ジョージ:フロイドさんみたいに無抵抗なのに虐待されて殺害された事例と
ナイフ振り回して警官に向かってきて射殺された事例を同じに扱うべきではない
黒人でさえあれば警官を刺殺しても良いわけではない
「黒人か白人か」といった一面的基準に限らず 差別というものは民族や国籍や男女間や老若間においても生ずるものであり イジメ同様に実は「理屈は何でも良い」のであって ユダヤ人差別であろうと パレスチナ人差別であろうと 差別をすることで自分達の方が優位になったような感覚になれさえすれば 差別対象は何でも良いのである
様々な差別が起こるのは ヒトの先天的順位序列を決定したがる動物的な習性が原因であって 本能習性が促す情動行動というものは自己選択不可能な無意識に過ぎないことを理解していれば起きないものである
何が意識で 何が無意識なのかを識別するのは意識の方であって 感情とか気分といった無意識な「主観」の方ではないのだけど ヒトというのは基本的に動物であるため どうしても動物的な「主観」の方が優先してしまう傾向が強いため 様々な差別というものは後を絶たないのである
ヒトという種の生物は ヒトやヒト以外の何者かの目的意図や戦略に則って計画的に作られたものではなく あくまで遺伝的進化の結果的に 偶発的に脳が肥大し 論理客観的な検証によって より合理的な目的行動選択「も」可能となったに過ぎない
前回も述べたが 「も」は取れない
それが不条理だと「思う」のは主観であって どんなに強く「思って」も それは論理検証的な「考え」ではない
ヒトという種の生物は 大手企業の製品みたいに品質保証がされているわけではなく あくまで遺伝的進化の結果として様々な形質や習性が組み込まれているに過ぎない
箪笥の角に足の小指を強打して「イラッ」としても その怒りは何にもぶつけようのないものである
「怒りを何かにぶつけたい」と「思う」ことも条件反射であり 怒りを何かにぶつけることに何らかの合理性とか必然性があるわけではなく ただ無性に「イラッ」としているだけであって それ以上に何の意味もありゃしないのである
主観というものは 個人的なものであって そこに何らかの合理性や必然性を後からこじつけて「説明」することも可能ではあるが それはもはやノストラダムスの大予言と一緒で論理的根拠のある科学的論証ではない
寄生生物がとても複雑な習性を発揮して種の保存をしているとしても それは寄生生物が自ら先天的習性を目的選択として選んだわけではなく あくまで突然変異の結果として偶発的に生存や種の保存にとって有利な性質を持った個体だけが結果的に生き残ったという結果以上の意味はない
要するに 全部「結果」であって 何も主体的には選択不可能なわけです
ヒトの先天的本能習性であっても同じで 結果的に順位序列を求めようとすることには意味なんか何もないんですよ
ヒトが差別しあって戦争で殺し合うことも 進化生物学のこじつけ文法からは「個体数を制限して環境に適応するため」というこじつけ説明も可能であって 究極的には「ヒトという種の生物は環境に適さないため絶滅するものである」という「説明」も可能になってしまう
長い生物進化の歴史の中では 幾度となく大絶滅は起きてきたものであって ヒトという種の生物が絶滅しようが地球環境自体にとっては「どうでも良い」話にしかならない
だったら過去の絶滅した生物のように 環境資源を食い尽くして絶滅しても それは遺伝的進化における一つの結果でしかない
でも それ 何も選択できない「バカの結末」ですよ
ヒトであってもバカなら「バカの結末」に陥ってもおかしくはない
NHK解説委員 室山哲也の大予言ヨロシク「人類は絶対に絶滅します」が的中することも充分にありうる
過去に何が起きたのかを論理客観的に検証し 起きては困ることを回避するための対策として教訓知識として応用することも可能ではあります
何も考えずに「バカの結末」に陥るか それとも回避するよう考え工夫をするか その「選択」って問うまでもない話ではあります
京大学長だった山極寿一は「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」という科学的根拠のない勝手な予測をしてましたが これってバカな大衆マスコミが気分的に満足するだけのオカルト観念でしかないんですよ
大衆やマスコミは主観的に満足したり安心するような話を形式的に「学術権威」扱いされている奴が主張していると 気分的に安心満足することが出来ることによって 本当は科学的根拠がないオカルト妄想に過ぎないことは誰も検証せずに鵜呑みにしてしまう
これもヒトという種の生物の先天的欠陥の一つです
「生存価」だけを考慮した場合 むしろオカルトだろうが何だろうが 大多数が信じ込んでいる「権威」に同調迎合しておいた方が 生存にとっては有利であるとも言えます
戦時下であれば 「勝てそうな相手についた方が生存にとっては有利」になります
イジメであれば 「イジメる側についた方が生存にとっては有利」になります
結果的なものだけを抽出してくれば 生存にとって有利な選択によって人間性が洗練されるメカニズム構造なんぞありゃしないんですよ
大抵の場合暴力的な集団の方が「勝つ」ことになる
いいですか 遺伝的進化っていうのは「結果」に過ぎませんから 都合よく人間性が組み込まれるようなものではないんですよ
ヒトがヒトに進化するまでの過程を考えた場合 ヒトになる以前の期間の方が圧倒的に長くて ネズミとかサルとか それ以前の単純な生物の期間の方が大半を占めているわけです
ですから 遺伝的進化によって組み込まれた先天的本能習性というものには かつての「ご先祖様」達の行動習性とか形質の名残りが大量に遺されていて それは健康などの「個体の生存」にとっては有利な性質もあるんだけども 決して「人間として正しい行動選択を採る」ように出来ている保証も 構造的メカニズムもない
現代社会においても 自律的な社会的責任判断で内部告発したって 誰も守ってくれないじゃないですか
それなのに どうして「人間性が組み込まれているはずだ」なんて言えるんですかね
そんな話をどうして鵜呑みにできるんすかね
それ バカだからなんじゃないですかね
Ende;