今朝の日経新聞に「アップル壮年期」という記事には多くの企業が辿ってきた道だろうと出ておりましたが、確かにあの急上昇が何処まで続くのかと云う気がしていましたのでまあ妥当なところで安定期?に入ったのでしょう。「高くても欲しくなる製品を出し続けていた」とマスコミは見ていたようですが、私はお世話にならなかった人種なので四の五の云う資格はなさそうです。(^0^;)
ただ、アップルが社会基盤を作り続けてきたかのような報道には些か疑問があり、、空気のような存在で社会を支え続けた電気、化学、機械などの存在があってこそ彼らの存在の場があったとアナログ工業派としては逆説を唱えたくなります。
というのもスマホに変更し一ヶ月半ですが、これが何で経済的インパクトをもたらしたか半信半疑です。世の中に出回っていた民草の些少なフロートマネーを掻き集める効果だったのかなぁーと思った次第。 これなら今まで使っていたキーボード付きガラケーがよっぽど親しみやすいツールです。(^0^)
昔からパソコンやネットに親しんできた人種にとってはそんな感想でしょう。ドコモのガラケーを駆逐してしまいましたが、果たしてこれは正解だったのか?ドコモの大きな戦略ミスではなかったろうかと戦略という言葉の好きな方々へ疑問を投げかけたいと思います。
ただ、タブレット系は確かにインパクトはありました。大きい画面は便利です。タブレットも使い始めての感想です。 が、これとてノートパソコン等の類似の商品はあったはず、むしろ何かを発信するスタンスであればタブレットは選ばないなぁー。両者併用だとその効果は倍増するでしょう。
また、iphonと云われるものはかってのPDAに通話機能が付いたものですからこれらを使っていた身としては何ら新鮮さはありません。電池が超高性能化し、処理能力が上がりゲームが出来るようになったから持て囃されたのか?タッチパネル? あれなどはドコモシグマリオン3ではタッチでの拡大縮小で実現済みでしたけど。 新たに出てくる製品機能を繰り返ししつこくチェックしていたならば道は見えたのではと煩悩を捨てきれません。頭のいい開発者がワンショットの反応で諦めていたのではなかったのかなぁー。
などなど云いたいことが浮かんできます。自らのアンテナを上げずに走っていた付けがここに来て我が身を攻めているのでは? 創設期の幹部が消えて臨機応変と云う言葉を忘れた経営層の責任は大きいと思います。経営者と云うより管理者に変貌したからさもありなんことです。
オーナー経営者であればiphonもワンオブゼムとして投入し、様子を見るという態度が出来たかも知れませんが、善良なる管理者の発想では無理だったのかも知れません。
この先、まさか落ち目?のアップル製品を今から投入と云うことはないのでしょうけど。(^0^) それに、かっての企業理念である国内通信企業の育成と云うことが忘れ去られてはいませんよね。
と何となくモヤモヤしたことを吐き出して今日はお終いです。
しかし何でこんなことを書きたくなったのだろう。(^0^;)