「哲学は役に立たなくても良い」というのは
あくまで「すぐには役に立たなくても良い」という意味であって 「役に立ってはいけない」わけではない
科学においてもニュートリノの観測やカオスの研究がどこまで役に立つのかはわからないが わからないがゆえに「役に立つ可能性が否定できない」からこそやってみる価値が残されているのである
役に立つか立たないかがわからないのであれば 試してみる価値はあるが 論理的に役に立たないことが立証されていることを正当化するための言い逃れに「役に立たなくても良い」と言い出すのは ただのこじつけやはぐらかしである
哲学とは「考えること」であり 「考えること」とは論理客観的検証を意味するのであって 主観的に満足して思考停止することは哲学ではなく 論理客観的な根拠の積み重ねによる反証主義によって 真理(本当のこと)とは何かを追求することが哲学である
科学的論証に主観を持ち込んではならないが 哲学では主観も扱うとは言え 個人的な主観だけで真理だと言い張るのは哲学を逸脱している
「哲学には好き嫌いがある」とも言われるが そんなもん何にだって個人的好き嫌いなんぞあるのは当たり前の話であって 個人的な好き嫌いだけを根拠にご都合主義的に何でも真理として扱って良いわけではない
ただの個人的な好き嫌いを述べているだけなら文芸芸術との区別はなくなる
ただの個人的な好き嫌いだけを哲学として扱っていたからこそ 亀山郁夫によるドストエフスキーの読書感想文までもが哲学として扱われていたのである
ドストエフスキーは単なる文芸である
読んで面白いとか 感動したとか そういう主観的感想の羅列は哲学ではないのに 放送大学で「哲学」として分類し放送していたのは無責任極まりない話である
イマヌエル:カントの「純粋理性批判」は カントの勝手な妄想ファンタジーに過ぎず これもまた哲学ではない
実証不能の謎の「叡智界」には根拠がまるで示されていないのであり これを哲学として扱っていた時点で現状の哲学界は無能なデクノボウの集まりに過ぎない
フリードリヒ:ニーチェだのマルクス:ガブリエルだのマイケル:サンデルだのといった およそ哲学とは無関係な妄想観念までをも哲学として扱っていたのは 現状の哲学界には無能なデクノボウしかいないことの証拠である
2020年の文化功労賞では哲学者が受賞していたが 哲学界の基準自体がバカげている現状で文化功労賞もヘッタクレもなかろう
松沢哲郎は「チンパンジーの行動習性から 人間としての社会性を立証できるかも知れない」などという 論理客観的には立証不可能で身勝手な予測をしておきながら 言っている本人は5億円もの研究費の不正流用をしていたのである
松沢哲郎の人間性に問題があるのに「チンパンジーの人間性」なんぞ立証できるわけなかろうて
あまりにもお粗末過ぎて話にならない
たとえ専門外だとしても 益川敏英や畑村洋太郎に対して論理的に説明できない話であれば これは哲学でも何でもない
益川敏英や畑村洋太郎が理解できない話を どうやって学生達に理解させるつもりであろうか
バカな学生達はニーチェを教え込むと「カッコイイ」だの「センター性がある」などと主観的感想を根拠に「素晴らしい」などという これまた主観的感想しか論ずることはない
つまり 「何も考えていない」のであって 主観的に「感じた」とか「思った」ことの強度程度に基づいて哲学(考え)だと勘違い錯覚しているに過ぎない
もし哲学が「絶対に役に立ってはならない」というのであれば 哲学はそもそも学問ではない
学問ではないことを学問として扱っているのであれば これは単なる嘘でしかない
菅義偉首相が どういう理由で日本学術会議の任命拒否をしているのかは知らないが 学問ではないものを学術会議に任命していたのでは国民に対する背信行為であろう
学問の名を借りたペテンであるならば それは排除する義務が首相にはあるだろう
Ende;