子供にとっては親以外にはあまり頼る相手がいないわけで
「親ガチャ」ハズしてしまうと結構キツイことになるのはわかる
「親ガチャ」がハズレたという認識があるのならば 親のどこがハズレなのかを研究してみてはどうか
親とて所詮は脳神経接続のない「他者」であり それなら「親としてハズレ」なら研究材料として科学的に分析し 自分が大人になった時に子供から「親ガチャハズレた」と思われないように明文化してみてはどうか
親というのは子供にとってはほぼ唯一であるため どうしても過剰な期待をしがちだが 所詮は世の中の夫婦の中の一配偶関係に過ぎず 「そこら辺にいるオッサンやオバサンの中の一人に過ぎない」ことを客観的に理解すれば 過度な期待はすべきではないと認識できるだろう
絶望とは 時に「死に至る病」でもある
三浦春馬くんみたいに 外見的には自殺するような要素なんぞなさそうに見えていても 当人が主観的に絶望に取り憑かれてしまえば自ら命を絶ってしまうこともあるが
「絶望感」とは主観的なものであって たとえ世間的に何の絶望もなさそうに見えていても 当人にとって「逃れようのない絶望」だと「感じて」しまえば自殺に至ってしまうこともある
外見的 世間的には成功しているように見え 何の不満もなさそうに見えるとしても 主観的絶望に取り憑かれてしまえば自殺という最終解決を選択してしまうこともある
「他人と比べて 自分は不幸」というのは 「他人と比べる」から不幸なのであって 比べなければ別に不幸でも絶望でもない
人が不幸を認識できるのは 幸福を知っているからであって 一面的な不幸を嘆いて絶望するよりも どのようにすれば不幸が取り除けるのかを考える良いチャンスだと捉えることも可能である
不幸や失ったものばかりを数えるているから 益々不幸な気分に陥ってしまうのであって 小さな幸福や まだ手元に残っているリソースから 将来に役立つかも知れない知見や資料を遺すことを考えた方が良い
「まだ できることがある」というわずかな望みを忘れて 「あれができない これがない」と嘆いているのは 絶望の形態としてはかなり安易なものである
どうせ誰もが必ず死ぬのであるから まだできることがあるならやり遂げてから死ななければ悔いしか残らない
どう客観的に検証しても取り除くことが不可能な証明がある不幸や苦痛であるのならば それは自ら死を選ぶ尊厳もあるが 大抵の場合自殺する人というのは客観的には「まだ逃げられる余地がある」場合がほとんどである
ブラック広告代理店の電通の社員が自殺した例もあるが そんなに辛いなら辞めれば良かったのである
何か精神論的に「頑張らなければならない」かのような観念に取り憑かれているから 無駄な努力から逃げられなくなっているだけであって 客観的にみれば「他にあるだろ」と合理的選択をすることは不可能ではない
職業選択の自由が憲法で保証されている日本で 何が悲しくてブラック企業に執着しなければならないのか 冷静に考えればそんな企業は潰れれば良いのである
世の中には様々な不条理や不公平があるが そうしたものを一つ一つ取り除くための合理的な対策を見つけ出す「賢さ」が必要である
自分が不幸だと感じられるのであれば 他の人がどうやったらこんな不幸を感じられずに済むようになるのかについての論理客観的な原因究明と それに基づいた再発防止策を見つけられれば それは社会貢献にもつながるのである
他人と比べてどんなに金を集めても 世間的に成功しても 主観的に不幸や絶望を感じることはある
その「主観」に過ぎぬ「感じ」が 本当に構造原理的に逃れようのない永遠の地獄であることが立証されない以上 そこには望みが残されているのである
人が感じるストレスの9割以上は人間関係と言われている
人を不幸にしているのは 人なのである
自分が不幸にならないためには 自分自身が他人を不幸にさせないようにすることであって 互いが相手に配慮する社会であれば 結果的に自分も他人から配慮してもらうことになるのである
「情けは他人の為ならず」とは 他人への配慮は巡り巡って結局は自分の為のものであるという意味であって 他者を冷遇することを推奨しているわけではない
「経済」という言葉を「利己的金儲け」だと誤解している人も多いが そんなチンパンジーみたいな価値観を人間社会に持ち込むこと自体 どうかしているぜ!
ヒトはどうしても目先の快楽に取り憑かれて非合理な行動に邁進暴走して他人に多大な迷惑をかけがちであるが 折角大きな脳を生まれ持ってこれたのであるから 論理客観的に「目的」行動選択をすべきである
頭の悪い奴ほど主張や圧力が強いため どうしても「世の中バカしかいない」ような感覚に陥りがちであるが それは外見的な雰囲気であって 本当は決してそれほど悪い社会ではない
数万年前であれば過酷な自然環境下で毎日が死ぬか生きるかの瀬戸際生活しかなかったことから比べれば 現代の日本で生まれてこれたことだけでも まあまあ結構なラッキーである
ほんの75年程昔であっても 自分の主張なんぞ誰も耳を貸さずに「1億玉砕」などという訳のわからぬ集団洗脳による暴走破綻を強いられていたことに比べれば 今の社会もそんなには悪くはない
「苦手なことや嫌いなことはそんなにやらなくても良いから 好きなことや得意なことを伸ばした方が良い(益川敏英)」とは 世の中の大半は理解せずに 「苦手を克服」だの精神論的に「努力辛抱根性」を主張したがるバカの方が大半である
そのくせノーベル賞受賞者が出る度に「どうやったらノーベル賞が獲れるんですかねぇ」なんて聞くのである
本当は「世間的に成功するにはどうしたら良いんすかね」という不順不純な下心で聞いているだけなので 益川敏英が何を言っているのかなど誰も耳を貸さないのである
大多数のバカの言っていることに耳を貸してはならない
それはバカの連鎖しか生まないからである
インテリジェンスという言葉には「情報局」の意味が含まれている 単に雑学知識の「量」ばかりを追求しても インテリジェンスが発揮できるわけではなく 雑多な情報の中から真実を見極める本当の知能が必要なのである
脳を育てるために必要なのは 「これなら一生続けることができる そういうものを見つけなさい(小柴昌俊)」である
他人との比較評価に囚われることなく 心の底からやってて楽しいと感じられる純粋行為があれば 他人への配慮も自然とできるようになるものであり 楽しいことは集中力を発揮するための絶対的必要条件である
ホリエモンみたいにすぐにブチギレて吠えだすのは しつけを間違えたイヌと同様服従対象を見失った不安に苛まされているからに過ぎず 評価承認欲求中毒患者特有の「症状」である 他人からの評価に唆(そそのか)されている限り 本当の集中力は発揮することは出来ず 結果的に「自律」も失い集団洗脳や暴走破綻に陥るだけである
ホリエモンは刑務所にぶちこまれても 自分の何がどう悪かったのかを客観的には認識理解していないので 何度でも同じような暴走を繰り返すことになる
「へずまりゅう」だの田代まさしと同様に バカというのはバカに取り憑かれているので難治性が酷いのである
マスクをしなかったために飲食店内に入れてもらえなかったことに腹を立てるだの 災害時にバラエティ番組を放送しなかっただの どうでもいいことに腹を立てて誰彼構わず噛み付くことを「カッコイイ」と思っているバカも多いものである
バカというのはバカと同調共鳴していることが先天的本能習性として大好きなので 簡単に洗脳に陥るのである
先天的本能習性に無為に流されていて 「目的」も「意識」も「合理性」もあったものではない
「親ガチャ」で「当たり」を引いた人にとっては 「ハズレ」を引いた人の気持ちはあんまりよくわからないようで 「家族が悲しむようなことをすべきではない」などという道徳の教科書みたいなことを平気で押し付けてくるものだが それなら「ハズレ」を引いた者でなければわからないことというのがあるわけで 「ハズレ」を引いたことも全面的に悪いことばかりとは言えないのである
「ハズレ」を引いた人にしかわからないことがあるなら それはそれで「当たり」を引いた人にはわかりようのない知見を持っているということでもある
それもまた貴重な知識財産として活かすことは不可能ではない
暴力や破壊や嘆きでは世の中は良くはならない
世の中を良くするためには 何がどう悪いのかを丹念に究明し 論理的根拠に基づいて具体性のある対策を立てることで 世の中は少しづつ良くなるのである
そのために必要なのは「主観」ではなく 客観性を伴う「理性」である
微力は無力ではないことを忘れてはならない
Ende;