「進化的に正しい行動」などというものは存在するでしょうか?
遺伝的進化の過程においては必ず淘汰圧力による死滅を伴います
誰も死なずに繁殖できれば収斂進化など起きないからです
それなら 遺伝的進化を促進するためには断種政策や差別虐殺は「進化的に正しい行動」だとでも言うのでしょうか?
こうした錯誤こそがフランシス:ゴルトンの優生学が信じ込まれた原因なのです
ヒトはここ数万年はほとんど進化をしていません それでも変異は起きるために先天性疾患や障害といったものは出てきますし 見た目や性格も様々なバリエーション(個性)を持つようになりました
品種改良的にバカを淘汰絶滅させてゆけば ヒトは賢く進化を促すことが可能でしょうか?
ヒトに対して農作物や家畜のような品種改良の手法を用いること自体に人間性が伴いませんから これこそが「バカの考える妄想」でしかありません
へずまりゅうとかプーチンとか通り魔やテロリストは迷惑なバカです
それなら彼らは先天的・遺伝的にバカが決定していると言えるでしょうか?
先天的・遺伝的にバカとして産まれてきてしまえば バカになる以外の一切の選択肢は全く存在していないと言えるでしょうか?
迷惑なバカというものに 後天的要因が一切介在しない証拠が存在するでしょうか?
迷惑者のバカの血縁関係があったら おしなべて迷惑者のバカになるという統計的傾向性のようなデータが存在するかと言えば そんなものはありません
虐待を受けて育った子供が虐待を連鎖したり 犯罪者になりやすい傾向は確かにありますが 虐待家庭から引き離してマトモな里親の家庭で育てば虐待を連鎖したり犯罪者になる率は大幅に下がります
脳には可塑性がありますから 後天的要素の方がむしろ大きいと考える方が論理客観的にはスジが通る話であって 迷惑者のバカが出てくる原因として先天的・遺伝的要素はほとんどないと考えるべきです
先天的要素がゼロではないとは言い切れませんが 大半は後天的要因の影響であることに疑う余地はないのです
そもそも先天的・遺伝的に過ちに陥りやすい性質を持っている人がいるのであれば それは断種や殺害によって差別排除するのではなく むしろ他の人達が過ちに陥らないようにサポートしてあげることの方がより人道的で「人間」としての倫理に適う行動だと言えます
「誰一人として取り残さない」という寛容さなくして人間性も倫理もスッタクレもあったものではないのです
ヒトは 自然環境の中でバクテリアからヒトという種の生物にまでは進化しましたが ヒトでありさえすれば常に人間性を発揮できる保証があるわけではありません
むしろ ヒトという種の生物であるが故に差別による虐殺や無責任な犯罪が引き起こされるのであって ヒトという種の生物の一体どのような性質が迷惑な「人災」の原因となっているのかを見極めなければ何度でも同じような「人災」は繰り返されることになるのです
遺伝的進化というものがもたらす結果というのは 「繁殖の継続」にとっての合理的収斂しか促されることはありません
無節操に誰彼構わずヤリまくりたがる男の遺伝子の方が遺りやすいのであって どんなに女性が一人の配偶相手以外に興味を持たない誠実な男を いくら後天的に望んでも願っても祈っても呪っても遺伝的要素に影響を及ぼすメカニズム構造は存在しないのです
遺伝的進化における「環境適応」というのは 「繁殖の継続」以外に働くことはありません
強姦だろうが何だろうが 繁殖さえ継続できていれば「生物」として存在し続けることができますから 収斂進化が促されることになりますが 人間性や倫理といったものが繁殖の継続に影響を与えるメカニズムなど立証されたことはないのです
精々仲間内での統率的協調性によって封建的ヒエラルキー序列を構成する程度の「社会性(社会形成習性)」くらいしかヒトには存在していないのです それが特定条件において 仲間内に対する利他的行動を発揮させるとしても それが人間性の論証になど一切なりません
振り込め詐欺師が仲間内で飯をおごっても人間性や倫理の論証になど なるわけがありません
女性が男性に対して恋愛感情(繁殖行動バイアス)を生じる時には より暴力的な男の方を選びたがる傾向があります
これは過酷な自然環境下においては より強い遺伝子を持った配偶者選択をした女性の遺伝子の方が遺りやすかったためであり
「吊橋効果」的に男に対しての恐怖心による脈拍数や呼吸数の増加による興奮状態を感じる相手を選びがちな先天的習性として組み込まれているからです
若い女性は自分の主観的恋愛感情というものが 神聖で純粋なものであるかのような感覚(主観的印象)を持ちがちですが そもそも恋愛感情などというものは動物的な繁殖行動バイアスに過ぎず サルの繁殖行動バイアスと基本的には同じものでしかありません
しかし ヒトという種の生物は 自分の個人的主観こそが意識の本質か何かだと勝手に妄想し 自身の主観的印象には絶対に間違いなど存在しないものであるかのような感覚(錯覚)が働くことによって 冷静になって考えれば どう見たって糞DQNの男と子供を作ってDVに苦しむ事態に陥るであろうことすら 見えなくなってしまうのです
子供にとっては信頼できる大人が必要ですが 自分が大人として 社会的責任を負う立場になったのであれば 盲目的に権威や多数やマスコミの言っている内容を鵜呑みにすべきではなく キチンと自分の頭で論理客観的根拠に基づいて考え検証して 責任を持って社会的判断をする義務があるのです
「実証不能の神なくしては生きられない程弱いもの」などという話も ご都合主義的こじつけに使われることの方が圧倒的に多く 実際には実証不能の神を信じるが故に無駄な「強さ」を発揮して他人に多大な迷惑をかける事象の方が圧倒的に多いのです
重要なのは 強いとか弱いとかではなく 真実か嘘かを見極める能力であって 強弱はどうでも良い話なのです
現実には実証不能の神を信じている人などいません もしいるとしても その人は神の代行で正義を振り回したりはしないはずです だって神が実在するなら神が正義を下してくれることになっているからであって 神の代行で正義を振り回している時点で実は神を信じていない証拠なのです
刑罰という制度は「進化的に正しい行動」に該当するでしょうか?
後天的要素の方が圧倒的に大きい犯罪者に対して 暴力的懲罰を加えて満足しても 何ら遺伝的に「正しい進化」が促される仕組みになどなっていません
むしろノルウェーの「リゾート刑務所」のような処遇の方が再犯率低下や更生率の向上にとっては圧倒的に有益であることが既に立証済みであり 犯罪というものが後天的要素の方が圧倒的に大きいことの一つの客観的立証でもあります
しかし ヒトという種の生物は 先天的に懲罰こそが唯一最大の「解決」になるものだという感覚(錯覚)が働くことによって 何が何でも懲罰を与えておかないと主観的に気が済まない習性が働くため 非合理で不毛な刑法制度にばかり頼ってしまうのです
制度上では刑法判決は「解決」とみなされ 後は民事裁判任せの金目でしか「解決」として扱ってくれません
しかし 本当に犯罪被害者が望んでいるのは 犯罪が繰り返されないことであって 罰や金の問題で済まされる話ではないのです
社会安全性の観点からも 懲罰や賠償金の額が社会安全性に有益であることの根拠などどこにもないのです
通り魔を死刑にしても 通り魔事件はなくなりません
それはテロも同様です
テロリストや通り魔は刑罰を怖れて実行を止めるということはありません なぜなら自分の命も惜しくはないからです
権力を掌握した独裁者なんて なおさらです
自分の人生を賭けてでも他人に危害を加えようとするのは 当人にとっての「正義」に基づいた懲罰感情を満たそうとしているからであって 刑罰も含めた暴力的最終解決以外が「見えて」いないためです
自分の個人的な懲罰報復感情を満たすことだけが「目的」になってしまい まるで薬物中毒患者の禁断症状のように懲罰に依存した行動しか出来なくなってしまっているのです
社会制度として刑法懲罰を正当化している限り 懲罰的報復感情を満たすためのあらゆる暴力的行動もまた正当化され続けてしまうことになるのです
「俺のような奴は死刑になったら良いんじゃ!」と主張している通り魔を 望み通りに死刑にして一体何が「解決」だと言えるのでしょうか?
本当に通り魔事件の再発防止を望むのであれば 「なぜ非合理な暴力に暴走することで満足するような無責任な奴になったのか」についての徹底した原因究明が必要です
アオリ運転なんぞするバカを殴ったら アオリ運転をするバカがいなくなるわけではなく むしろ懲罰的報復感情によって衝動的にアオリ運転というものは行われているのであって 当人に自己客観的自制心というものが働かない頭の悪さを自覚させることの方が再発防止にとっても有効だと言えるのです
ヒトは その先天的習性として 論理客観的根拠のある合理的解決策よりも 主観的な満足感や安心感の方を優先しがちな性質があります
これは進化的に組み込まれた「結果」的な性質であって 社会安全性や公平性を基準にした合理的「目的」意識に基づいたものではありません
遺伝的進化をすれば戦争がなくなるわけでも 犯罪が減るわけでも 間違えが少なくなるわけでもありません そんな収斂進化が促されるような淘汰圧力自体が「人間の社会」にはありえないからです
ナチス政権を作り出したドイツ民族を淘汰殺害したら 独裁政権の再発防止になるわけではありません
なぜなら独裁政権というものは民族国籍に依らず どこでも起きうるものであり ヒトという種の生物に普遍的に見られる先天的欠陥に起因するものだからです
遺伝的進化によってヒトという種の生物にまで進化を遂げましたが 遺伝的進化そのものは何かの目的に基づいて起きたわけではなく あくまで結果的にヒトにまで進化が促されたに過ぎないのです
偶然にもヒトはその大脳容積によって 目的に基づいた合理性のある行動選択可能性をも持つことができるようになりましたが その能力を発揮するかどうかは「意識(自由意志)」の有無に依存するものです
主観的な欲望や根拠のない常識に基づいた無意識な行動バイアスに流されているだけであれば 本質的な目的に基づいた意識は働くことはありません
「本当の目的」が何なのかすら自覚できていない状態であれば それは無意識としか言いようがありません
夢遊病者かゾンビの群れが どんなに多数で「大きな力」を統率協調的に発揮しても それは暴走にしかならないのです
暴走の先にあるのは破綻だけです
「破綻しても構わない」と言うのであれば もはやこの文章を読む必要はありません
そんな無責任や奴が 何を読んでも意味などないからです
Ende;