書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

やる気が起きない

2020年11月25日 15時42分47秒 | 意識論関連

勉強にやる気が起きない理由は

勉強した先の目的がないからである

自分が主体的にやってみたいことや 知りたいと思っている「目的」がなく

ただ漫然と「学力成績が低いと評価されない」という強迫観念だけで「やらされている」からである

目先の評価だけで勉強できる奴というのもいて そういう奴は他人との比較で「俺の方が頭が良い」という優越感を目的にしているので 学力成績への執着は凄いのだが 人間性には著しい問題があることがほとんどである

「俺の脳が気持ちいいこと=正しいこと」なっていたのでは 犯罪者の行動原理と何ら変わらない

「社会の中で評価されたい」と思っていても そもそも「評価基準となる社会そのものには何の問題もないのだろうか?」という素朴な疑問を持たないのでは 社会の奴隷にしかならない

社会には様々な問題があって その問題をどうやったら解決できるのかについて主体的に探求するという本質的な目的意識がなければ 間違ったことを教えられても 教えられたまま答えさえすれば成績になるなら興味すらわかない

それは チンパンジーの瞬間記憶能力と一緒で エサでつられた機械的条件反射行動学習能力に過ぎない

記憶コンテストで優勝してもノーベル賞が獲れるわけではないのと同様に 学力成績などの特定能力だけをどんなに高めても人間としての知能として機能するわけではないのである

ノーベル賞というのは むしろ凡人が根拠もなくボンヤリと「これさえやっときゃ頭が良くなる」というバカみたいな観念に囚われていたのでは絶対に獲れないものであり むしろ誰もやらないような未開拓な領域に足を踏み入れる必要性がある

誰も踏み入れない領域に踏み込んでいれば 誰からの評価も得られない

それでも未開拓な領域に踏み込むのは「主体的に知りたいから」という純粋な知的好奇心によるものである

自分が本当に知りたいことがあれば それは誰からも評価がなくても続けることができる

他人からの評価に左右されないことによって はじめて「教えられたことに間違いがあった場合に気づくことができる」のである

それなしに人間としての本質的知能を発揮することはできない

誰かが作った評価基準に 本当に間違いはないのかを検証するのは本質的主体性のみである

バカは評価さえ得られれば満足し 評価基準自体に間違いがあっても全く気づくことが出来ない

学力だけは高いのに テロリストになったり通り魔になったりするバカがいるのは そのためである

 

逆に 学力成績が低いというだけで「自分はどうせバカだから」と諦め 結局何も主体的に追求しないことも 世間的な観念に過ぎない「学力成績=知能」という基準を鵜呑みにしているバカであることに何の違いもない

そのテのバカというのは 東大に合格さえできれば「勝ち組」だとでも簡単に錯覚することができるが 社会の何がどう問題で どう解決すれば良いのかについては全く興味がない

それこそ先天的に「文字が読めない」性質がある場合というのもあり 誰かが作った学力成績基準自体があらゆる人にユニバーサルな基準としての根拠がなかったとも言えるのである

文字は読めずとも 口頭や朗読なら理解できるため 口伝てで学べる落語なら才能を発揮できるケースというのもある

「嫌いなことや苦手なことは そんなにやらなくても良いから 好きなことや得意なことを伸ばした方が良い」のであって 主体的にやる気が起きないことをどんなに強いて勉めても 試験で成績評価さえ得られたら全部忘れてしまうのでは 社会的には何の意味もないのである

頭ごなしに「勉強しろ」と言う大人というのは 自分が頭ごなしに「勉強しろ」と強制された既成事実を事後正当化し 認知的不協和を解消する形で「連鎖」しているに過ぎず 論理的根拠がまるでない

「俺が散々強制されて苦しんだんだから お前も苦しめ」と言っているだけなのである

それで「やる気が起きない」のは必然というものである

 

 

Ende;

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Life Kinetik

2020年11月25日 14時41分19秒 | 意識論関連

脳トレを散々「脳に良い」と主張してきた茂木健一郎が Life Kinetikを絶賛するというのは あまりに場当たり的で無責任極まりない

 

Life Kinetikが あらゆる脳機能において有効なのかはまだ必ずしも言えない

「決断を下すスピードが速くなる」という効果については 逆に考えが浅いまま速度だけ速くなっても「頭が良くなった」ことの論証にはならない

詐欺からの電話に「決断を下すスピード」だけ速くなっても むしろカモにされる危険性が高まることになるからだ

ディープラーニングAIのように 回路が「蒸留」されて短絡的に高速化しても Microsoft社のTwitterAIがヘイトスピーチを始めてしまったり 自動運転AIが未知の状況に対処出来ずに横転したトラックに減速もせずに突っ込んだりしていたのでは危険極まりない

自己客観性がLife kinetikによって阻害される可能性が否定できない以上 もろてを挙げて絶賛するべきではない

いきあたりばったりに「あれが良い これが良い」と無責任に評価するのは 大衆人気は得られるかも知れないが 科学者以前に人間として問題がある

それを大多数の衆愚が気付かないとしてもである

 

 

Ende;

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益川敏英

2020年11月25日 14時08分20秒 | 意識論関連

益川敏英は 菅義偉首相の日本学術会議の任命拒否に対して「学問に対する介入だ」とか言っているが

学術会議全体への介入を問題にするのであれば 生物学界や人文哲学界の組織的腐敗の検証責任を放棄するのはおかしな話である

生物学や哲学を「専門外」を理由に何の検証もせずに 「学術界全体の問題だ」と言い張るのは身勝手である

学術会議の組織全体の腐敗の自浄効果が全く働いていいないのに 「学問でさえあれば何でも自由勝手に税金を遣って構わない」などと一方的に言い張っているのと同じである

学術界全体の正当性を全く検証せずに 学術界全体の自由を主張する権利はない

哲学界は未だにイマヌエル:カントのファンタジー妄想を鵜呑みにし 生物学界は未だに遺伝的進化万能論に基づき「目的のために進化した」という主張をやめようとはしない

こうした科学的な著しい誤謬や嘘や それこそ松沢哲郎らによる5億円にものぼる研究費のちょろまかしを放置しておいて 「学問に対する介入」だけを拒絶する権利はない

本来であるならば 政府が学問に介入することは戦前のような政府の暴走を招く危険なことでもあるが 学問でさえあれば常に何でも正当性が主張できるわけではない

学問の自由を主張するのであれば 学術界全体の組織的腐敗についての検証が前提である

理論物理学者であれば イマヌエル:カントのファンタジーや リチャード:ドーキンスのお伽話や 遺伝的進化には目的がないことを理解できないわけなかろう

もし「理解出来ない」というのであれば 無能の証明なので辞めちまえ

 

 

Ende;

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