からくり出張所

様々なからくりを徒然なるままに書くつもりです。
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茶色の実から

2010年10月24日 09時16分23秒 | 偶成

 昨日の天気と一転して曇り空、農園?の準備を整えましたが、今朝の番組では一週間程度寝かせて置いた方がいいというので一雨当てることにします。 ついでに見回った庭の隅にこんな実が出来ています。

Dscn9021 母が買ってきた植木鉢を置いたままにしていたらそのまま根付いてしまったものです。毎年実を付けるのですが、その後どうしたらいいのか鳥の餌になってしまいますけど今年は何とかしたいと思います。

何という実かご存じでしょうか?

戦前の有名な小学唱歌「水師営の会見」の二番に出てきます。

庭に一本棗(ひともとなつめ)の木
弾丸あとも著(いちじる)く
崩れ残れる民屋(みんおく)に
今ぞ相見る二将軍

ここで登場する棗の実です。旅順の棗が果たしてこれと同種だったのか分かりませんが、この実を見て色々なことを連想します。子供の頃、近所の友人宅に棗の大木があり学校帰りに青いうちから食べていました。味は林檎です。超小型の林檎でポケットを膨らませて走り回りましたけど、小さい林檎ではもの足りなかった記憶があります。 近所の駄菓子屋には乾燥棗という甘い実を売っていましたが、いま思うとどうやらナツメヤシの実だったと思います。

この「水師営の会見」という唱歌にはよく引用される歌詞が含まれていて一世代前の常識を知ることが出来ます。 有名なものには 「昨日の敵は今日の友」 がありますが、現代でも何気なく使っている言葉にはこの時代の唱歌から来ているものが沢山あるようです。どなたかの随筆に引用されていた  「厚意謝するに余りあり」とはいえお前のことでなし だったか? これもこの唱歌から来ているようですね。 井上ひさしの著作「青葉繁れる」は、「櫻井の別れ」という唱歌の  青葉茂れる がオリジナル?でしょうか、どこかで聞いたことのあるなぁと馴染みました。 こんな眼で言葉の原点を探ると明治以来の底流が滅びかけながら微かに続いているのを感じます。 死語、いや隠居語録版権酔考氏)というものを探るのも面白いなと棗の実から連想しました。この唱歌、何故知っているかというと小学校の学芸会で最上級生六年生が歌に合わせて芝居をしたからです。往時の我が故郷はまだ戦前の香りが充ち満ちていました。歴史を勝手に封印しているいまの教育よりよかったと今更ながら感じています。 別の場面では、舞台の上で輪になって鉄道唱歌を歌いながら走り回る上級生、しかも下駄履きだったので強烈な印象でした。(笑) 

私の時代はさすがに「ああ無情」に変わってしまいましたけど。そうそう、四年生のときは 安倍川の渡し と云うものでしたが、なぜか家老にさせられた私、裃(かみしも)を探し回り曾祖母が仕立てたという子供用のものを祖母が見つけてくれました。浄瑠璃用だと云っていましたが、あれはどうなったのでしょうか?

 このところ「絶滅寸前季語辞典」(夏井いつき著)なるものを拾い読みしていますが、なかなか興味深いですね。 気になるマナー、忘れてはいけないことどもが沢山あるのにいらだち、根底からおかしくなりつつあるのではと危惧するのですが、ノブレスの皆さんは責任回避で忙しそうです。やはり先輩を見習って三猿を決め込むかと棗の実からの連想ゲームとなりました。(苦笑)

Dscn9020 この棗の木、目立たないトゲがあって採りにくいのですが、剪定を兼ねて小さくします。ゴソゴソやっていたら取り残して大きくなったライムを発見。家人が喜んでいました。

さて日曜日なので世の中では行事が色々あるようなので家人は町田へ会合へ、私は既に出遅れて洗濯を終えて何をするか考えます。(汗)