書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

差別対象

2020年11月02日 17時52分49秒 | 意識論関連

ジョージ:フロイドさんみたいに無抵抗なのに虐待されて殺害された事例と

ナイフ振り回して警官に向かってきて射殺された事例を同じに扱うべきではない

黒人でさえあれば警官を刺殺しても良いわけではない

 

「黒人か白人か」といった一面的基準に限らず 差別というものは民族や国籍や男女間や老若間においても生ずるものであり イジメ同様に実は「理屈は何でも良い」のであって ユダヤ人差別であろうと パレスチナ人差別であろうと 差別をすることで自分達の方が優位になったような感覚になれさえすれば 差別対象は何でも良いのである

様々な差別が起こるのは ヒトの先天的順位序列を決定したがる動物的な習性が原因であって 本能習性が促す情動行動というものは自己選択不可能な無意識に過ぎないことを理解していれば起きないものである

何が意識で 何が無意識なのかを識別するのは意識の方であって 感情とか気分といった無意識な「主観」の方ではないのだけど ヒトというのは基本的に動物であるため どうしても動物的な「主観」の方が優先してしまう傾向が強いため 様々な差別というものは後を絶たないのである

ヒトという種の生物は ヒトやヒト以外の何者かの目的意図や戦略に則って計画的に作られたものではなく あくまで遺伝的進化の結果的に 偶発的に脳が肥大し 論理客観的な検証によって より合理的な目的行動選択「も」可能となったに過ぎない

前回も述べたが 「も」は取れない

それが不条理だと「思う」のは主観であって どんなに強く「思って」も それは論理検証的な「考え」ではない

ヒトという種の生物は 大手企業の製品みたいに品質保証がされているわけではなく あくまで遺伝的進化の結果として様々な形質や習性が組み込まれているに過ぎない

箪笥の角に足の小指を強打して「イラッ」としても その怒りは何にもぶつけようのないものである

「怒りを何かにぶつけたい」と「思う」ことも条件反射であり 怒りを何かにぶつけることに何らかの合理性とか必然性があるわけではなく ただ無性に「イラッ」としているだけであって それ以上に何の意味もありゃしないのである

主観というものは 個人的なものであって そこに何らかの合理性や必然性を後からこじつけて「説明」することも可能ではあるが それはもはやノストラダムスの大予言と一緒で論理的根拠のある科学的論証ではない

寄生生物がとても複雑な習性を発揮して種の保存をしているとしても それは寄生生物が自ら先天的習性を目的選択として選んだわけではなく あくまで突然変異の結果として偶発的に生存や種の保存にとって有利な性質を持った個体だけが結果的に生き残ったという結果以上の意味はない

要するに 全部「結果」であって 何も主体的には選択不可能なわけです

ヒトの先天的本能習性であっても同じで 結果的に順位序列を求めようとすることには意味なんか何もないんですよ

ヒトが差別しあって戦争で殺し合うことも 進化生物学のこじつけ文法からは「個体数を制限して環境に適応するため」というこじつけ説明も可能であって 究極的には「ヒトという種の生物は環境に適さないため絶滅するものである」という「説明」も可能になってしまう

長い生物進化の歴史の中では 幾度となく大絶滅は起きてきたものであって ヒトという種の生物が絶滅しようが地球環境自体にとっては「どうでも良い」話にしかならない

だったら過去の絶滅した生物のように 環境資源を食い尽くして絶滅しても それは遺伝的進化における一つの結果でしかない

でも それ 何も選択できない「バカの結末」ですよ

ヒトであってもバカなら「バカの結末」に陥ってもおかしくはない

NHK解説委員 室山哲也の大予言ヨロシク「人類は絶対に絶滅します」が的中することも充分にありうる

過去に何が起きたのかを論理客観的に検証し 起きては困ることを回避するための対策として教訓知識として応用することも可能ではあります

何も考えずに「バカの結末」に陥るか それとも回避するよう考え工夫をするか その「選択」って問うまでもない話ではあります

 

京大学長だった山極寿一は「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」という科学的根拠のない勝手な予測をしてましたが これってバカな大衆マスコミが気分的に満足するだけのオカルト観念でしかないんですよ

大衆やマスコミは主観的に満足したり安心するような話を形式的に「学術権威」扱いされている奴が主張していると 気分的に安心満足することが出来ることによって 本当は科学的根拠がないオカルト妄想に過ぎないことは誰も検証せずに鵜呑みにしてしまう

これもヒトという種の生物の先天的欠陥の一つです

「生存価」だけを考慮した場合 むしろオカルトだろうが何だろうが 大多数が信じ込んでいる「権威」に同調迎合しておいた方が 生存にとっては有利であるとも言えます

戦時下であれば 「勝てそうな相手についた方が生存にとっては有利」になります

イジメであれば 「イジメる側についた方が生存にとっては有利」になります

結果的なものだけを抽出してくれば 生存にとって有利な選択によって人間性が洗練されるメカニズム構造なんぞありゃしないんですよ

大抵の場合暴力的な集団の方が「勝つ」ことになる

 

いいですか 遺伝的進化っていうのは「結果」に過ぎませんから 都合よく人間性が組み込まれるようなものではないんですよ

ヒトがヒトに進化するまでの過程を考えた場合 ヒトになる以前の期間の方が圧倒的に長くて ネズミとかサルとか それ以前の単純な生物の期間の方が大半を占めているわけです

ですから 遺伝的進化によって組み込まれた先天的本能習性というものには かつての「ご先祖様」達の行動習性とか形質の名残りが大量に遺されていて それは健康などの「個体の生存」にとっては有利な性質もあるんだけども 決して「人間として正しい行動選択を採る」ように出来ている保証も 構造的メカニズムもない

現代社会においても 自律的な社会的責任判断で内部告発したって 誰も守ってくれないじゃないですか

それなのに どうして「人間性が組み込まれているはずだ」なんて言えるんですかね

そんな話をどうして鵜呑みにできるんすかね

それ バカだからなんじゃないですかね

 

 

Ende;

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先天性バカ

2020年11月02日 13時22分25秒 | 意識論関連

ヘイトスピーチってイジメと一緒なんですよ

だからヘイトスピーチに加わっている奴ってヘラヘラ笑っている

笑っているのは脳が気持ちいい証拠です

環境保護団体グリーンピースのメンバーが暴力行為を働いている時もヘラヘラ笑ってました

しかも取材記者が「どうしてそういうことをするのですか?」と問いかけると

「it's fan(楽しいからだ)」と答えました

 

松永莉子パパが「交通事故の再発防止を優先して欲しい」と主張している時に 後でヘラヘラ笑っていたら頭おかしいでしょ

 

山極寿一とか松沢哲郎は 「笑うことは人間しかしない」などと称して あたかも「笑うから人間だ」みたいな短絡的解釈をつけてましたが

笑うことが「ヒトという種の生物特有の性質」だとは言えますが 「ヒト」でありさえすれば「人間」であることの論証には一切なりません

 

特定の他人を自分よりも劣っているとみなして攻撃すると 「自分の方が優位になった」ような錯覚に陥ることができます

もちろん錯覚なので 実質的には社会的優位性みたいなものは一切ありません

ヒトは哺乳類なので 子供は「親」との間に服従関係が必要となります 「親」に従わない子供は自然環境下においては生存に適さないため 進化的に組み込まれた服従行動バイアスだと言えます

こうした服従行動バイアスは 順位序列への執着を生み出すため 何も考えないバカの場合は他人と自分との関係性に順位序列を決定しておかないと不安で仕方ない状態に陥ります

イヌは服従対象を見失うと凶暴化します

飼い主の育て方に問題があると 誰彼構わず上津港

じゃなかった神津光 ああもう 噛み付こうとするようになります

無駄吠えも激しくなります

イヌは育て方を間違えると 服従対象を見失って不安に陥るため そのストレスによって凶暴性を発揮するようになるのです

ですからイヌを飼うには専門家の指導に基づき飼い主に忠誠忠実に服従するよう訓練をする必要があるのです

イヌは服従対象が明確になると安心して従うようになり 無駄吠えも一切しなくなります

こうしたイヌの習性は 自然界においては統率的な協調行動の発現を促すことで 生存価にとって有利に働くことで進化的に発達した行動バイアスなのです

しかし こうした統率協調性というものは集団における「ボス」だけは特異に服従対象の喪失に陥ることになり これが凶暴性や繁殖行動を促すようにもなる

こうした「結果」について バカな生物学者は「より優秀な遺伝子を遺すため」などという説明をしたがりますが イヌのボスが本当に遺伝的に優秀なのかどうかは実は全くわからないんですね

イヌとトラを一緒の檻に入れて育てると イヌの方が凶暴性を発揮して噛み付こうとするため 先天的に統率協調行動習性を持たないトラは嫌がって近づかなくなり 結果的に順位序列が「下」になってしまいます

イヌとトラ どっちが強いと思いますか?

まあ 問いかけるまでもない話なんですが 用もないのにやたらと噛み付いてくる奴を嫌がって逃げるのも動物の習性なんですね

でも イヌの場合は服従する習性がありますから 用もないのに噛み付いてくるような凶暴な「怖い」相手には 仰向けに寝転がって反撃の意思がないことを表現し あっさり服従するようになります

こうした行動というのは イヌが親に対して「甘え」る時の行動が そのまま集団統率行動バイアスに転移した結果なのです

テレ朝の弘中綾香アナウンサーが 子供の時にやたらと絡んでくる近所のイヌに悩まされた経験を語ったことがありましたが イヌって順位序列を「下」だとみるなり急に相手をバカにしてかかるようになる

しかも 尻尾を振り回して喜ぶんですね

うれしくて仕方ない 楽しくて仕方ない

これ ヘイトスピーチに同調している奴と一緒なんですよ

弱いものイジメをしていると楽しい

だからイジメが起こる

イジメながら ヘラヘラ笑っている

でも ヘイトスピーチの中心人物は「同調してくる奴がいるから 俺は正しいんだ」と更に思い込みを強くし 「元気が出る 勇気がわく」ことで益々過激化が進行するようになる

これは集団洗脳状態の構造そのものです

 

イヌって平等が嫌いなんですよ

封建的に順位序列が決定していて 特定の誰かに服従迎合して何か「獲物」を攻撃していると楽しい

でも 冷静に「考え」たら そんな封建的で偏った社会に人間性も倫理も安全性も持続可能性もないこたわかるんですけど

バカだとわからない

「考え」ないからですな

ヒトの脳容積があっても「考え」なければイヌと同じような行動を採るようになる

目先の気持ちよさばっかり追求していて 自分がこれから生き続けてゆくべき社会全体への配慮が働かない

自律的な社会的責任判断選択を一切しなくなる

「どうせ考えたって仕方ない」と「悟った」つもりになっている

「俺は絶望している」と述べながらも 実は全く絶望なんぞしていない

絶望している奴がヘラヘラ笑うわけないですからね

嘘 若しくは自覚がないなら錯覚です

錯覚を錯覚だと自覚認識するためには論理客観的自己検証性が必要で それがないから無責任な迷惑行為や犯罪に加担するようになる

 

持続可能で安全で公平な社会を実現するというのは 夢物語かお花畑だと絶望するのは簡単なんですね

考えるのをやめちまった方が脳が楽だからですよ

ヒトは物事を深く考えるようには先天的には出来ていなくて エタノールだの薬物だのヘイトスピーチで脳を麻痺させておいた方が楽なんですね

ヒトという種の生物は 初めから人間として存在していたわけではなくて かつてはネズミとかサルみたいな生物から偶発的に遺伝的進化した結果として 脳の肥大によって物事を深く考えられるように「も」なった

「も」なった

「も」は外れないんですよ 遺伝的進化には目的がありませんから

深く物事を考えないように「も」なる

なんでか?

それは 物事を考えるような育てられ方をしていないというのが大きな要因です

残虐なゲリラ社会で育った子供が もれなく残虐なゲリラに育つのも

虐待されて育った子供の多くが犯罪者になるのも

子供の時の生育環境要因が大きな要素を占めているからです

目に見えて虐待されていなくても 親が何でも勝手に決めてしまって子供の自主性とか主体的判断選択を無視するような親に育てられても 物事を自分で判断する能力が著しく欠如することがあります

養老孟司も親から医者になることを強制されたそうです でも臨床が怖いから解剖を選んだ

そういう消極的選択しか養老はしてないんですね だから物事を論理的に検証することが出来ず 目先のバカな文科系大衆が喜ぶ「面白い話」で金が儲かればそれが「正しいこと」になってしまう

科学者のフリをしながら「客観的事実などない」などというオカルト観念を振り回すことで バカな大衆の脳を驚かせて人気を集めた

論理的根拠のないセンセーショナルな話をすると 大衆からの人気が得られるんですよ なんでかって? 「楽しいから」ですよ

ややこしい理論の積み重ねで検証する科学的真理の探求のような めんどくさくてややこしくて 気分が悪くなるような話を頭ごなしに「そんなもん存在しねぇ」とばかりに否定する話は痛快で「楽しい」んでしょうな

主観的に「楽しい」んですよ

ヘイトスピーチに同調しているバカと 構造的には一緒です

マルクス:ガブリエルの「世界は存在しない」だとか「時間は無限に分割すればなくなる」なんていう非科学的オカルト話の方が大衆の脳は「楽しく」なるので人気が得られる

「自由意志は存在しない」なんて話も人気がありましたな そういうことにしておけば自分で自律的に社会的責任判断選択をしなくても許されるとでも思えるから 気分的に「楽」なんでしょうよ

畑村洋太郎による国会原発事故調査委員会報告書では 事故の根源的原因として「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」を挙げています

もし自由意志が存在しないというのであれば どんなに無責任な判断選択であっても「俺のせいじゃねぇ」って言い逃れできることになるんですよ

それ 本気にするおつもりか?

バカですか?

まあ バカは自分の頭の悪さを自覚認識していないからバカなので バカに対して「バカなの?」って訊いても構造的に無駄なんすけどね

「縁なき衆生は度難し」ってね

一時的に拒絶反応を示しても 長い人生の中で少しづつ理解を深めていければ本当の人間性とは何かを見極められるようにもなるんでしょうけど

最初から何とも反応のない奴の場合はどうにもなんねぇんすよ

わたしゃそんなにお育ちがおよろしくございませんから お釈迦様みたいに根気強く説明する意欲が続かないんですな

なので今日は終わりです

 

Ende;

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