文藝春秋の巻頭言は、各著者の蘊蓄ある文章が楽しみで毎号待ち遠しい箇所なのですが、今月号に地元では忘れられようとしている古賀提督のことを阿川弘之氏が「葭の髄から」に取り上げておられました。 佐賀出身とは書かれていないのですが、今年の2月に帰郷し有田の陶山神社に参拝した際に古賀峯一元帥の記念碑が建てられていたことを思い出した次第です。 古賀提督の立場は条約派と云えばご存じだと思うのですが、三国同盟に反対し続けた人の一人として知られています。しかしながら、古賀長官は先見の明があっても結局第一線の総指揮官として殉職し、国を滅ぼす条約であった三国同盟を歓迎した提督連中は命を永らえ恥もさらさなかったという運命の皮肉を感じます。 今となっては長いレンジで世の行く末を予見していた古賀元帥始め条約派が存在していたことを良しとするしかなさそうです。(汗) 未公開ですが、GF長官になった後に有田の後輩の士官に宛てた「重巡洋艦の6m測距儀(レンジファインダー)の精度向上を至急研究願いたい。」という私信を法事の際に娘さんから見せてもらいました。 戦いを始めたからには彼我の技術差を如何に縮めていくかの苦悩を感じる内容でした。
文藝春秋7月号の阿川弘之さんの随筆には、海軍の歴史と条約派等々のことが実に明快に書かれていますので興味のある方は一読されたらいかがでしょうか。 時代におもねることなく走り去った地元の人がいたことを有田の方はご存じでしょうね。 せっかく建立したにもかかわらず陶山神社の碑文では残念ながら古賀長官の価値は全く分かりませんでした。(汗)