11月に入るといい季節が続く九州ではあちこちで大きなお祭りが始まるようです。まずはまだ行ったことありませんが、唐津くんちです。新しい祭りも加わって有田や大川内では焼き物祭り、更には認知度一番の国際バルーン大会です。数年前にもこの地を通過したのですがお天気のせいでパス。家人などはわざわざ下車したものの強風に阻まれてアウトというトラウマがあります。 今回はお陰様で特急の窓越しにご覧の光景が見えました。朝の競技が終わり展示が始まった直後のようでした。これを見ただけでも急遽武雄に向かった甲斐がありました。今回は、友人一人に行くよと云ってあるだけです。
そうそう、此の記事は懐かしくてついローカルな話ばかりになっていますので御容赦下さい。
さて、武雄温泉駅を降りて驚いたのは見知らぬ人が小旗を渡しながら「応援に来てもらってありがとう、しっかり旗ば振ってね。」と意味不明なお迎えです。 何だろうと聞けば九州一周駅伝が間もなく到着、武雄駅前が中継点とのことでした。
予定も忘れ中継点で待っているとこんな具合に続々と襷が引き継がれます。 ところがこの日の佐賀県は最後尾でありました。(汗)
佐賀県選手を見送って予定の墓参りで朝日町までタクシーです。この時の運転手氏に三度乗り合わせるということがあってびっくりしました。
久しぶりに本家のお墓、祖父母にお参りし、高橋の街をのんびり周回、ここが「市は高橋」とは誰も思わない静かな街になってしまっています。
天下の長崎街道でありますが、見事に人っ子一人いません。自分だけ取り残された錯覚に陥ります。この地域は子供時代に遊び回った場所なので誰か出てきたら声をかけようとと思いつつ歩いたのですが、お昼前だったせいか車以外殆ど会いませんでした。子供時代の遠いと思った距離感が恐ろしく短くなっており、あっという間に街を通り抜けたような気がします。櫛の歯が抜けるように消え去った旧家の数々を寂しく眺めました。もちろん私の居たところは空き地のままでした。明治からこれまで、何故こうなってしまったのか、此の原因を探ると街作りへの一大研究テーマになるかも知れません。(苦笑)
物心ついたときには大正橋の側に祭ってあった火除け地蔵尊、明治3年の大火の後、防火を願って明治5年に祭られたようです。お茶豆灯籠銭という祭りがあったことを覚えています。 川幅も見る影もなく狭くなってしまいました。あの水の豊かな高橋は高橋ではなくなったような気がしました。
ちょっとガックリきたので元気をつけるために北方の井手チャンポンへ。鳴瀬分道でタクシーを発見し乗ったところが先の運転手氏、おやおやとお互いに顔を見合わせました。
ハイ、これが井手チャンポン。食べている途中に思い出して写真を撮りました。みっともないのですが、これも旅の記録です。これだけの量でしたが、食べてしまいました。久々の忘れていた九州の味です。 東京のチャンポンの味はシンプルすぎるようです。
北方から 武雄温泉駅に戻り、温泉通りまでぶらり、以前よりも通りが少し元気が出てきたようです。日曜日でなかったので楼門朝市には未練が残ります。 温泉通りで偶然小学校時代の級友と遭遇しお互いに驚きました。と云うようなことも起きるのが生まれ故郷ですね。
武雄温泉駅は南口が表の顔になって来たようです。いままでの玄関口であった北口はどのようになるのでしょうか?現在大工事中でした。一年前には二階にあった改札口が一階に下りていました。次第に新駅の姿が見えてきており楽しみです。
武雄の町は佐世保線の高架化にともなって変わり始めています。こんな時には昔のものにノスタルジックを感じてしまいます。昔くぐったことがあったかも知れない低いガードも明るくなっていました。煉瓦は渋くていいですね。「坂の上の雲」に描かれた明治海軍の面々も此のガードの上を通ったことでしょう。
くたびれてしまったのが楼門の前、今宵の宿は永島のツツミの前、歩くにはちと辛い距離なのでタクシーとしましたが、これまた同じ人、こんなこと初めてとか何とかで盛り上がりました。なかなか感じのいい運転手氏でありました。時々コメントいただくタケタクさんのところです。
さて、夕食を一緒にしようと約束した友人に急用が出来て「えーっ、一人で晩飯だ!」と云うことになりました。生まれ故郷と云え、武雄の飲み屋には無知であります。何とかなるだろうと街に舞い戻り、4年前に連れて行かれた小学校の友人の店を探して川端通りをウロウロ、確かこの辺だとキョロキョロしていると見覚えのある御仁が荷物を運んでいます。 「おーい」と声をかけるとやっぱりそうでした。 多分武雄では有名店です。(笑)
と云うことで店主直々のもてなしで楽しい夕食いや一人宴会となりました。お嬢さんも一緒に働いているそうで和気藹々の雰囲気です。 小中高の同級生で甲子園に行った野球部OBであります。私が臨時教員をやっている大学で昨年急逝された高校の先輩先生と親しかったと聞いてまたびっくり、これも何かの縁と語り合ってきました。また行くよ。(笑)
宿に帰ったのはいいのですが、うたた寝してしまい翌日は鼻喉が痛い。アレルギー鼻炎的な症状だったので大したことはないと思ったのですが、これが始まりで声が出なくなり、やっと元に戻ってきているという現在に至っています。故郷で引いた風邪は名残惜しい?いや、早く治して一杯呑みたいものです。
今回は友人と会食できなかったのであちこち回ることが出来ませんでした。お土産下げてきたけどさてどうしようかと悩みます。それでも急に思い立ち旅程を一日早めて武雄のあちこちを気ままに回ることが出来たのは収穫でした。もっとゆっくりしたいものです。急に思い立つと宿がないのは此の季節であることを忘れていました。
さて、明日は甥の結婚式に向けて佐賀市に移動です。