書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

菊水健史

2020年11月04日 23時09分16秒 | 意識論関連

「チンパンジーは騙し合いをするために白目と黒目が見分けられないよう進化した」と麻布大学 菊水健史は言うが

厳密正確に言うと 「チンパンジーは騙し合いをする生物であるため白目と黒目の境界が見分けづらい個体種への淘汰が起きたことで結果的に進化した」のである

白目と黒目の境界がわかりやすい個体は騙し合いにおいて不利なため 群の中で淘汰対象になった「結果」であって 騙そうとして自らの遺伝的形質を自由に変異させることは構造原理的に不可能である

断じて目的のために自らの形質を変化させたわけではない

 

また ヒトはチンパンジーと異なりイヌのような仲間内における統率協調性は発揮するものの 仲間以外に対しての差別排除感情によって暴力性を発揮し 仲間以外には平気で嘘をついたり差別的暴力も発揮する生物でもある

先天的に仲間以外を差別する習性が遺伝子レベルから組み込まれているからといって それが短絡的に「差別はなくならない」論証にも 「差別をすることが正当化できる」わけでもない

ヒトは先天的本能習性のままにしか行動選択ができないバカではないし そんなバカでは現代社会において困るからだ

 

「バカ」について勘違いしては困るのは 学習障害などで学力偏差値が低いことを「バカ」と形容しているわけではなく 学力偏差値が高くても欲望を自律的にコントロールできないような身勝手な奴のことを私は「バカ」と言っているのである

 

もし意図目的に都合よく自らの遺伝的形質や先天的習性を選択可能であるというのであれば 「先天的疾患を持って生まれてきた人は 生存にとって不利な遺伝子を選択してきた愚か者である」と言っているのと同義である

そんなことを言っている奴は もはや「バカ」を通り越して障害者虐殺犯の植松聖と同列のキチガイである

そんなキチガイが学術研究者として大学で教授職に就いていて良いわけがない

とっとと「処分(クビ)」すべきである

 ◇

狩猟生活をしていた時代にイヌを食べずにエサを与えて飼ったのは 最初は食料保存備蓄として「生かして」おいたのが最初であろう

現代のように冷蔵庫があるわけではないので 肉を保存する方法として「飼う」ことは考慮に難くない

 ◇

一般に「送りオオカミ」というと 飲み会で酔った女子を「お持ち帰り」にすることみたいに使っているが

本当はヒトがオオカミの縄張りを通過する場合に ヒトの後を追跡してヒトの行く先を見送ることが「送りオオカミ」の本来の意味だという

「3へぇ」くらいだな

 

Ende;

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2020年11月04日 13時44分34秒 | 意識論関連

自分が受けた教育方法を事後正当化するということは

「自分はその教育方法によって頭が良くなった」という根拠のない自負(慢心)があるからだ

 

虐待がなぜ連鎖するのかと言えば 虐待されて育った環境を認知的不協和を解消する形で事後正当化するからである

心理学ではこうした行動を「合理化」と呼んでいるが これは便宜的な呼び方であって 本当は合理的根拠はなく あくまで主観的感覚として満足しているに過ぎない

 

「自分で考えるのは10年早い とにかく暗記しろ 暗記さえしとけば意識が働くようになる」などという話はには 合理的な根拠が全く説明されていない

「10年」という数字に何の根拠もないし 「暗記さえしときゃ意識が働く」ことの論理的説明も一切ない

 

意識の本質は「自分で物事を考え 判断すること」である

「読み書きそろばん」のような練習鍛錬というものは特定能力を高めることにはなるのだが それをいくらやっても自分で物事を考えるようになるわけではない

文字は練習すればキレイに書けるようになるし パソコンのタイピングも数をこなせば速くなる

文章を書く際に 文字をキレイに書くことや キーボードを速く打つことに気を取られてしまっていては 肝心の文章の内容を考える意識が充分に働かないことは確かである

しかし だからといってただタイピングの練習さえしておけば物事を考えられるようになる合理的根拠はなにもない

タイピングコンテストで優勝しても 内容のある文章が書けるようになるわけではない

暗記能力も同じで 大量の情報を暗記しても それはテストやクイズでの成績は上がるかも知れないが 教えられた内容に間違いがあった場合に気づく能力が鍛えられるわけではない

「読み書きそろばん」的な鍛錬というものは 他人との統率協調的な仕事を行う上においてコミュニケーション上の有用な基礎ではあるが 「それさえやっときゃ自分で物事を判断できるようになる」わけではない

読み書きそろばんというのは 振り込め詐欺師集団の「仕事」においても便利な能力でもあるのだ

 

教えたことを 教えた通りに答えられれば それは生徒の成績が上がることになり 生徒の成績が上がれば教師の業績にもなる

間違ったことを教えても何も気付かないバカ学生であっても むしろ何も気付かず盲目的に鵜呑みにしてくれるバカ生徒の方が バカ教師にとっては「便利」なのである

これは「バカの連鎖」である

バカは問題解決能力がない

そもそも問題を問題だとすら「思って」いないのである

そんな奴らが社会にとって有用性があるかと言えば

ないんですねぇ

だからイマヌエル:カントの「純粋理性批判」が論理的根拠のないただのファンタジーに過ぎないことにも誰も気付かず 西研が「近代哲学の最高峰」だと言えば鵜呑みにして 誰も気付かない

でくのぼう

 

 


形式やマナーというものは それらを受け入れた者にとっての気分的安心を提供するだけの迎合性 表面的なご機嫌取りに過ぎず ただの手続き的な形式に過ぎないので 腹の底では悪いことを考えていても外見上だけは善人を装うことは簡単である

振り込め詐欺に騙される被害者の大半は 「相手の言葉遣いが丁寧だったので信じてしまった」と証言する

「言葉遣いが丁寧」とは まさに形式やマナーである

バカな大人は「挨拶ができれば良い子」だと勝手に勘違いしたがるが イジメをやるような子供でも大人にだけは元気に挨拶はするものである

大人の前でだけ元気で明るい子供のフリをしておけば バカな大人は「こんな子がイジメなんかするわけがないだろう」と勝手に錯覚して安心満足するようになる

マナーや形式というものは外見的な満足感(主観)を与えるものに過ぎず 人格や人間性といった「中身」とは無関係なものである

連続殺人犯が連続殺人を繰り返しても捕まらないのは 挨拶などの他人のご機嫌取りだけはキチンとすることで 近隣の住民の誰も殺人犯だと気付かないようになるからである

 

本論は学術論文の「形式」や「手続き」を採っていない

そもそも査読権のある権威達の間違いについて言及している以上 現状の学術界の「形式」や「手続き」が通用するわけがないからだ

学問というのは本来大学や研究機関の職員に限らず あらゆる人に自由に開かれていなければならないものなのだが 生物学や哲学人文科学系の学界というのは特にバカが多く 閉鎖性や封建性が酷く 自浄効果が全くといって良いほど働かない腐敗した組織に成り下がっているのである

腐敗したカルト集団相手に「形式」も「手続き」も役に立つわけがなく むしろ「形式」や「手続き」こそが腐敗解消を阻害する最も大きな要因となっているのである

 

本来なら同じ組織内の理工系職員による監査によって組織腐敗を解消して頂くのが本来だが アイツら「専門外」を理由に無視しやがる

どうにもなんねぇわ

まあ どうにもなんなくても私の責任じゃねぇけどな

組織外なんだから それこそ管轄外だわ

 

 

Ende;

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