰に教わった訳でも無く問題はただ起きているだけ、私がその問題を抱えている訳では無い、という感覚に導かれたことが有ります。
これは多分、隠れた魔術師が人生の裏側のある側面を覗かしているのでしょう。
そこでは本当にこの現実世界で生きているものの個人という実体は無くなります。
でも何も無いのではありません。実体無きリアリティというものが有ります。
そうでなければ気絶するか死んでしまうだけでしょう。
非二元論において個人というものが、何か忌まわしき存在、消滅すべき存在として語られる理由も頷けます。
それに引き付けられる人の多くは、自分自身、人生にずっと問題を抱えている人たちなのでしょう。
これはしかし死と隣り合わせではないかと思います。
個人は無いとは、すなわち死ということでしょう…
けれども、そこには現実に生きてる人間に隠れた、真の主体への気づきにも導かれるものです。
この主体の意志をどう受けとめるかで運命は決まる…
私は新非二元論だろうと、非二元原理主義だろうと、それを排除する権利は勿論、その気もありません。
ただ、そのいかにもな、”ここにしか行き着くところが無いんだ…唯一の真理だ…”というその看板倒れの思いきり二元的物言いに思わず、”ちょっと待った!”というものが出るだけです。
その言説で、この忌まわしき自我の始末に明け暮れている傾向、”ええい自我など元々無かったことにしちゃえ…”とばかりに自我、マインドと相対してこれまたシッカリ二元性を浮き彫りにしているのを見るにつけ、”無理してんだなあ”と思わずにいられません。
誰かの教説に一生懸命腑に落ちようと、従おうとするのは宗教信者と同じです。
悟ったフリ、分かっちゃったフリは出来ても、それをアレコレ考えている自分がいる以上私は無くならないのです!
ただ、のっぴきならない事態が起きたら何かが起こるかもわかりません。
逆説的ですが、そこでは極めて二元的なもの、どうにもならずに我々に立ちふさがる現実というものに直面させられるのです。
それは暇人たちの憩いのサロン?ゆるふわお花畑なんかじゃありません!
そこでギブアップして、その現実の開かずの扉が開いて表と裏の劇的対面という、これまた二元的なエポックが起きるのです。
そこで理解しようとかする二元的な無駄な努力なしに、一なるものの理解が生まれるのです。
これは全て隠れた魔術師、見えざるマスターの陰謀です。
彼は非二元だろうと、狂信的原理主義だろうと、あらゆる宗教的、精神的道にも、ありきたりな日常の道にも潜んでいます。
そして裏が表に顕れた時、何時も示されるのはこのパラドックスです。
一元でも二元でも無い…これは多分(二)ンゲンは、ヒト(一)という暗喩なのでしょうか?…







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ゆるい非二元論

2015-09-05 19:50:51 | スピリチュアル?
”私はいない””起こることが起きてるだけ”と紋切り型の偏った言説を繰り返す、最近流行りの精神的思潮を一部では非二元原理主義者と揶揄して表現されていて、私もしばしば言っております。
これはしかし言語矛盾した表現だと思われる人も多いのではないでしょうか?
キリスト教やイスラムなどに原理主義と呼ばれているものがありますが、ある教えを信じ込む宗教にはこうした傾向は付きものでしょう。
この下では、自派の正統性が強調され、排他的となり、相克を生み出すことになります。
そこでは神は実体有るものとして語られるが、その実体、いや正確には実体が有るかのごとく信者の精神世界に君臨しているものは、どこまでも自分以外の誰かがこさえた、偏狭な固定観念でしかありません。
原理主義を支配しているものは、強力なバーチャル・リアリティだという事が出来ます。
そして、非二元論…ホントはOO論という語句さえも、言語矛盾に思えます。
そこから醸し出されてくるものは、人づてに伝わる教説、時に修行のプロセスさえも介在させない、それへの直接的アプローチ…いやそれも超えちゃうような、その…所謂道です。
これはしかし、その発祥元とされるヒンズー的伝統に限らず、あらゆる宗教的、精神的伝統に通底しているものと言えます。
直接経験というものは、そのいずれにも見出されるからです。
そこで直接経験されるものは、言葉で言い表し得ないものです。
強いて言えば、全てであり、一なるものといったものでしょうか…
そこでは言葉の障壁は超えられているので、原理主義などが造り出す排他、相克的観方からも自由です。
つまりは非二元的観方というのは、如何なる異なった道をも抱擁させる…というより元々一なる根源に連なっている…すなわち分離など無い、という気付きに導かれるものでしょう。
こういうものに原理主義などといったものが、はびこる余地などあるでしょうか?
それがこの数多の相対的観方が林立している二元的現実の中で、それ自体アクの強い偏った非二元的言説を展開しだすや、そこにあらたな相克の火種が立ち上ってくるのは火を見るより明らかな事です。
そのことはここ最近のネット上の動きが証明しています。
非二元原理主義如きが出現し出したということは、実は本来の非二元の道にとって最大の裏切りと言えるでしょう。
(弟子丸泰仙師もさぞかしあの世で嘆いておられることでしょう。某フレンチテイストのブログで久しぶりにその名を拝しました。本を一冊持っていたのですが行方不明です)
思うにこの人たちは非二元には似つかわしくなく、自分が表に出過ぎているという気がして仕方ありません。
全てで一なるものはこの二元世界ではいつも隠れていて、ジンワリとゆるーく形あるもの(人や言葉)を通して醸し出されてこそ、我々に相対を超えた、普遍的な何ものかを感知させるものだと思います。
つまり、普遍調和をもたらすものはこの隠れたあるものなのであり、その媒体がそれにとって代わって出しゃばるものじゃない、という事です。
直接性と言う…しかし二元で生きている人間に直接”私はいない”などと断じることは出来ないでしょう。
そこにはその当の生身の人間に”私はいない”と感じさせている重大な何ものかが欠落しているように思えるのです。
この何ものか、バーチャルでない何ものかが抜け落ちると、厚かましい原理主義的言説がはびこるのです。
これが又ビジネスにすり替わるのですか!
この世に二つとないヒマラヤの空気でも売るんですかね…
私には自分の魂を悪魔に売っているようにしか見えません…アーメン…




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