気持ちのどこかに引っかかっている工場の復活。 本日はまだ完全に稼働していないミーリングマシンをまともにするべくこの機械をロシアカメラと物々交換してきた梅ヶ丘の骨董屋に出かけて残りの部品を掘り起こしてきました。しかしながら重たい電源等々はそのうち取りに来ると置いてきました。持ってきたのはミーリングカッターのエンドミル二本とバイスでしたけどそれでも重たい。でも帰宅してみるとこのバイスは既に通販で買っておりました。残念。
しかしながら工作機械本体には値段が付くのですが、部品はただ同然です。 売る立場になる場合はよくよく考えなければいけません。 ちなみにハンズで買ってくるとエンドミル一本三千円弱でしょうか? この店のご当主と還暦後の人生について深刻な話。(笑) いいものがゴロゴロある店ですが、何とかいたしましょうね。 本日足元にごろんとしていたのがエジソンの蓄音機、本物であります。安いのですが、買えません。(苦笑)
この機械に触り、ついでにその横にある旋盤にも久しぶりに真鍮棒をセットして回しましたが、腕が再び馬鹿になっています。いつも使っていないと手の方が駄目になりますね。まだ工作場と云うより物置状態なので修行など出来る状態でないのでまともにするのが当面の命題のようです。
普段使わないこの部屋のボンボン時計のゼンマイを巻き、本棚を見ると懐かしい本がずらり並んでいます。毎月楽しくて読んでいたラピタという小学館の雑誌です。季刊時代の創刊号から2000年頃まで残してあります。表紙は日暮さんというイラストレーターが描いた興味深いものです。この表紙が写真になったとたんカタログ誌に変貌し全くつまらなくなりました。編集長が替わったとたんに馬鹿な方向に走った見本です。なぜあのように面白かった本が駄目になるか、編集長というかリーダーが変わるとこれほどつまらなくなるのか・・・・いまの政権与党が本格的に走り出した途端に駄目になるのとそっくりだと思い起こしました。こんなブログを掘り起こしました。
当時のラピタは私ら世代が記憶の底流に持っているものを呼び覚ましてくれました。このときの編集長氏にはメールしたことがありますが、確か岡山県津山市出身の同世代の方。のど元まで名前が出かかっておりますが、残念ながら失念しております。 ラピタのコンセプト領域で記事ネタをまとめ読者を納得させてくれていたと思います。
が、若手は我慢できなかったのでしょうか、雑誌名が英文字になると欲張って近年の世界に突入し混沌とした現世を暴走したようです。ラピタのコンセプトの中で新しい世界を創ることが出来なかったのでしょう。 コンセプトの消滅、新しいネタを追い続けた結果が休刊です。我慢できない若者、このときの編集長をした人の人生は? 今でも放浪しているのでしょうか?
本棚に並ぶラピタをみると季刊の創刊は1995年春でした。別冊ビーパルとして出版されていたことを今日知りました。第二号にビオトープ池の作り方があったはずです。30歳以下は読者の対象でないと書かれていましたが、今時こんな雑誌の再刊があってもいいのではないかと読み直して感じました。15年経っている当時のラピタを読んでも面白い、今の時代を考慮して編集替えをしても充分に読み応えがあります。このような編集企画の出来る人間が小学館にはいなくなったのでしょうか? それともデジタル時代の採算性? 面白い本がなければブログやHomepageをラピタ代わりに仕立てるしかなさそうです。(笑)
ということで、古いラピタは、ネタとして使えるものが多いですね。 ネタ切れの当方としては色々使えそうであらためて読んでみるかと思っています。 そういえばサライもネタ切れのようで月刊誌へ、、かつつまらない本になっているのでそろそろかなと思ってしまいます。(汗)
その渦中にいると 見るものみへず、聞くものきこへず になるのでしょう。岡目八目とはよく云ったものです。