色々あったけどまずは大過無しの一日でした。お昼過ぎ、駅近くまで出かけて用を終え、雨の前に農園へ。 胡瓜を10本ほど収穫し帰宅、ついでに電池切れ時計の電池交換をすませましたが、何と、8年前に買ったまま死蔵していたものです。
上等であっても(汗)電池式はいつの間にか止まってしまうので困ります。 極論ですが機械式は触れた瞬間に元の機能を取り戻すという大きな違いがあります。 ということで電子時計を復活させてみました。シチズンのミニッツリピータ付きの腕時計でありますが、この形式は機械式となると壱千万をくだらないものばかり、ボタンを押すと秋の虫のような鐘の音で時刻を伝えます。 素晴らしい機械芸術作品です。 ところが、幾らからくり好きであってもこれを手に付けるのは不可能です。 「時計を付けて寿命が延びるならば買いますよ」などと負け惜しみを言っております。 その一方で電子式であれば年々価値の下がる消耗品、とはいえ 見かけは1000万もどきのダミー時計を手にして微笑む夕方のひとときでした。(笑)
が、時刻の設定が物凄く面倒です。 何度も間違って再セットして、この時計は売れなかっただろうなと複雑な思いに囚われました。 これもあって放置していたのかも知れません。 確か、長く勤めた会社の退職記念にと入手したものでしたが、やっぱり電子式は記念品としては不適です。何だか愛着が湧きません。 会社を辞めた人には難しすぎる??? 待てよ、機械式の本物の時刻調整はどうなんだろうか、電子式の比ではないだろうなとまだ見ぬ本物へ思いを馳せました。(笑)
その一方で同じ時期に浅草で手に入れた昭和40年代初めのアナログカメラは何時でも稼働OKです。 これを見るとデジタル技術の進化は儚い幻のような気がしてなりません。 蒸気機関車も機械式カメラと同じ領域にあるようです。 ということで自分の好きなものを正当化してみました。
腕時計一個からアナログとデジタルの狭間に落ちて考え込む老年であります。
あ、そうそう、帰宅直後蜻蛉池で二年ぶりに糸蜻蛉を発見しました。黄色っぽいものでしたが、やっぱり嬉しいですね。