書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

知識のエコシステム?

2020年11月22日 22時53分58秒 | 意識論関連
生態系のピラミッドというものは 弱肉強食による結果的な環境調和のことを指す

「知識のエコシステムもまた生態系ピラミッドのアナロジー」だと言うのであれば そもそも「知識のエコシステム」とは一体何であろうか

知能の高い者は知能の低い者を食い物にする弱肉強食の構造を人間社会に適用するとでも言うのであろうか

社会が持続可能な環境調和さえするならば 弱者を切り捨て食い物にしても構わないとでも言うのであろうか

弱者を殺せば人口抑制になり 結果的に社会持続可能になるとしても その発想は「キチガイの発想」である

それはもはや相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺を行った植松聖と同じである



自分では何も考えないバカというのは 相手の言っている内容に問題点があっても一切検証することをせず バカみたいに鵜呑みにして納得してしまう

世の中の大半の「ヒト」はそういうバカに過ぎない

もし 自らの頭の悪さを自覚できることができれば 読書猿を糾弾することは出来ないだろう

「気付かなかった」という頭の悪さ 無責任さにおいて 同罪だからである


「エコシステム」などという言葉を使えば あたかも自然素材に対する安心感のような「オーガニック幻想」から疑念を持たなくなるのであろうが 自然界というのは野蛮で過酷な生存競争という殺し合いの世界でもあり 何でもかんでもバイオミメティクス的に受け入れて良いわけではない

知能などのヒトの能力は 生態系のピラミッド的な弱肉強食のヒエラルキーを利用すべきではなく あくまで自然界における「多様性」の方を利用すべきであって 一面的に「知識の量」を基準に順位序列をでっち上げて優越感で満足する頭の悪さこそが むしろバカ特有の無能さの原因である



Ende;
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目玉

2020年11月22日 11時22分12秒 | 意識論関連
ああ わかったぞ

バカってのは「真剣」であることが「かっこいい」んだな

そういや糞DQNも「マトモ(真剣)に向き合ってくれる大人がいなかった」とか言ってたな

 ◇

オウム真理教の幹部達も 真剣に「人類の救済」だと信じ込み 命懸けで毒ガステロを実行した

相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺を起こした植松聖も真剣に 命懸けで虐殺を行った

ヘイトスピーチやっている奴らだって 当人は真剣で本気で差別に邁進している

太平洋戦争における特攻隊は「真剣」で「カッコイイ」から英霊扱いで 戦争そのものに反対して投獄された場合は「かっこ悪い」から「裏切り者」扱いになる

個人が主観的にどんなに真剣に 命懸けで何かを主張しても それだけで公共の利益に適する根拠にはならず むしろ思考がバカな奴が「真剣」に「命懸け」でバカなことに邁進されても 社会的には迷惑にしかならない

バカというのは 物事を論理客観的に検証して真偽を確かめるということをしないため 間違った行動や言動であっても「真剣」に信じ込むことで 他人に多大な迷惑をかけるようになる



評価承認欲求に脳を支配されている奴というのは 主観的な快楽安心ばかりを追求し 客観性というものが働かない

「他人からの見た目」を短絡的に「客観性」だと勘違いし 多数他者の価値観自体に間違いが混入していることには気付かず 多数他者との違いにコンプレックスを抱え込むのである

そして 多数他者への迎合や同調を 短絡的に「社会性」だと勘違いする



人間性の本質とは 「個人が自律的に社会的責任判断選択をすること」であって 個人が自分自身であらゆる物事を論理客観的に検証(考える)ことが前提である

何も考えないバカが 自分の生まれ育った社会環境から植え付けられた価値観を鵜呑みにし 無意識な偏見に脳を支配されていることにも気付かないから 本当は根拠もない実証不能の観念を真実だと信じ込み 「真剣」になって他人に多大な迷惑をかけ続けるのである

何も考えていないバカであれば 何が間違いなのかにも気づくことはできない

当たり前の話だな



世間的には「学力成績=知能」だと信じ込まれているが 認知科学的には何の根拠もない大衆観念的なデマにすぎないが 幼少期から何の疑いも持たずに「学力成績さえ上がれば頭が良くなるものだ」と信じ込んで育った結果 学力成績が高いだけのバカが大量生産され 粉飾決算だの建築強度偽装だのテロだの通り魔に邁進するバカが後を絶たないのである

バカというのは 何が真実なのかを自分では検証することも 見極めることも出来ない

だから「バカ」と言う

遺伝的 先天的な性質と 後天的な環境依存性しか発揮されず 目先の快楽ばかりを追求することによって 自発的純粋行為を見失い 他人からの評価や報酬にしか興味を持たなくなる

そうなれば「環境の奴隷」であり 主体的に「何が本当に自己が望む社会のありよう」なのかは一切考えなくなる

当人的には真剣に「考えた」つもりであっても 何せバカなので 実際には主観的に「悩んだ」だけであるにも関わらず 主観的「悩み」と論理客観的検証としての「考え」の区別もつかないのである

だからマイケル:サンデルなんぞを鵜呑みにする



私はバカ相手に「真剣」に向き合うつもりはない

バカを治すのはバカ本人の「意思」であり そもそも「真剣に向き合ってくれる他人」を求めている限り バカは治らないのである

バカは基本的に自分の主観的気分を良くしてくれる相手のことしか信用したがらないため 気分が悪くなる逆洗脳の話には耳を貸さない

それならバカ相手に「真剣」に向き合っても何の意味もない

 ◇

仏教説話の中に「雪山童子」という話がある

「利他の行」を仏に誓った雪山童子の前に 鬼が現れ「お前の目玉をよこせ」と言い出すと 童子は自らの手で右目をえぐり出し渡すが 鬼はそれが気に食わず 渡された目玉を投げつけ踏み潰し「もう一方の目玉もよこせ」と言い放つ

それでも童子は左目もえぐり渡す

なんともえげつないR-18指定な話だが 鬼だと思っていた相手が本当は鬼ではないことに気づき 「前よりも見えるようになった」と童子は言う

「自分の目玉」という 「自分にとってとても大切なもの」だと思い込んでいたものが本当は違うことに気づき

それを自ら棄てることによって 本当に大切なものは何かが「見えるようになった」という喩え話である

逆洗脳においては あくまで自分の観念を「自ら棄てる」ことが必要であり 他人から強制的に「無意識な偏見」を棄てさせることは出来ない

司法刑罰が再犯防止の効果が薄いのも 国家権力による「他者からの抑圧」では人間性自体を改めることが出来ないからである

犯罪被害者の多くは厳罰化こそが犯罪抑止の「目玉」だと思っているが どんなに厳罰化を推し進めても無駄である

中国では麻薬取締法違反は極刑だが 「バレなきゃ大丈夫」だと思っている犯罪者には効果がない

飲酒運転も同様である

バカが重大事故を引き起こす度に厳罰化を推進しても バカそのものが発生してくる原因からフィックスしないことには永遠にバカはいなくならず 何度でもバカげた事故は繰り返すのである



自分の頭の悪さを治すためには 自らが自分の頭の どこが どのように悪いのかを理解認識する必要がある

ヘイトスピーチに邁進しているバカなら 先ずは差別を「棄てる」ことが肝要である

暴走行為に邁進しているバカなら 先ずは暴走行為を「棄てる」ことが重要である

カルト宗教の信者なら 先ずは自分が信じ込んでいる教祖が無能なアンポンタンに過ぎないことを自覚する必要がある

真理の話をするのはその後だ





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