またちょっと間延びをしてしまいましたが、9-10日と春の青春18切符の仕上げをしてきました。 遊びすぎるとその反動でここもサボってしまいます。
ふと思いついていった先は近い東北周回でした。実は今改造中のレイアウトシーナリィのアイデア探りでもあります。かって新幹線で通過しもっとも興味を覚えた奥羽本線・福島-米沢間にある板谷峠を通ることを一番の目的にしました。 その結果は予想以上、興味深い光景を色々目にしました。といってもこれらをレイアウトに再現するのは不可能ですけどね。(苦笑) この峠は山形新幹線開通までは三駅の間スイッチバックの連続の難所だったようで鐵ちゃんではない私は知りませんでした。今でも急峻な路線なので新幹線もノロノロ運転です。更にノロノロの各駅停車で行けば余裕を持って風景が眺められ、なおさら情緒のある旅となりました。 この季節でも残雪が随所にあり、厳寒の季節は雪深いところのようでした。その証拠にはプラットフォームを含む駅全体が雪用シェルターに掩われていました。
その峠の中心は文字通りの「峠」駅、ここには「峠の力餅」という餅を駅弁売りのスタイルで小母さんが販売し、乗客が買い終えるまで列車を停めるという粋な計らいには感心しました。この風景を見ただけでも行った甲斐がありました。
シェルターに掩われた「峠」駅と峠の力餅売りの小母さん。走り回っていました。 このような不思議な駅が三駅ほど続いていました。
峠駅が分水嶺でここを過ぎると下り勾配が米沢まで続きます。今来た線路を眺めると板谷峠のある山塊(名称不詳)が聳えています。米沢が四方山に囲まれ厳しい土地であったことが分かります。海の越後から移封させられた上杉氏は大変だったろうと思いました。
この先米沢で列車を乗り継ぎ、山形へ、更に仙山線に乗り換えて仙台へ向かいましたが、途中駅のあの有名な「山寺」駅では立石寺を遠望し、芭蕉を偲びました。降りる時間がなかったので勘弁して下さい。(汗) 意外にも欧米人と思われる人の乗降を目にしました。
この後仙台へ、着いて宿を予約し、勤めていた会社の友人や偉くなった昔の部下に飛びこみ面会し、もっと早く連絡することと叱られておりました。
暇な私は、一人で嗅覚を働かせて一番町にある文化横丁で「柳ばし」というすてきなお店を探し当てて仙台の味を楽しんでいました。もちろん牛タンではありません。海の幸に舌鼓。水槽から取り出して捌いてもらったホヤの美味しいこと。また行きたい店になりました。
翌日は雨の仙台。常磐線で素直に帰京しました。でも色々あったのですが割愛。(ペコリ)
「今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと 思う間もなくトンネルの 闇を通って広野原」 という有名な文部省唱歌・汽車の地が常磐線の久之浜-広野間だったことが判明、太平洋の荒波を垣間見ることが出来て収穫でした。
以上自分のメモ代わりの走り書きです。殆ど窓越し写真になってしまいました。