書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

これさえやっときゃ人生は豊かになる

2022年05月09日 23時50分28秒 | 意識論関連

「節制が人生を豊かにする」:アリストテレス

 

⇨これは精神論を強要するためにこじつけられる危険性を孕んでいる

実際には「節制さえすれば人生は豊かになる」とは限らない

オウム真理教幹部達は人生を賭けて「人類の救済」になると倒錯してテロを実行したのであり 「これさえやっときゃ人生が豊かになる」的な短絡的解釈が可能な話には普遍性が伴わない

兵隊はおしなべて節制を強要されているが それゆえに評価のために戦争のようなバカげたことにも便利に利用されてしまうのであり 他人からの評価を目的とした節制努力は自律判断能力の喪失につながる危険性もある

節制して「頑張った」ら何でも「人生が豊かになる」とは限らず 先天的に苦手な能力をいくら頑張っても 先天的に得意な人には敵わず劣等感ばかりを植え付けられるばかりである

先天的に文字の読み書きが苦手な障害を持った人や 先天的に発話の苦手な人が どんなに節制して「頑張った」ところでどうにもならないのである

脳には可塑性があるとは言っても 決してあらゆる能力に可塑性があるわけではなく 言語機能などはほとんど先天的に決定してしまっているものでもあり 「読み書きソロバン」などと称して無駄な努力を全員に強要するバカな大人は多いものである

たとえどんなに言語能力が高くても 詐欺師やプロパガンダとしての能力に使われることもあり 特定能力の高さは人間性や本質的知能の論証にはならない

たとえ何千年読み継がれているとしても その内容の全てに一切の欠陥が存在しないことの保証になるわけではなく ヒトである以上はアリストテレスでも間違える可能性は存在しているのである

しかし ヒトは「有名な哲学者」として扱われている権威や肩書があると簡単に批判精神を失い 何でも主観的に「素晴らしい」と称して鵜呑みにする習性があり 自分よりも「上」と見なした相手には一切疑問を持たなくなり バカになる先天的習性がある

だからヒトはバカが治らない

 

 

Ende;

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大きな力

2022年05月09日 22時23分20秒 | 意識論関連

「進化的に正しい行動」などというものは存在するでしょうか?

遺伝的進化の過程においては必ず淘汰圧力による死滅を伴います

誰も死なずに繁殖できれば収斂進化など起きないからです

それなら 遺伝的進化を促進するためには断種政策や差別虐殺は「進化的に正しい行動」だとでも言うのでしょうか?

こうした錯誤こそがフランシス:ゴルトンの優生学が信じ込まれた原因なのです

 

ヒトはここ数万年はほとんど進化をしていません それでも変異は起きるために先天性疾患や障害といったものは出てきますし 見た目や性格も様々なバリエーション(個性)を持つようになりました

品種改良的にバカを淘汰絶滅させてゆけば ヒトは賢く進化を促すことが可能でしょうか?

ヒトに対して農作物や家畜のような品種改良の手法を用いること自体に人間性が伴いませんから これこそが「バカの考える妄想」でしかありません

 

へずまりゅうとかプーチンとか通り魔やテロリストは迷惑なバカです

それなら彼らは先天的・遺伝的にバカが決定していると言えるでしょうか?

先天的・遺伝的にバカとして産まれてきてしまえば バカになる以外の一切の選択肢は全く存在していないと言えるでしょうか?

迷惑なバカというものに 後天的要因が一切介在しない証拠が存在するでしょうか?

迷惑者のバカの血縁関係があったら おしなべて迷惑者のバカになるという統計的傾向性のようなデータが存在するかと言えば そんなものはありません

虐待を受けて育った子供が虐待を連鎖したり 犯罪者になりやすい傾向は確かにありますが 虐待家庭から引き離してマトモな里親の家庭で育てば虐待を連鎖したり犯罪者になる率は大幅に下がります

脳には可塑性がありますから 後天的要素の方がむしろ大きいと考える方が論理客観的にはスジが通る話であって 迷惑者のバカが出てくる原因として先天的・遺伝的要素はほとんどないと考えるべきです

先天的要素がゼロではないとは言い切れませんが 大半は後天的要因の影響であることに疑う余地はないのです

そもそも先天的・遺伝的に過ちに陥りやすい性質を持っている人がいるのであれば それは断種や殺害によって差別排除するのではなく むしろ他の人達が過ちに陥らないようにサポートしてあげることの方がより人道的で「人間」としての倫理に適う行動だと言えます

「誰一人として取り残さない」という寛容さなくして人間性も倫理もスッタクレもあったものではないのです

 

ヒトは 自然環境の中でバクテリアからヒトという種の生物にまでは進化しましたが ヒトでありさえすれば常に人間性を発揮できる保証があるわけではありません

むしろ ヒトという種の生物であるが故に差別による虐殺や無責任な犯罪が引き起こされるのであって ヒトという種の生物の一体どのような性質が迷惑な「人災」の原因となっているのかを見極めなければ何度でも同じような「人災」は繰り返されることになるのです

遺伝的進化というものがもたらす結果というのは 「繁殖の継続」にとっての合理的収斂しか促されることはありません

無節操に誰彼構わずヤリまくりたがる男の遺伝子の方が遺りやすいのであって どんなに女性が一人の配偶相手以外に興味を持たない誠実な男を いくら後天的に望んでも願っても祈っても呪っても遺伝的要素に影響を及ぼすメカニズム構造は存在しないのです

遺伝的進化における「環境適応」というのは 「繁殖の継続」以外に働くことはありません

強姦だろうが何だろうが 繁殖さえ継続できていれば「生物」として存在し続けることができますから 収斂進化が促されることになりますが 人間性や倫理といったものが繁殖の継続に影響を与えるメカニズムなど立証されたことはないのです

精々仲間内での統率的協調性によって封建的ヒエラルキー序列を構成する程度の「社会性(社会形成習性)」くらいしかヒトには存在していないのです それが特定条件において 仲間内に対する利他的行動を発揮させるとしても それが人間性の論証になど一切なりません

振り込め詐欺師が仲間内で飯をおごっても人間性や倫理の論証になど なるわけがありません

 

女性が男性に対して恋愛感情(繁殖行動バイアス)を生じる時には より暴力的な男の方を選びたがる傾向があります

これは過酷な自然環境下においては より強い遺伝子を持った配偶者選択をした女性の遺伝子の方が遺りやすかったためであり

「吊橋効果」的に男に対しての恐怖心による脈拍数や呼吸数の増加による興奮状態を感じる相手を選びがちな先天的習性として組み込まれているからです

若い女性は自分の主観的恋愛感情というものが 神聖で純粋なものであるかのような感覚(主観的印象)を持ちがちですが そもそも恋愛感情などというものは動物的な繁殖行動バイアスに過ぎず サルの繁殖行動バイアスと基本的には同じものでしかありません

しかし ヒトという種の生物は 自分の個人的主観こそが意識の本質か何かだと勝手に妄想し 自身の主観的印象には絶対に間違いなど存在しないものであるかのような感覚(錯覚)が働くことによって 冷静になって考えれば どう見たって糞DQNの男と子供を作ってDVに苦しむ事態に陥るであろうことすら 見えなくなってしまうのです

 

子供にとっては信頼できる大人が必要ですが 自分が大人として 社会的責任を負う立場になったのであれば 盲目的に権威や多数やマスコミの言っている内容を鵜呑みにすべきではなく キチンと自分の頭で論理客観的根拠に基づいて考え検証して 責任を持って社会的判断をする義務があるのです

「実証不能の神なくしては生きられない程弱いもの」などという話も ご都合主義的こじつけに使われることの方が圧倒的に多く 実際には実証不能の神を信じるが故に無駄な「強さ」を発揮して他人に多大な迷惑をかける事象の方が圧倒的に多いのです

重要なのは 強いとか弱いとかではなく 真実か嘘かを見極める能力であって 強弱はどうでも良い話なのです

現実には実証不能の神を信じている人などいません もしいるとしても その人は神の代行で正義を振り回したりはしないはずです だって神が実在するなら神が正義を下してくれることになっているからであって 神の代行で正義を振り回している時点で実は神を信じていない証拠なのです

 

刑罰という制度は「進化的に正しい行動」に該当するでしょうか?

後天的要素の方が圧倒的に大きい犯罪者に対して 暴力的懲罰を加えて満足しても 何ら遺伝的に「正しい進化」が促される仕組みになどなっていません

むしろノルウェーの「リゾート刑務所」のような処遇の方が再犯率低下や更生率の向上にとっては圧倒的に有益であることが既に立証済みであり 犯罪というものが後天的要素の方が圧倒的に大きいことの一つの客観的立証でもあります

しかし ヒトという種の生物は 先天的に懲罰こそが唯一最大の「解決」になるものだという感覚(錯覚)が働くことによって 何が何でも懲罰を与えておかないと主観的に気が済まない習性が働くため 非合理で不毛な刑法制度にばかり頼ってしまうのです

制度上では刑法判決は「解決」とみなされ 後は民事裁判任せの金目でしか「解決」として扱ってくれません

しかし 本当に犯罪被害者が望んでいるのは 犯罪が繰り返されないことであって 罰や金の問題で済まされる話ではないのです

社会安全性の観点からも 懲罰や賠償金の額が社会安全性に有益であることの根拠などどこにもないのです

通り魔を死刑にしても 通り魔事件はなくなりません

それはテロも同様です

テロリストや通り魔は刑罰を怖れて実行を止めるということはありません なぜなら自分の命も惜しくはないからです

権力を掌握した独裁者なんて なおさらです

自分の人生を賭けてでも他人に危害を加えようとするのは 当人にとっての「正義」に基づいた懲罰感情を満たそうとしているからであって 刑罰も含めた暴力的最終解決以外が「見えて」いないためです

自分の個人的な懲罰報復感情を満たすことだけが「目的」になってしまい まるで薬物中毒患者の禁断症状のように懲罰に依存した行動しか出来なくなってしまっているのです

社会制度として刑法懲罰を正当化している限り 懲罰的報復感情を満たすためのあらゆる暴力的行動もまた正当化され続けてしまうことになるのです

「俺のような奴は死刑になったら良いんじゃ!」と主張している通り魔を 望み通りに死刑にして一体何が「解決」だと言えるのでしょうか?

本当に通り魔事件の再発防止を望むのであれば 「なぜ非合理な暴力に暴走することで満足するような無責任な奴になったのか」についての徹底した原因究明が必要です

アオリ運転なんぞするバカを殴ったら アオリ運転をするバカがいなくなるわけではなく むしろ懲罰的報復感情によって衝動的にアオリ運転というものは行われているのであって 当人に自己客観的自制心というものが働かない頭の悪さを自覚させることの方が再発防止にとっても有効だと言えるのです

 

ヒトは その先天的習性として 論理客観的根拠のある合理的解決策よりも 主観的な満足感や安心感の方を優先しがちな性質があります

これは進化的に組み込まれた「結果」的な性質であって 社会安全性や公平性を基準にした合理的「目的」意識に基づいたものではありません

遺伝的進化をすれば戦争がなくなるわけでも 犯罪が減るわけでも 間違えが少なくなるわけでもありません そんな収斂進化が促されるような淘汰圧力自体が「人間の社会」にはありえないからです

ナチス政権を作り出したドイツ民族を淘汰殺害したら 独裁政権の再発防止になるわけではありません

なぜなら独裁政権というものは民族国籍に依らず どこでも起きうるものであり ヒトという種の生物に普遍的に見られる先天的欠陥に起因するものだからです

遺伝的進化によってヒトという種の生物にまで進化を遂げましたが 遺伝的進化そのものは何かの目的に基づいて起きたわけではなく あくまで結果的にヒトにまで進化が促されたに過ぎないのです

偶然にもヒトはその大脳容積によって 目的に基づいた合理性のある行動選択可能性をも持つことができるようになりましたが その能力を発揮するかどうかは「意識(自由意志)」の有無に依存するものです

主観的な欲望や根拠のない常識に基づいた無意識な行動バイアスに流されているだけであれば 本質的な目的に基づいた意識は働くことはありません

「本当の目的」が何なのかすら自覚できていない状態であれば それは無意識としか言いようがありません

夢遊病者かゾンビの群れが どんなに多数で「大きな力」を統率協調的に発揮しても それは暴走にしかならないのです

暴走の先にあるのは破綻だけです

「破綻しても構わない」と言うのであれば もはやこの文章を読む必要はありません

そんな無責任や奴が 何を読んでも意味などないからです

 

 


Ende;

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N60 530-501

2022年05月09日 20時24分16秒 | 日記

自室の中で風景として溶け込んでいたのだが

600ミリまで測れるミツトヨの巨大ノギスが何十年も放置されていることに気づいた


新品だと61,500円だそうだが

中古なんで半額だな

3万円で送料込みってところだろう

重たいので送料もそれなりにかかりそうである

箱も汚いので処分したい

ちなみに「デプスバー」ってなこのことだ

穴の深さとか測るために使うのだ

 

 

あと10気圧用のレギュレーターが机の奥にしまい込んであったので

価格を調べてみたら新品でも7,000円程度のものが多かった

確か買ったときには1万円以上したと思ったけど

意外と安くてビックリだ

半額の3500円で売るとしても送料込みだと重たいからそれなりに取られそうで嫌だな

何かを売ろうとすると運送屋の儲けばっかり取られて実入りが少ない

東京23区内だったら自分で運べば良いのか

でも60センチのノギスは自転車では運べないな

 

 


Ende;

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不思議な地震

2022年05月09日 19時13分03秒 | 日記

地下深い所が震源で 揺れがプレート境界を伝って変な場所ばっかり揺れる現象というのが

時折あるんだそうだ


以前にもっと凄いのあった

果たして同じ現象なのかはわからんが

 

 

Ende;

 

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DARK ESPRESSO FLAVOUR

2022年05月09日 14時31分06秒 | 日記

ベルクス浮間舟渡店の左側出入り口の近くに

おポーランドのWedel社製チョコレートが

賞味期限が近いもんだから2割引で売ってた

賞味期限は6月25日まで

140×0.8=112円のはずが

実際に3っつ買ったら333円だった

若干計算が合わない

 

好き好きはあるかも知れないが

ハゲヲヤヂ的には旨いと思う

他の奴はちょっと甘すぎて苦手なので

買う時はこれしか手を出さない

 

 ↗ベルクス浮間舟渡店

 

 

Ende;

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夢遊病者のようなもの

2022年05月09日 12時01分55秒 | 意識論関連

ヒトの意識の9割は無意識だと言われている

無意識下で働く情動(主観)によって行動バイアス(偏り)が生じることで ヒトも含めて動物というのは行動を促される

促されるのだが 責任ある社会人としては情動のままに行動していたのでは犯罪者にしかならない

通りすがりの女子中学生に性的興奮をしたからといって強姦していたら強姦魔以外の何者でもない

原発の危険性を知りながらも 組織に迎合することで保身を優先してしまえば これもまた無責任というものである

 

「任意のタイミングでボタンを押す」という時点で これは客観的論理検証性を介さない判断であり 「好きな時に押す」という主観の検証にしかなっていない

振り込め詐欺師に騙され 「自分は絶対に騙されていない」と主観的にどんなに強く思っても それこそが個人的な主観的印象に過ぎず 論理客観性を失ってしまう大きな要因でもある

主観というものがそもそも無意識なのであって 自分の遺伝子も自分では選べない以上は 自分の脳の構造に由来する情動バイアスも選ぶことなどできないのである

選択不可能なものは「意思」でも「自由」でもない

ミニスカートの女子高生が階段を上がっていて おパンツが見えそうだと反射的に覗き込みたくなることもあるが その主観的情動のままに行動していたのでは到底自由意志とは言えないのである

サルなら情動のままに行動していても致し方あるまい サルには客観的論理検証性なんぞ働く程の脳容積などないからだ

それなら 情動のままにしか行動が選択できないサルの方が幸福であろうか?

目先の情動を満たすことしか頭が働かないサルのようなバカのことを 社会的な「人間」として見ることが可能であろうか?

サルのようなバカになりたいと望んでいるのであれば もはや大脳を切除するロボトミー手術でもしなければなるまい

社会的に無責任なバカを 「バカだ」と認識可能であるという点において ヒトは自分の行動を動物的情動という無意識から解放すること「も」可能なのである

ヒトは 他人が社会的に無責任な行動を採らない前提において社会持続可能性や安全性を得ることが出来るのである

他者の人間性を前提として 社会安全性というものは担保されているのであって 相互信頼なくして人間社会はありえないのである

しかし これを曲解して盲目的に権威や多数派を信用し 自律的な社会的責任判断選択を放棄して良いわけではない

なぜなら 権威であろうと多数であろうと「ヒトは間違えることがある」からだ

権威や多数の意見が常に正しいと「思って」いれば 主観的(情動・無意識)には安心満足感が得られるのだろうが その無意識な安心満足感こそが自律的な論理客観的検証判断能力を不具にさせてしまうのである

だからこそ 振り込め詐欺師の荒唐無稽な嘘にもヒトは簡単に引っかかるのである

本来働くべきはずの1割の意識 自己客観性というものが 9割の無意識な情動によって覆い隠されることで ヒトは簡単に嘘を鵜呑みにするようになるのである

 

寝ている間に見た夢のように 論理的に支離滅裂で脈絡のないストーリーは記憶することすら困難だが 寝ボケているわけでも酔っ払っているわけでも殴られて朦朧としているわけでもないのに 嘘やデマや錯覚を鵜呑みにしてしまう危険性というものがヒトという種の生物には普遍的に存在するのである

ブレーキとアクセルの踏み間違いにおいても 「自分はブレーキを踏んでいるはずだ」という主観的思い込みが強く働くことによって 「自動車が暴走しているんだから 今自分が踏んでいるのはアクセルではないか」という論理客観性が覆い隠され 踏みかえるという動作が出来なくなるのである

そして 自分が既に行った行動を後から正当化する形で「自動車が暴走したのは 自動車が壊れたからだ」というエピソード記憶をでっち上げて「自分は間違ってなどいない」という事後正当化の屁理屈をでっち上げてしまうのである

こうした状態であれば 「自由意志」も「意識」も一切ないと言うことは可能だが 痴呆老人の行動や言動だけを取り上げて「自由意志選択など一切存在しない」などと断言するのは 科学的客観性のある根拠が全くなく 社会的にも無責任極まりない大嘘である

実際に脳科学者共は「意識は氷山の一角」と述べているにも関わらず「意識はない」などと言っているのであり 論理整合性が著しく欠落しているのである

本質的意識というものは 情動も含めた意識全体からすれば1割にも満たず 恐怖やパニックなどの状況によっては簡単に論理客観性を喪失して論理整合性のない嘘やデマを信じ込んでしまうこともある

もし自由意志が一切存在しないというのであれば 通りすがりの女子中学生を強姦したとしても「自分は自分の行動を選択することなど科学的に不可能であることが立証されている」とでも言い逃れすることが可能となるのである

実際に暴走族が「誰も俺たちを止めることなどできない」などと主張することもあり こういったバカには意識も自由意志選択も存在していないのである

 

嘘か真実かは 論理客観的に考えれば判断することは可能であるのだが ヒトの大半は自分の個人的な主観的印象に基づき 気分が良くなる話は盲目的に信用し 自分の気分が悪くなる話は信じたがらないものである

意識の9割を占める無意識な情動によって作り出される主観的印象が優先することで 論理客観的検証判断能力が阻害され デマや嘘でも簡単に鵜呑みにするものなのである

読書猿は「実害があります」などと宣言しておきながら 「古典を学べばデマや嘘に騙されずに済むかも知れません」などと根拠の乏しいあやふやな話で衆愚人気を集めている

「学校の勉強は認知的ワクチン」などという話にも根拠はなく 実際に東大医学部に入れる程偏差値の高い学生がオウム真理教に洗脳されていたのである

「学力偏差値が短絡的に知能を論証しているはずだ」といった 論理客観的には根拠のない大衆観念にとっては 「学校の勉強さえやっておけば認知的ワクチンとして働いてデマや嘘には騙されなくなるはずだ」という印象操作によって衆愚人気を集めているのであって 実際には認知科学的には根拠のないデマの方が大衆の気分を良くさせるように働くことになるのである

とは言っても 学ぶことの全てが無意味だと言っているわけではなく 学校で画一的に偏差値で順位付けをすることには意味がないと言っているのであり 偏差値に関わらず主体的に学ぶ能力を身につけないと「学力偏差値が高いだけのバカ」にしかならない危険性が排除できないのである

他人と比較して偏差値が高いと 他人よりも優位に立てたかのような感覚が得られるものだが その偏差値という基準自体には認知科学的な知能の根拠がないことを知らずに 漫然と学力偏差値だけを追求しても それはもはや脳の報酬系の反射的行動動機としてしか働かず 主観的印象でしか物事を判断できず しかも他人との比較による優位性ばかりを追求するプーチン大統領や通り魔のような暴走者を生み出すことになる可能性が充分にある

世間的に成功しようがしまいが どのみち他人との比較でしか満足感が得られない中毒禁断症状であるから たとえ一国の最高権力者になれたとしても 身勝手で暴力的解決しかできないバカげた行動しかできなくなってしまうのである

自分の脳内麻薬を自給自足出来ない状態であるからこそ プロパガンダによって国民を騙してでも他人からの評価を得ようとし続けようとするのである

その意味において プーチン大統領にも自由意志はないのである

つまり 自由意志がない奴というのは迷惑者にしかならない

 

 

 

Ende;

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