『なぜ漱石は終わらないのか』の第十三章は『道草』がテーマに設定されています。この『道草』は自伝的小説のような内容なのですが,その中から,作家が小説を書く目的が読解されています。
『道草』の主人公は健三といい,この健三のモチーフは漱石自身です。健三は留学からの帰国後に大学で教員をしています。家で試験の採点をするために赤ペンを使っているのですが,この赤ペンを普通のペンに持ち替えて,かつて養子に出ていた家の島田から半ば脅迫のように支払いを迫られた100円を稼ぎ出すというシーンがあります。小森はこの部分は,職業作家としての夏目漱石が誕生する物語であると指摘しています。
これでみれば分かるように,『道草』で語られているのは,健三すなわち漱石が職業作家になっていくのは金のためであるということが語られている小説なのだと石原もいっています。芸術のためなのではなくて金のためなのであって,それが現実であるということなのです。
その部分で石原も指摘していますが,ドストエフスキーもルーレットで負けた借金の返済のために小説を書くということがあったのであって,それは芸術がどうこういうよりも,身の切迫に迫られて,書かざるを得なかったから書いたわけです。漱石は賭博で借金をするというようなことはありませんでしたが,状況としてはそれと同じようなことがあったのであって,とにかく金を稼ぐ必要があったから小説を書いたのだといわれています。
金のために書くというのは芸術のために書くということと比較するといかにも不純な動機であるようにみえるかもしれません。しかし芸術のために書いたから優れた作品が産出され,金のために書いたのでは作品の質が落ちてしまうのかといえば,必ずしもそうであるわけではありません。そのことはドストエフスキーや漱石が身をもって証明しているといえるのではないでしょうか。金のために必死に書いた作品から,きわめて優れた芸術作品が生まれるということもあるのです。
この二者択一を迫られたなら,ステノNicola Stenoは喜んで自然科学の研究を断念し,カトリックの普及に努めることになったと推測されます。なのでステノが地層学の研究から離れたのは必然であったと吉田はいっているのですし,もしかしたらステノはそうした予兆を感じていたから,地層学の研究を続けることを断念したのかもしれないと僕は思います。これは確かに,聖書の記述と自然科学の研究を両立させようとすることに伴う困難なのであって,そうした限界がステノにあったということについては,僕は吉田の見解opinioに同意します。しかし吉田のこの部分の講義内容は,ステノの研究成果については全面的に否定しているようにみえますし,聖書の記述と自然科学の研究を両立させようとすれば限界を迎えるということについても,ステノの個別の事例としてではなく,一般的な事例として説明されているようにみえます。このふたつの点については,吉田は意図しているというわけではないかもしれませんが,補充の説明が必要だと僕は思います。
すでにブルーノGiordano BrunoおよびガリレイGalileo Galileiの例でいっておいたように,この時代のカトリックの権威は絶大でしたから,自然科学の研究成果が宗教裁判にかけられるという事例はいくつもありました。しかし自然科学を研究しようと志す研究者が,聖書の誤りerrorを正そうとして研究に没頭し,その結果effectusとして宗教裁判の被告になったというように考えなければいけないわけではありません。むしろ科学者は科学者個人の探究心によって自然研究に励んだのであり,その結果として聖書の記述に反するような研究結果が出ることになったというようにみるべきだと僕は思います。しかしステノの場合にはたぶんそうではなかったのであって,むしろ地層学を研究することによって,聖書の記述の正しさを証明しようという意図を最初からもっていたのではないかと僕は推測します。
こうした研究態度がステノに独自のものであったなら,吉田のステノに対する批判はそのまま妥当するといわなければなりません。しかし僕の見解ではそういうわけではなくて,まず聖書の記述の正しさを証明するということを目的finisとした研究者はほかにもいたと思うのです。
『道草』の主人公は健三といい,この健三のモチーフは漱石自身です。健三は留学からの帰国後に大学で教員をしています。家で試験の採点をするために赤ペンを使っているのですが,この赤ペンを普通のペンに持ち替えて,かつて養子に出ていた家の島田から半ば脅迫のように支払いを迫られた100円を稼ぎ出すというシーンがあります。小森はこの部分は,職業作家としての夏目漱石が誕生する物語であると指摘しています。
これでみれば分かるように,『道草』で語られているのは,健三すなわち漱石が職業作家になっていくのは金のためであるということが語られている小説なのだと石原もいっています。芸術のためなのではなくて金のためなのであって,それが現実であるということなのです。
その部分で石原も指摘していますが,ドストエフスキーもルーレットで負けた借金の返済のために小説を書くということがあったのであって,それは芸術がどうこういうよりも,身の切迫に迫られて,書かざるを得なかったから書いたわけです。漱石は賭博で借金をするというようなことはありませんでしたが,状況としてはそれと同じようなことがあったのであって,とにかく金を稼ぐ必要があったから小説を書いたのだといわれています。
金のために書くというのは芸術のために書くということと比較するといかにも不純な動機であるようにみえるかもしれません。しかし芸術のために書いたから優れた作品が産出され,金のために書いたのでは作品の質が落ちてしまうのかといえば,必ずしもそうであるわけではありません。そのことはドストエフスキーや漱石が身をもって証明しているといえるのではないでしょうか。金のために必死に書いた作品から,きわめて優れた芸術作品が生まれるということもあるのです。
この二者択一を迫られたなら,ステノNicola Stenoは喜んで自然科学の研究を断念し,カトリックの普及に努めることになったと推測されます。なのでステノが地層学の研究から離れたのは必然であったと吉田はいっているのですし,もしかしたらステノはそうした予兆を感じていたから,地層学の研究を続けることを断念したのかもしれないと僕は思います。これは確かに,聖書の記述と自然科学の研究を両立させようとすることに伴う困難なのであって,そうした限界がステノにあったということについては,僕は吉田の見解opinioに同意します。しかし吉田のこの部分の講義内容は,ステノの研究成果については全面的に否定しているようにみえますし,聖書の記述と自然科学の研究を両立させようとすれば限界を迎えるということについても,ステノの個別の事例としてではなく,一般的な事例として説明されているようにみえます。このふたつの点については,吉田は意図しているというわけではないかもしれませんが,補充の説明が必要だと僕は思います。
すでにブルーノGiordano BrunoおよびガリレイGalileo Galileiの例でいっておいたように,この時代のカトリックの権威は絶大でしたから,自然科学の研究成果が宗教裁判にかけられるという事例はいくつもありました。しかし自然科学を研究しようと志す研究者が,聖書の誤りerrorを正そうとして研究に没頭し,その結果effectusとして宗教裁判の被告になったというように考えなければいけないわけではありません。むしろ科学者は科学者個人の探究心によって自然研究に励んだのであり,その結果として聖書の記述に反するような研究結果が出ることになったというようにみるべきだと僕は思います。しかしステノの場合にはたぶんそうではなかったのであって,むしろ地層学を研究することによって,聖書の記述の正しさを証明しようという意図を最初からもっていたのではないかと僕は推測します。
こうした研究態度がステノに独自のものであったなら,吉田のステノに対する批判はそのまま妥当するといわなければなりません。しかし僕の見解ではそういうわけではなくて,まず聖書の記述の正しさを証明するということを目的finisとした研究者はほかにもいたと思うのです。
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