ブログ部長がいう変わっている有田といえば焼き物の町ですが、私にとっては祖母や母の育った町で色々思い出深いところです。一番の印象は5月連休の陶器市です。もっとも明治25年生まれの祖母はそんな呼び方はしません。「品評会」というのです。その頃伯父が香蘭社に勤めていて祖母が行くと手元に隠し持っていた掘り出し物を渡してくれていました。その日の収穫物を座敷に広げほくそ笑んでいたばあちゃんの姿を思い出します。もっともその収穫物はたいてい友達に配ってしまい、殆ど我が家に残ることはありませんでした。
我が家で特別な窯は、辻精磁という皇室向けの磁器を焼いているところです。有田のトンバイ塀通りとして紹介されているお宅です。曾祖父が当時の窯元と友人でその時代のものが幾つか手元にあります。
実はその窯の伜が東京での呑み仲間というのは奇遇です。今でも皇室の慶事に地元に知られることなく出荷しているようで、ちょっと宣伝が下手くそと思います。県も辻精磁が東京で展示会をやっているとは知らないのが佐賀らしいですね。手元の珠玉を知らずに他所に憧れているのでしょうか。92歳になる現代の当主、14代辻常陸さんもまだお元気で東京までいらっしゃってます。展示会の雰囲気はこの通りです。
この窯は佐賀藩の管理外であり、直接京都の禁裏へ納めていたので製品が世の中に流れておらず一般には注目されないのですが恐ろしいほど引き込まれてしまう窯です。でも高い。(笑)
京都の禁裏辺りから掘り起こされる磁器は辻家の献上品が多いと聞いています。
これらは祖母からもらった我が家に伝わる辻君のところの明治初期製品です。皇室向けに焼いた御用品のようです。
有田のことで書きたいことは山ほどありますが、今日はこのくらいかな。
そうそう、有田の窯元さんは鯨肉が大好きです。白長須鯨の小腸を洗ってボイルした百尋が魚屋さんにゴロゴロと売っていました。これはうまかった。焼き物だけでなく食文化を見直して売り出せばいいと思います。が・・・・・・
それはともかく、辻君、浅草へ鯨食べに行こう。パソコンやってね。(笑)
我が家で特別な窯は、辻精磁という皇室向けの磁器を焼いているところです。有田のトンバイ塀通りとして紹介されているお宅です。曾祖父が当時の窯元と友人でその時代のものが幾つか手元にあります。
実はその窯の伜が東京での呑み仲間というのは奇遇です。今でも皇室の慶事に地元に知られることなく出荷しているようで、ちょっと宣伝が下手くそと思います。県も辻精磁が東京で展示会をやっているとは知らないのが佐賀らしいですね。手元の珠玉を知らずに他所に憧れているのでしょうか。92歳になる現代の当主、14代辻常陸さんもまだお元気で東京までいらっしゃってます。展示会の雰囲気はこの通りです。
この窯は佐賀藩の管理外であり、直接京都の禁裏へ納めていたので製品が世の中に流れておらず一般には注目されないのですが恐ろしいほど引き込まれてしまう窯です。でも高い。(笑)
京都の禁裏辺りから掘り起こされる磁器は辻家の献上品が多いと聞いています。
これらは祖母からもらった我が家に伝わる辻君のところの明治初期製品です。皇室向けに焼いた御用品のようです。
有田のことで書きたいことは山ほどありますが、今日はこのくらいかな。
そうそう、有田の窯元さんは鯨肉が大好きです。白長須鯨の小腸を洗ってボイルした百尋が魚屋さんにゴロゴロと売っていました。これはうまかった。焼き物だけでなく食文化を見直して売り出せばいいと思います。が・・・・・・
それはともかく、辻君、浅草へ鯨食べに行こう。パソコンやってね。(笑)