書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

知能の存在証明

2020年11月24日 10時52分43秒 | 意識論関連

多くの大衆は 根拠のない嘘やデマや流言でも主観的に信じたくなりさえすれば盲目的に信じこもうとします

しかし 逆に嘘やデマや流言に根拠がないことに気づくこと「も」可能です

 

気付かなければバカですが バカではない状態が存在する以上 知能の存在自体を反証することはできません

認知科学界的には 「本質的知能は存在しないかも知れない」という「予測」までしかしていませんが 何も気付かないバカと 間違いに気づくバカではない状態が明確に区別可能である以上 知能の存在を反証することはできません

 

私は「天才」ではありません

教えられさえすれば多くのヒトが理解可能な内容であるならば それは気づいた者が「天才」なのではなく 気付かなかった大多数の方がバカなだけですからね

養老孟司はこう述べたことがありました 「教えられたことを知っていることと 自ら気づくことは脳の機能として同じだ」と

他人から教えられないと気付かないことと 誰からも教えられていないのに気づくことが同じだと言えるでしょうか?

こんなことは問うまでもありません 全く別のものです

教えてくれる他人頼みの能力と 気付いて教える側が「脳の機能として同じ」なわけないでしょ

養老孟司は自らが何も気づくことができなかった頭の悪さを正当化したいがために 根拠のない嘘を主張したに過ぎないのです

そして 何も気づくことが出来ない衆愚にとっても その話は都合が良いため 人気だけは得ることが出来た

バカがバカと共感して人気を得ただけなんですよ

 

嘘やデマや流言を信じ込んでしまえば 社会安全性にとって重大な危険を伴う可能性がありますから バカというのは社会的に無責任であると言えるわけです

社会的責任というのは 人間性と直結しています

嘘を鵜呑みにしてテロを実行されたら迷惑でしょ

詐欺師に騙され 意図せずとも暴力団に資金提供していたら迷惑なんですよ

だから「愚かであることは罪」なんですよ

 

人間性の本質は「自律」にあります

他人任せで自分からは何も考えないバカは人間性に重大な問題があるのです

東電社内において 自律的な社会的責任判断をしなかったことが 福島第一原発の重大事故の「最も根源的原因」なのです

「誰も間違っていることを教えてくれなかった」という環境だからといって 自律的に間違いに気付かなかったことが正当化できるわけではないのです

みんながバカなら 自分もバカでも気分的には安心でしょう

大多数と同じでさえあれば 主観的気分としては安心することができる

ヒトとは先天的にそういう性質があります

「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」

怖くなければ安全なわけではありませんよね

主観的に怖いかどうかと 客観的に安全性の根拠があるかどうかは関係がないんですよ

でもね ヒトって主観的に安心すると 安全性と錯覚する先天的習性がある

飲酒運転をしても 今まで事故を起こしたことがないから 気分的に安心して飲酒運転をするんですよ

犯罪を犯しても 今まで捕まったことがないから 気分的に安心して犯罪に邁進することができる

自分の行いが社会的に迷惑で 誰もが迷惑行為を行ったら社会が崩壊することを「知って」いながら 自律的にはやめることができない

自分で自分が制御できずに「自由意思」もスッタクレもないのに 欲望や煩悩に流されていて「自分は自由だ」と勘違いしている

悔やんだり悩んだりすることを 「深く考え」て反省したと勝手に勘違いして 頭の悪さの論理客観的原因については全く理解していないことにも気付かない

「自分はバカだ」と気分的に落ち込み 悔やみ 悩んだことを 「深く考え」たと勝手に錯覚して思考停止に陥る

だから何度でも同じ間違いを繰り返す

バカというのは バカの論理客観的メカニズム構造を理解していないから バカが治らない

主観によって促される錯覚を 錯覚だと認識できないから バカが全く治らない

「自分には錯覚などない」と錯覚しているから 自分の主観を疑うことをしない

 

 

Ende;

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