勉強にやる気が起きない理由は
勉強した先の目的がないからである
自分が主体的にやってみたいことや 知りたいと思っている「目的」がなく
ただ漫然と「学力成績が低いと評価されない」という強迫観念だけで「やらされている」からである
目先の評価だけで勉強できる奴というのもいて そういう奴は他人との比較で「俺の方が頭が良い」という優越感を目的にしているので 学力成績への執着は凄いのだが 人間性には著しい問題があることがほとんどである
「俺の脳が気持ちいいこと=正しいこと」なっていたのでは 犯罪者の行動原理と何ら変わらない
「社会の中で評価されたい」と思っていても そもそも「評価基準となる社会そのものには何の問題もないのだろうか?」という素朴な疑問を持たないのでは 社会の奴隷にしかならない
社会には様々な問題があって その問題をどうやったら解決できるのかについて主体的に探求するという本質的な目的意識がなければ 間違ったことを教えられても 教えられたまま答えさえすれば成績になるなら興味すらわかない
それは チンパンジーの瞬間記憶能力と一緒で エサでつられた機械的条件反射行動学習能力に過ぎない
記憶コンテストで優勝してもノーベル賞が獲れるわけではないのと同様に 学力成績などの特定能力だけをどんなに高めても人間としての知能として機能するわけではないのである
ノーベル賞というのは むしろ凡人が根拠もなくボンヤリと「これさえやっときゃ頭が良くなる」というバカみたいな観念に囚われていたのでは絶対に獲れないものであり むしろ誰もやらないような未開拓な領域に足を踏み入れる必要性がある
誰も踏み入れない領域に踏み込んでいれば 誰からの評価も得られない
それでも未開拓な領域に踏み込むのは「主体的に知りたいから」という純粋な知的好奇心によるものである
自分が本当に知りたいことがあれば それは誰からも評価がなくても続けることができる
他人からの評価に左右されないことによって はじめて「教えられたことに間違いがあった場合に気づくことができる」のである
それなしに人間としての本質的知能を発揮することはできない
誰かが作った評価基準に 本当に間違いはないのかを検証するのは本質的主体性のみである
バカは評価さえ得られれば満足し 評価基準自体に間違いがあっても全く気づくことが出来ない
学力だけは高いのに テロリストになったり通り魔になったりするバカがいるのは そのためである
逆に 学力成績が低いというだけで「自分はどうせバカだから」と諦め 結局何も主体的に追求しないことも 世間的な観念に過ぎない「学力成績=知能」という基準を鵜呑みにしているバカであることに何の違いもない
そのテのバカというのは 東大に合格さえできれば「勝ち組」だとでも簡単に錯覚することができるが 社会の何がどう問題で どう解決すれば良いのかについては全く興味がない
それこそ先天的に「文字が読めない」性質がある場合というのもあり 誰かが作った学力成績基準自体があらゆる人にユニバーサルな基準としての根拠がなかったとも言えるのである
文字は読めずとも 口頭や朗読なら理解できるため 口伝てで学べる落語なら才能を発揮できるケースというのもある
「嫌いなことや苦手なことは そんなにやらなくても良いから 好きなことや得意なことを伸ばした方が良い」のであって 主体的にやる気が起きないことをどんなに強いて勉めても 試験で成績評価さえ得られたら全部忘れてしまうのでは 社会的には何の意味もないのである
頭ごなしに「勉強しろ」と言う大人というのは 自分が頭ごなしに「勉強しろ」と強制された既成事実を事後正当化し 認知的不協和を解消する形で「連鎖」しているに過ぎず 論理的根拠がまるでない
「俺が散々強制されて苦しんだんだから お前も苦しめ」と言っているだけなのである
それで「やる気が起きない」のは必然というものである
Ende;