からくり出張所

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人吉の印象

2009年11月05日 17時01分45秒 | ぶらり旅

 熊本からの帰路の徒然(つれづれ)に初めて降り立った人吉のことを思い出している。 古ぼけた町ながらなかなか味のあるところであった。まず第一に城下町であることに要因がありそうである。 それにしてもJR九州が蒸気機関車8620人吉号を走らせなかったならば青春18切符の単なる通過駅にしてしまったかも知れない。 これは何よりも取りにくい切符を家人がJR九州のツワー切符として確保してくれたおかげである。思わぬ世界に足を踏み込むことができて大感謝である。

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 SL人吉号の11月中の空き席は僅か10席というのが一昨日の熊本駅頭での掲示である。乗るには早め早めの予約でないと無理なようである。

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人吉で思い浮かぶのは、球磨焼酎、球磨川下り、朝霧、それに平家の落人伝説であろうか。 俗に 落ち行く先は九州相良 と云われていた地域である。 人吉を紹介したものが何か無いかなと思ってみたら、あったあった。熊本では大変メジャーな地元の歌「火の国旅情」である。この何番かにあったはず。 とこの場で検索して引用するとこんな具合である。

(人吉)
球磨のしぶきに泣きながら
古城に独り君憶う
落ち行く先は 九州の
相良さびしや霧が湧く
霧が湧くふるさとよ

この歌は亡くなった義父が酔っぱらうとよく歌っていた歌であり、私も好きな歌である。(汗) 熊本の名所旧跡を阿蘇に始まり、天草、田原坂、熊本城等を実に巧みに歌詞に織り込んだご当地歌謡である。

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 それはともかく人吉の町はSLの石炭のせいなのか?少々煤けた印象であった。ところが、昼ご飯に「上村」という鰻屋に入りその旨さに驚いた。東京では味わえぬ蒸していない歯ごたえある肉厚の鰻である。食べ物には一言を持つ家人も絶句する味。義母も完食である。後で宿で聞いたら当たりの店だったらしい。

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宿は5年前改築したという「あゆの里」、さてどんなものかと思ったら、此処の夕食もまたけちを付けられない内容。でもちょっと多かったのはいつものことである。(苦笑) 温泉も軽めのアルカリ泉で大浴場の雰囲気も含め同行者の評価も良く、また行ってもいいところに思った。部屋の細かな設備等々には不満があるものの食べ物と酒が美味しければOKである。甘い点数だったようであるがこれもSLのおかげかもしれない。(笑)

翌朝は町の見物、それにしても感心するのは前日からすれ違う小中学生や町の人が挨拶してくれるのである。歩き回っている人は少ないものの多くの人が必ず挨拶してくれるというのは一朝一夕では出来ないものである。感心してしまった。これと同じ経験は、かの黒川温泉である。SL人吉号で意外に観光客が集まり始めた人吉であるが、これなら次第に頭角を現すのではなかろうかと勝手に思った次第である。そういえばSL人吉号の走る肥薩線沿線では乗客と互いに手を振ろう運動を進めているとのことで気分よく手を振っての乗車となった。

鍛冶屋町と云うところで鍛冶屋が残っていたのでそこで打ったという切れ味の素晴らしい包丁を買った。包丁の並んだその奥には鍛冶屋の機械が並んでいる。熊本の川尻も包丁で有名であるが、こちらは使っている鉄の成分が違うので錆びにくいようである。

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その近くで「さがら味噌」を買い、最後の球磨焼酎工場では飲み放題とも思える試飲を重ね此処にしかない「無言」という特上品を手に入れてしまった。峰の露酒造が織月酒造に名前を変えていたことをこの時に初めて知った。 八百屋に10円バックのカボスがあったので買った。八個入り自家製であろう。

両手に土産をたっぷりぶら下げて帰路も蒸気機関車という贅沢な旅となった。ただし快速扱い500数十円の指定料金である。熊本まで二時間半、それでもあっという間の旅であった。

新幹線の速さに煽られて書き殴ってみたが、気がつけばである調になっていた。ご容赦いただきたい。(汗)

(追記 11月5日)

名古屋近辺で書いてアップしましたが、翌日文章を少々見直したうえで写真を加えました。今回の旅行はあらためてからくり旅行でまとめようと思っています。 しかしながら、遊びすぎたせいか武雄市でもらった?風邪で声が出ません。もっと早く来れば鼻風邪ですんだものをとお医者さんに云われた今朝でした。熱もなく元気なんですけど・・・・