狩猟採集生活の時代にも紛争はあったと考える方が自然で 現代においても文明から隔絶された原住民の間では一定の部族間紛争は見られ 土地の所有を巡る争いもある
それが農耕社会になることで集団の大規模化や効率化によって生活に余裕が出たことにより いわば暇を潰す形で集団内部での序列を他者に過剰に押し付け差別がより酷くなった
ヒトという種の生物は 先天的にはそれほど大きな規模の集団において統率協調習性を満足させられるようには出来ておらず 大きな集団になると内部で不平等に対する不信感を募らせ 一方的な序列によるヒエラルキーによって封建的な統率を行うことによって「秩序」をでっちあげるようになった
ヘイトスピーチをやっているような者というのは 基本的に暇で 酒だのクソゲーだのパチンコやギャンブルといった自堕落な生活を送っている奴が 自分の境遇における不満を他人のせいにしておくことによって自己の自堕落を「なかったこと(意識から外す)」にするために差別排除に邁進するのである
忙しい人はヘイトスピーチなんぞやらない
狩猟採集生活の場合 集団内部の他者とは仲良くなければ協調的に狩りを行うことが出来ず これは個人的にも不利になるので 自分の所属する集団内部においては差別排除をしている余裕はない
差別排除という行動は 社会を破綻に陥らせる無責任で非合理な行動であり この無責任さというものは社会全体の余裕が生み出した「暇」によって統率協調習性の暴走によって生じたものである
大脳辺縁系の活動が活発な「連続殺人型」の人の場合 本能によって促される情動を抑える理性が働きづらく 感情と行動が直結し 自分が主観的に感じている不満の矛先を 気に入らない他者に全ての原因があるものだと決めつける形で「ストーリー」をでっちあげるのである
純粋行為として 自分の脳を自分で満足させることが出来ている人の場合には 不条理な差別排除などをしている暇はない
元々は狩猟採取生活に適応して進化してきたヒトが 農耕文化による集団の大規模化には適応できず また効率化による生活の余裕「暇」を持て余すことによって 社会存続にとって非合理な差別や排除を行うようになった
統率協調習性というものは 元々順位序列によって特定の「ボス」に服従することで発揮されるものであり ヒトは元々平等が嫌いなのである
ヒトは特定の「ボス」に対して盲目的に信頼し 服従しておくことによって 結果的に統率協調性を発揮し これが狩猟採集生活においては比較的正常に機能していたが ヒト自らが発見した効率化による集団大規模化には適応できていないのである
もし遺伝的に適応進化が起きるためには 適応できていない個体を片っ端から殺害し続けなければならず 遺伝的進化の構造を人間社会に導入した時点で合理性も人間性も吹き飛ぶことになる
狩猟採集生活の段階においても 土地所有を巡る部族間の争いはあり 「所有の概念が差別を生み出した」というのは辻褄が合わない
狩猟採集生活の段階においては 集団そのものがそれほど大規模ではなかったため 集団内部の個人が集団全体を把握することが出来ていたことで 気分的に安心して集団内部の他者との信頼関係が持てていたのだが 他の部族との間には不信感や猜疑心によって「一定の紛争」は起きていた
実際に 文明から隔絶された狩猟採集生活をしている未開の原住民の間では 紛争による死亡者は1%に達すると言われ 決して「狩猟採集民族の方が平和的だ」とは言えないのである
死亡率が1%であれば 種の存続にとっては影響を及ぼす程ではないため 進化的には何の影響も及ぼすことはなく むしろ一定の紛争によって個体数を環境適応させられているのであれば 遺伝的進化にとっては都合が良いことになる
農耕による効率化は集団の大規模化によって 「一定の紛争」までもが大規模化することになり より残虐性を増すことにもなり 効率化による「暇」は他の集団に対する不信感や猜疑心解消するために軍備拡大競争を促すことにもなった
効率化というものは 合理的に利用すれば本来生活に余裕をもたらすはずのものでありながら 先天的に狩猟採集生活に適応してしまっている「ヒト」は本能的には適応することが出来ないため 無駄な差別排除という暴走破綻への道に邁進してしまうのである
先天的 本能的に適応出来ていないとは言っても これは所詮動物的な習性や行動バイアスに過ぎず これらが無意識であることを理解認識して合理的な目的行動選択を行う「人間としての意識」が働けば 本能習性に無為に流され暴走破綻に陥ることを回避することは可能である
ヒトという種の生物の ハードウェア的な「人間性の欠陥」を 知識や知恵を用いたソフトウェア的な「パッチ」を充てることによって 欠陥をリカバリーすることは可能であり 生命科学の神に頼った「ヒトVer.2.0」などという根拠の乏しい妄想ファンタジーに過ぎぬ「ストーリー」をでっちあげる必要はない
ヒトの大脳新皮質は充分な容積があり その使い方を理解できれば先天的な「人間としての欠陥」は補うことは充分可能である
Ende;