書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

ファラオの呪い

2020年11月01日 23時32分25秒 | 日記

「和光高校」って何かに似てるなと思ってたんだけど

「ここをこうこうこう」っていうイカ大王のギャグだった #くだらない #しょうもない

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ときた しんさん(北海道)の作品 -GANREF

このモデルさんの写真は他にもあるんだけど 真顔の写真の方が魅力的

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小金井市内にこんなトンネルあるそうな

 -キンシオon Twitter

西武多摩川線だった
東京都小金井市東町5丁目2 -GoogleMap

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ストレリチア 別名:極楽鳥花

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「怖い絵本」

その1:いるの いないの

その2:おろしてください

その3:かがみのなか

絵本だけど 子供に見せたら夜中に泣くと思う

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「ビクロイ」って何だと思ったら

「Victory Royal」の略だった

 

知らんけど

 

 

Ende;

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山茶花の実

2020年11月01日 17時28分06秒 | 写真

山茶花の実が爆(は)ぜた

触ったら中身がコロコロ逃げてしまった

 

アレチハナガサ

 

 

Ende;

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帝王

2020年11月01日 14時52分20秒 | 意識論関連

「読み書きそろばん」のような精神論的努力辛抱根性を主張しておけば 精神論に脳を冒されている衆愚の人気を得ることは簡単である

そういうの 養老孟司が散々やらかしましたから

強制的に「安心して同じを追求しておけば良い」みたいな話も養老はしてましたけど

その根拠が「だって皆さん同じを求めるでしょ」である

もはやホリエモンの「だって皆さんお金欲しいでしょ」と変わらん

「死ぬことは個人にとって一大事」だとか言っておいて 一方では「9.11同時多発テロは 歴史の中ではさざ波だ」とも言ってましたな 養老ってのは語っている話に都合の良いようにその場限りの解釈を与えることで 気分的な「納得感」を提供して大衆人気を得ているだけであって 論理客観的な根拠に基づいた普遍的理論があるわけではない

養老の著作が何かに応用できたことありましたかね?

 

精神論って 外見的に「かっこいい」んですよ だから鳥人間コンテストではやたらと興奮して怒鳴り散らすのが流行った

アニメとか漫画の多くで主人公が興奮して怒鳴り散らして謎の怪力みたいなのを出してますけど あれ いうまでもなくファンタジーっすからね

精神論的にガムシャラに何かやっときゃ何でも解決できるかのように錯覚してるんでしょうな 「そうだと良いな」って「思って」るだけなんすよ

でも実際にスポーツなどで興奮して怒鳴り散らしながら競技している奴なんかいませんよ

砲丸投げとかハンマー投げでも 投げた後に叫ぶこたあっても 投げる瞬間は黙ってるんですよ

テニスで叫ぶのは呼吸を利用しているのであって 興奮して絶叫しているわけではない

テニスってのは知的競技ですから 冷静さを失ったら必ず負けます 「必ず」です

マラソンでゴール直前に叫んでる奴いますか

100メートル走だっていませんよ

人気漫画みたいに「全集中!」だとか叫んでおけば集中できるわけではなくて 本当に集中するためには自分を客観的に見る冷静さが必要なんです

ヒトっていうのは感情的になって怒鳴り散らしておけば超人的能力が発揮されるんじゃないかという妄想観念がありますから それを精神論にすりかえて「暗記さえしときゃ頭が良くなる」みたいな根拠のないデマに誘導することは簡単なんすよ

「修行が必要」みたいな話も良く出てきますが

加藤英明の爬虫類の捜索なんかは 他人から見たら修行にしか見えないですけど あれって本人好きでやっているからトカゲに噛まれても「イテテテ」って喜んで「元気だな」って解釈をするんですけど あれを他人から強制されたら拷問にしかならない

外見上修行みたいな行動であっても 本人が自主的にやっているからこそ人並み外れた「努力」のように見えるのであって 実際刑務所で服役囚に懲役を強制しておいても再犯率は50%もあるのが現実です

大衆観念的には「我慢して辛い思いをしておけば 人間性が養われる」とでも思ってるんでしょうけど 実際には犯罪者の大半は虐待されて育ったんですよ

合理的な根拠もなければ 統計的現象の証拠もない話を鵜呑みにしたがるのは そう思っていた方が気分が良いからに過ぎず 個人的な主観によって論理客観的検証性が損なわれてしまう原因となる

 

注意しなければならないのは その場限りの雰囲気(空気)にのまれて「勝ち負け論」みたいな多数決的判定で「納得」してしまうことで

冷静になってじっくり検証すれば その場限りに偉そうな雰囲気を作り出して「勝った」かのように煙に巻いているに過ぎないことが結構あるということ

深い考えっていうのは 答えを導き出すのに時間がかかりますから その場限りの論戦で「勝てる」とは限らない

相手が何を言っているのか「わからない」ときには 一回「コイツ何言ってんだろう?」と保留しておいて あとでじっくり検証し直してみることも重要になる

その場限りの勝ち負け論争に「勝って」も 真実にたどり着けるわけではないからですよ

そりゃ 外見上相手を言いくるめてしまえば「勝った」ような錯覚に多数を陥れて優越感に溺れるこた簡単ですけど それこそが頭の悪いバカ同士の同調迎合を作り出すわけです

相手が用意した「土俵」の上で「負けた」としても そもそも相手の用意した「土俵」自体が論理的にグズグズな泥沼なら そこで「勝って」も何の意味もないんですよ

ヒトってどうしてもその場限りの感情が先行してしまう傾向があるため 不毛な殴り合いに陥って本末転倒な結果に陥ることがよくあるんですよ

そういうのはどうでもよろしい

「恥ずかしい」なんてのは 目先の多数派の観念に基づいた価値観による多数派同調バイアスが作り出す恐怖心(主観)であって バカしかいない集団の中で正しいことが通用しなくても それは集団の方の頭の悪さが原因であって 真理は多数決で決定するようなものじゃないんですよ

民主主義は多数決で決まりますけど それは民衆の半数以上がマトモな状態じゃないと機能しないのであって ナチズムというのは当時のドイツにおいて民主的に選ばれたものだったことからも 制度上民主主義を導入しておけば自動的に常に正しい結果が得られるような万能の制度ではないんですよ

私のことを変人扱いする奴は多いですけど そんなもん変人扱いしている奴の主観的感想しか出てきません

論理客観的な証拠や根拠に基づいた論証で 反証可能なのに誰も反証出来ないなら それは科学的には「より正しい」とみなして良い

科学は100%ではありません なぜならヒトの脳は有限で 忘れもすれば間違いもするし錯覚に騙されることもよくあるわけで その中から何が錯覚で何が真実に近いのかを探求し続けるのが科学なわけです

科学に人間性や倫理性を付与するのが哲学の存在意義です

だから「科学の帝王」と形容される

主観的に気分が良くなる話を鵜呑みにして満足するのが哲学ではないのです

ゆめゆめ間違えてはならない

 

 

Ende;

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認知的不協和

2020年11月01日 12時02分05秒 | 意識論関連

物理学とか天文学というのは 批判対象が理論とか数式であるため あまり個人の人間性とか倫理には言及することがないのだが

人文学部や哲学においては批判対象に「自己」が含まれてしまうため 本来個人的主観は徹底排除すべきなのだが むしろ文科系学部では主観しか取り扱わないため ヒトという種の生物の悪い面ばかりが出てきてしまい 組織腐敗や封建的独裁状態に陥ることがよくある

主観的に気分が悪くなることや 与えられた「仕事」にとって邪魔でめんどくさいことは「悪いこと」だとみなして問答無用で排除することによって 封建的独裁や組織腐敗に陥る原因となる

警察官が個人的「業績」のために 押収物の自転車を勝手に持ち出して その自転車を盗む奴を検挙しようとした事例があったが これは社会安全性よりも利己的利益だけしか見ていない身勝手な行動である

押収物に限らず 放置自転車はどんなに邪魔でも警察官は放置する

なぜなら放置自転車を盗む奴が現れて検挙できれば業績になるからである

盗まれた人の損害や利益については警察官は一切関知しない

にも関わらず 「警察の捜査にご協力ください」などと平気で言い出すのである

警察の本来の社会的「目的」とは 安全性を高めることであって 酔っぱらいが放置自転車を盗んだのを検挙する「数」を稼ぐことではない

 

本来の社会的な役割を忘れて 業績などの目先の利己的利益ばかりを追求してしまえば社会を破綻に導くのは必然である

福島第一原子力発電所における津波に対する脆弱性放置がその典型であろう

アダム:スミスの言った「見えざる神の手」などという根拠の乏しい神話の類いを盲目的に信奉したからこそ 利己的金儲けばかりが正当化され 貧富格差の拡大の大きな要因となっているのであり

経済の本来の目的である「世を経て民を救済する」ことを忘れて各々が利己的利益追求だけやっときゃ全てはうまくゆくとでも思っていれば安心なのであろう

安心とは 脳の報酬である サルがエサが得られる行動に執着するようになるのも 「パブロフの犬」と同様に機械手続き的条件反射に過ぎず これは「意識」ではなく無意識なのだが 主観的な安心などの脳への報酬さえ得られればヒトもサル同様に何も考えなくなるものなのである

ヒトという種の生物は 別に人間性を発揮するために進化したわけではなく あくまで脳が肥大した結果として客観的論理検証もできるようになったことによって人間性も発揮する可能性も持てるようになっただけであり

生育環境によっては簡単にバカになることも簡単なのである

シエラレオネのゲリラ社会で育てば 子供は全員もれなく残虐なゲリラに育つものであり

バカな大人しかいない環境で育てば日本であっても障害者虐殺をする甚大なバカも育つものなのである

「誰が一番バカなのか 決めれば良いんだ(勝俣州和)」というタイトルの書籍があったが 「決める」とは「レッテルを貼って安心したい」だけであって それが社会安全性や持続可能性にとって有益なわけではない

ヒトの多くは他人に対して論理的な根拠のないレッテルを貼ることによって 本当にバカなのが誰なのかについての自発的検証というものを一切しなくなる習性があり 集団組織的協調性を発揮して「アイツはバカだ」と多数で同調して決めつけることで 自己客観性を簡単に喪失するのである

自分の頭の悪さだけを例外扱いしてしまうのである

その原因は簡単である 主観的に「気分が悪くなる」からだ

人間としての意識の本質を語る上において 自己の主観的感覚も客観的に検証する必要性がある

自分も「ヒトという種の生物」の一個体に過ぎないという自己客観性が必要になる

だから本論は「人気」がない

簡単に気分が良くなるようには誘導しないからであり

むしろ 自らの頭の悪さを自覚しなければならず 嫌な気分にしかならない

自らの頭の悪さがどのようなものであるのかを客観的に理解しないことには 「頭が良くなる」わけがないのだが ヒトの多くは「気分が悪くなる話は洗脳だ」とでも決めつけレッテルを貼って満足する

本当の洗脳というものは むしろ気分が良くなるからこそ盲目的に信頼するようになるのが原因であって 洗脳されている者というのは洗脳状態に満足しているのである

洗脳の話でよく取り沙汰される「認知的不協和を解消する形」だが 要約すれば「気分が良くなる話しか信用したがらない」という意味に過ぎない

洗脳のメカニズム構造というのは 理論的には実はそんなに難しいものではなく 極めて単純な「ヒトの先天的習性」に起因する条件反射に過ぎない

 

 

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宮台真司

2020年11月01日 00時42分26秒 | 意識論関連

最近はマナーやルールというものが悪事に利用されるようになったため 形式的手続きを盲目的に信奉していると簡単に騙されてしまうことが増えた

「ご苦労さま」は上から目線だ などというマナー業界のデマを信じ込むことで近頃は全員「お疲れ様」以外他人を労う言葉を使わなくなった

私はこうしたデマに興味がないので うっかり「ご苦労さまです」なんて言おうものなら「アイツは偉そうな奴だ」というレッテルを貼られて排除の対象にされることもしばしばである

 

自分で自律的に物事を検証し 「考える」ことをしなくなったのは暗記学習をしなくなったこととの因果関係が論理的に説明されておらず 勝手な観念でこじつけているだけである

意識の本質とは 考えることであって 「暗記したら考えられるようになる」根拠の説明がない

宮台真司のように 「若者はダメ」という勝手な決めつけによる観念論の方が大衆からは人気が得られるが それこそが人気を支えている大衆の自発的論理検証性の欠如の証明でもある

いうなれば 宮台の言説は若者に対するヘイトスピーチのようなものに過ぎず 大衆を扇動して人気を得ているだけに過ぎない

近年の若者に限らず ヒト全般において最も問題なのは 「自分で物事を考え検証判断する能力の欠如(無意識性)」であって これは世代に関わらず 宮台の世代なら正しい判断が出来ている統計的証拠もない

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」には論理的根拠がなく 哲学でも何でもない単なる妄想ファンタジーに過ぎないことに誰も気づかなかったことにおいても世代間の違いはないのである

生物学における遺伝的進化には選択可能性が存在せず 目的や戦略といった概念は通用しないことに気づかなかったことも世代間の違いはない

科学において批判精神は必要なものであり 疑うことは考える上において重要である

東大学長が入学式の辞で「全てを疑え」と述べたこともある

何にも考えずに教師の言ったことを鵜呑みにしてくれる生徒の方が御しやすいのであろうが それは手抜きであり 殿様商売に過ぎない

 

宮台って昔はこんな雑なこと言わなかったような気がする

歳とるとみんなこうなっちゃうのかしら

 

授業が中止になったことを通りすがりの生徒に伝えたのに 他の生徒に伝えなかったことを「気が利かない」とばかりに糾弾しているが

公式な中止情報もなしに授業をすっぽかすわけにもいかない生徒の立場を考えず 自分の過失を生徒になすりつけるのはいかがなものか

今の若者は情報機器でのやりとりに慣れているため ジジイのように口伝てで周知することに慣れていないのかも知れない

それならLINEか何かで一斉通知でもすれば良いのであって そういった情報機器の扱いに慣れていないことを正当化するために特定の生徒を根拠にバカ扱いするのは自己の無能をはぐらかしているだけであって傲慢である

給料を支払って仕事を任せている立場でもなく むしろ生徒から授業料を徴収して教えている立場の教師が生徒を小間使いみたいに扱うべきでもない

宮台真司や私の世代では 生徒は教師よりも「下」みたいな理不尽なマウントをかけられてきたが そうした因習こそが生徒から自発的に物事を検証する意欲を奪ってきたのである

バカはむしろジジイの方が圧倒的に多く 実際に犯罪件数を見ても明らかである

最近の若者は実は犯罪件数が圧倒的に少ないのである

昔ほど暴走族はいないし たまに糞うるさいバイクがいても顔を覗き込むとジジイだったりする

確かにバカみたいな若者というのもいるのだが バカというのはどんな世代にもいるものであって 特定の事例だけ抽出してきて「若者はバカだ」と一括りに差別するのはただの大衆人気のためのヘイトスピーチにしかなっていない

 

世代に関わらずに「自分で物事を論理客観的に検証判断する能力」の欠如における共通した普遍性のある原因究明と対策が必要であって ヘイトスピーチで満足しても何の応用性もないのである

大量の知識をひけらかして「俺は頭がいいんじゃぁ!」とバカみたいなマウントをかけてくる偏差値だけが高いバカが多すぎるのは盲目的な暗記学習の弊害である

「それさえやっときゃ頭が良くなる」と信じて疑わなかった世代の多数決によって「学力=知能の本質」という根拠のない大衆観念的デマが蔓延したのが大きな要因であろう

物理学の世界では権威も業績も関係なく学生であっても在野のヲヤヂでも自由闊達に意見を述べる風潮がああり 風通しが良いのだが 生物学や哲学になると急に閉鎖的で封建的な体質になってしまう

「体質」というのは その組織を形成する個人によって形作られるものであって 結局は個人の「意識」の欠如によって不毛な因習が無意識に温存され続けることで発揮されるものである

体育会系組織に対して大衆が持っている安心感のようなものを利用すれば 盲目的に誰かに服従することこそが正しいことのように誘導することは簡単である

日大アメフト部のような不祥事も 要するに生徒から自発性を奪った結果として自律的な責任判断よりも指導者の命令に服従することを選んでしまうように陥れることで生じたものである

これは福島第一原発の津波に対する脆弱性放棄も同じ構造である

 

 

自己愛性パーソナリティ障害と診断され アチコチの高速道路でアオリ運転をやらかした会社役員 宮崎文夫と重なる

宮崎文夫も同調した同乗者の女性がいたが

宮台真司も同調してくるTweetがある

世代的にも近そうだ

他者の同調が伴うと益々調子に乗ってヘイトスピーチだのアオリ運転だのが加速するのがバカの典型である

自分で自分を止めることができない

独裁や洗脳による紛争への扇動といった 不毛な暴力差別にけしかけることにつながり 洗脳や扇動に簡単に同調してうかれているバカも後を絶たないため ヘイトスピーチのような暴言が人気を得てしまうのである

 

科学的真理というものは多数決で決定するものではなく あくまで論理客観的根拠に基づき反証主義によって磨かれるものである

何が本当の真実なのかを判別するのは多数決ではなく 個人の自律的な判断選択によらなくてはならない

「若者」とか「韓国人」といった「区別」によって ヘイトスピーチ的暴言でもひけらかしておけば大衆の多くから人気を得ることは むしろ簡単である

これこそがヒトという種の生物の先天的欠陥であり 生物学上の「社会性(統率的協調行動バイアス)」に起因する「人間性の欠陥」の最も大きな要因なのである

先天的本能習性に起因する欠陥は 気分的には間違った行動に暴走しておいた方が安心で満足感を得られる

それは脳の報酬系による「中毒」によるものであり 仏教では「執着」と言う

一度何かの観念に囚われてしまうと その観念に都合の良い「証拠」だけを抽出枚挙してきて論理客観的根拠であるかのように言い張ることで デマや流言であっても多くの衆愚は鵜呑みにしてしまう

自己の主観的気分が良くなる話を 短絡的に「正しい話」だとか「論理的根拠を伴う真理」か何かと錯覚し その錯覚を錯覚だと認識する論理検証性は働かない

 

学校がブラック企業みたいな授業をしていれば 企業がブラックになるのは必然であろう

誰も何も疑問を持たずに盲目的に組織に迎合するバカしか育たないからだ

学問に限らず組織の閉鎖性や腐敗が進行する原因とは 組織を構成する個人が自律的な判断選択をせずに 特定の「独裁者」の命令だけが正義になってしまうからである

人間としての「目的」とは 社会安全性や持続可能性を追求することであって そのための人材を育成するのが教育機関の真の社会的役割や責任である

社会の何が問題なのかも判断できないようなバカが「社会学者」扱いされているのでは 世の中の問題が悪化するこたあっても改善はしないだろう

 

疫病がなければテレワークが推進できなかったのも 本当は出来たのに 今までやらなかったからであり その原因は「それまで続けてきた因習」への執着(中毒)によるものである

社員を1か所に集めて 不毛な会議で社員をくさしてでもいれば気分的に安心できるのだろうが それは経営者としては無能という他ない

社会の資源の無駄遣いをして金儲けをしても 大局的にみれば迷惑行為にしかなっていないのである

 

Ende;

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