遠くにありて思うもの、という詩がありましたけど思っているだけでは何も無かろうと思いたち、久しぶりに墓参を兼ね故郷に遊びました。幸か不幸か(笑)故郷の武雄市では市町村合併と市長選挙が間近に控えていました。
仕事で色々お世話になった小中高の後輩、樋渡啓祐さんが市長選挙に立候補予定と聞いていたので事務所を訪れたところ、そのまま数日お手伝いということになりました。 武雄市は昔から仲間内での政争が激しいところと聞いていたので心配だったのですが、この時代になっても相変わらずの雰囲気が残っています。他市、他県が羨ましがる樋渡さんが出るというのに当の武雄では裏でごそごそと蠢く足の引っ張り合い。 中央からの交付金を待つ時代から自前で政策をして生き抜く時代にこの状況ではちと困ります。ましてや従来の武雄市を越えた新武雄市の誕生なので観光一本槍では生き延びることが辛いのではないかと感じました。 視点を拡げ次世代のための論争をやってほしいと望む次第です。たらいの中で波を立て騒ぐのもいい加減にしてほしいと思いました。
これまでふるさとを顧みることは少なかったのですけどこの機会にちょっと長めにあちこちを歩き回りました。 意外な発見が続き故郷を見直す大変いい機会でした。
温泉にゆっくり入り回るのは久しぶりでしたが、泉質の素晴らしさは東洋館の掛け流し湯で堪能しました。というか久しぶりの武雄温泉の泉質の良さに驚いた次第です。 定宿ペンションピクニックが満室だったので土曜日のみ移動したのですが、経験して良かったと思います。
ピクニックは市街から離れたところにありますが、露天風呂を手軽に貸し切ることができると云うこともあって家族連れが夜遅くまで訪れていました。なるほど浴槽に置いてあった子供向け洗面具の意味が分かりました。献立も地元で自慢できる素材を使ったものがほとんどです。こんな美味しいものが武雄にあったとは不勉強を恥じております。ちなみに若木のハーブ豚肉・美味しい! しかもここのオーナー夫妻は大阪出身で武雄が気に入って定住したと云うから驚きです。
武雄市文化会館では武雄に汽車が走った頃という展示をやっていました。これだけでなく幕末から明治の武雄藩科学技術の素晴らしさは、化学実験器具、種痘、武器にもおよんでいます。旧藩主邸跡に埋められていた武器を再発掘して同館に展示してあるものを見る限り当時最強の軍隊を持っていたことが分かります。庄内の方には申し訳ありませんが、戊辰戦争において当時最強だった庄内藩との戦争、羽州戦争で主力をなしたのは鍋島本藩というよりも武雄藩でした。薩摩藩と比べ極端に少ない死傷率で戦いを一気に決着し会津の悲劇を起こさなかったということを最近知った次第です。庄内藩はその強さと政治力で戊申戦争後もその地にあって多士済々を輩出し現代に至っているのだと思います。私は鶴岡市のファンでもあります。
展示物に書かれた「14名も死傷して帰郷しなかった。」というセンチメンタルな文言からは上のような歴史が見えずいささか不満でした。(笑) 実は高校卒業式で当時の本山市長から武雄藩の出兵のことを贈る言葉としてもらっていたのをなぜか覚えておりました。 数年前まで何のことか分からずにいたのです。
それにもまして今回嬉しかったのは恩師の方々にお会いできたことです。小学校の担任の先生はかくしゃくとされており、杯を交わすことができました。 高校の担任の先生はお体を悪くされたと聞いていましたが、だいぶ回復された由。我が実家近くご出身の奥様にもお目にかかり自分の母の近況を報告して喜び合いました。汽車に乗る前のちょっとした時間でしたが、涙が出そうになった時間でした。いつまでもお元気でいてほしいと思う方々ばかりでした。これも樋渡さんの事務所に立ち寄ったおかげです。
偶然会った高校の同期生が地元よりも市外で著名な絣のコレクターでした。一年前の2月16日に日本繊維新聞で取り上げられたそうです。 工房わらべを経営されており、倉の床には古い土の人形がずらり、武雄市に貸し出すとか。 これは又別の機会に紹介します。
色々故郷を見直すいい機会でした。良いこと悪いことも見聞きしましたが、感じたことどもはHomepageにいずれまとめて整理するつもりです。
が、今回の旅で更新休止中なのでしばらくお待ち下さい。
モバイル散歩に気が向いたときに写した写真を送り込んでいますが、パケット料金もあってまだ見直していません。東京に戻ったらゆっくり解説記事を入れるつもりです。まだ熊本のかみさんの実家在でパケット料を気にしながらアクセスしています。もうやけくそ気味かも(汗)