書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

重大事象の陰にある無責任さ

2022年05月15日 13時45分58秒 | 意識論関連

ヒトがなぜ嘘やデマや間違いを鵜呑みにしてしまうのか

その原因はいくつかあるが 基本的に全て先天的な情動に起因するものである

原因の一つは 自己過信である

「自分だけは絶対に間違えない」という過剰な自信は それ自体が満足感を得られる快楽(脳内麻薬)であるため ヒトはすぐに自己客観性を喪失して錯覚などの間違った認識を信じ込み また 気分的満足感故に「考え直してみる」ことをしなくなるのである

洗脳の話でよく取り上げられる「認知的不協和」とは 要するに「気分が悪くなる」ことであって 主観が論理客観性を阻害する先天的なメカニズムを論じているのである

自己過信による満足感というものは 一度自分が信じ込んだ内容を否定された時には 既に信じ込んだ過去の自分の頭の悪さを自覚したくないというバイアスが働くことによって 条件反射的に拒絶反応を示し 益々頑なに「自分は間違っていない」と盲目的に信じ込むようにもなるのである

これはもう ヒトの脳に先天的に組み込まれたシーケンシャルな反射的情動であって ヒトである以上は避けることができないものでもある

だが 情動そのものは選択不可能ではあるものの 情動に無為に無意識に流されることなく自己客観的に「考え」 「本当の目的」に則って行動選択をすること「も」可能である

主観的に「信じたい」という「思い(情動)」の強度程度だけで無意識に行動が決定してしまうのではなく 「信じるに価するだけの論理客観的根拠や証拠が存在している話なのか」を「考え」る理性によって ヒトはデマや嘘や間違った情報にも無為に流されないようにすること「も」可能となるのである

ところがヒトというのは どうしても自分の主観的印象の方を優先してしまい どんなに論理客観的論証を並べても内容を「理解」することなく ただ漫然と「知って」いることを自慢するばかりで 何が本当の真実なのかを自分の頭で「考え」て判断することは極めて稀である

ヒトがカルト宗教はエコーチェンバーや詐欺に引っかかってしまうのは 嘘やデマを主観的に「信じたい」と「思い」の強さを 自分の意識の中核だと錯覚していることが原因である

 

「意識の9割は無意識」と言われるように ヒトの感覚的意識の大半は実は大脳辺縁系によって促される無意識なバイアス(偏り)に過ぎず だからこそ「お茶くみは女子社員の仕事」などという因習を漫然と続けてしまう原因ともなる

「運動中は水を飲むな」といった非合理な話も 数々の不条理で根拠のない学校の規則が温存され続けてしまうのも 既存の「常識」という刷り込み学習された話に対する客観的検証性が全く働かないというヒトの脳の性質によるものである

 

2つ目として挙げられるのが 権威に対する盲目性である

ヒトは哺乳類であるため 産まれてくれば初期的には親を盲目的に信頼し 服従忖度迎合するものである

この盲目性が血縁続柄を超えて集団の中の統率者に転移したのが「権威」というものであり 権威を盲目的に信じておくことができれば安心満足という快楽が促されるようなバイアス(本能的な行動の偏り)が組み込まれているのである

左側頭葉の一部に強力な時期刺激を与えると 「神を感じる」ことがあるというが これは哺乳類としての「親に対する盲目的信頼」がコラムとして組み込まれているからであると考えられる

つまり ヒトというのは自分で物事の真偽を判断するよりも 短絡的に親や権威の指示命令を唯々諾々と鵜呑みにしておいた方が気分的に楽で 安心満足感が得られる仕組みが存在しているため スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験のような結果も引き起こされるのである

 

○「サイバネティクスの観点から」

ミルグラムによる「服従心理実験(通称「アイヒマン実験」)では 「サイバネティクスの観点から」と題して進化的有用性の論証をしているが この書籍が書かれた時代にはまだ遺伝的進化というものが目的に則って都合良く引き起こされるかのような錯覚に基づいていた時代であって こうした「解釈」は根本的に間違いである

進化的にはヒトは限られた環境資源の奪い合い競争を勝ち抜くのに都合の良い習性を持った変異個体への収斂進化が促された結果として 封建的な序列による集団統率的協調性を発揮するようになったのであって こうした先天的な本能習性が暴走することによってヒトはデマや嘘を鵜呑みにして一方的な暴力によって物事を解決しようとするのである

ワクチンの安全性が100%確実なわけではないものの 喘息などの基礎疾患がある場合にはワクチンを接種しておいた方が打たないよりはリスクが低いとは言えるため 打つか打たないかは個人の裁量に任せているのであって それをワクチン反対派で集団になって暴力的に小児科医院に闖入して妨害するなどというのは 典型的なバカのヒステリックで無意識な情動行動である

なぜ こうした非合理な行動に陥るのかといえば 自分達の主観的な感覚を 短絡的に「正しい」と錯覚している慢心の共有(共感)に起因するものである

学校でのイジメにおいてもメカニズムは同じであり イジメをすることで得られる目先の快楽を複数で共有(共感)することによって得られる仲間意識の安心感ばかりが追及されてしまい 最終的には暴力が殺人にまで発展するほどに自制心が全く働かなくなってしまうこともある

他人に危害を加えることが仲間内での評価基準になってしまえば 必然的に危害が過激化しかしないのは当たり前の話である

他人を貶めている間は 相手との比較によって「自分の方が優位」だという感覚が得られ この快楽の中毒症状に陥ることで他人(被害者)を貶め暴力を振るう競争が始まってしまい 仲間内でより危害を加えられることが「評価」基準となることにより より酷い危害を加える者がヒエラルキーの統率者としての評価も得られるために イジメは殺人にまで発展してしまうこともある

それが大人なら自制心が働くかといえば ワクチン反対派の小児科医院闖入事件のようなバカげたことが起きることからも 年齢さえ重ねれば自制心が働くわけではなく 日本大学の組織腐敗が温存されていたことからも 学力偏差値の高い学府においても洗脳的エコーチェンバーは簡単に生ずるものなのである

東京大学医学部の学生が地下鉄サリン事件を引き起こしたのも 学力偏差値は知能や「認知的ワクチン」としては機能しないのである

「博士ちゃん」達というのは 将来のさかなクンや加藤英明や千住真理子のようなものであり 主体的に純粋に自分が突き詰めたいと思っているものがあれば イジメなんぞしている暇なんぞなくなるのである

他人からの評価に左右されずに 純粋に自発的探究心や好奇心を持てるものがあることによって 試行錯誤もできるようになるのであって 「教えられたこと」をただ「知っている」だけの知識でしかないから応用性が著しく欠如してしまうのである

遺伝的進化が生ずる過程には 膨大な「失敗(絶滅)」が伴う可能性の方が圧倒的に高いということも 遺伝的進化のアルゴリズムやプロセスを自分の頭で考えればわかるにも関わらず 「○○のために進化を選んだ」などという話まで鵜呑みにして あたかも遺伝的進化の全てが都合良く「成功」するかのような解釈まで鵜呑みにしてしまうことになるのである

これは 現状の学校教育における「教えられたことを 教えられた通りに答えられる」能力しか測っていない学力偏差値評価基準の欠陥によるものであり 教えられた内容に間違いや嘘があっても 権威と見なした相手の言っている内容を盲目的に鵜呑みにすることしか出来ないバカの大量生産システムが蔓延しているからである

学力成績という抽象化された「脳への報酬」に対する条件反射的行動バイアスしか働いていないからこそ 自分の頭で物事を論理客観的に判断しなくなり 教えられたことを「知っている」だけであって 内容に論理整合性が欠如していても 誰も気づかないという頭の悪さを大多数の大衆は存分に発揮しているのである

遺伝的進化というものは 「拡がりやすい遺伝子」への収斂進化が促されるだけであって バカの方が有利な環境であるならば ヒトはバカにしか「進化」は促されることはないのである

物事を論理客観的に検証しなくなる原因とは 本質的自発性による試行錯誤を経験せず 権威と見なした相手の言っていることを鵜呑みにすることだけが評価基準になっているため 情動が短絡的に行動に直結してしまい 自己客観的な論理検証性が損なわれてしまうのである

 

「他人から褒められると 気分が良くなる」 これはシーケンシャルなヒトの情動であり 快楽を感じる情動バイアスである

しかし ヒトは権威に逆らうことに対しての根拠のない罪悪感のような忌避感を抱いてしまう習性があるため 権威と見なした相手の言うことを安易に鵜呑みにしておく安心感(主観)の方を優先してしまい 権威と見なした相手の言っている内容を自発的に論理客観的根拠が伴う真実かどうかを検証しなくなる思考バイアスとして働くことで 権威と見なした相手に対する批判の全てを「間違っている」と錯覚するようになるのである

相手が京都大学学長だろうが 日本医科大学の特任教授だろうが 東京大学名誉教授だろうが ヒトである以上は間違えることもあれば 卑劣な嘘つきに過ぎないこともある

京都大学の松沢哲郎は 総額11億円もの研究費不正流用をやらかすという 約束事すら守れないバカであるにも関わらず 「チンパンジーの行動習性から 人間としての社会性を立証できるかも知れない」などという 実際には何の論理的根拠もないデマで大衆マスコミから人気を集め 文化功労賞まで獲っているのである

既に残虐行為を行ったロシア兵を チンパンジーの代わりに鋼鉄製のケージに押し込めて 彼らが一体どのような行動を採ったとしたら 既に行われてしまった残虐行為の反証(人間としての社会性の立証)になると言うのであろうか

いちいち説明しなければ誰も自分の頭では考えない上に 何度説明しても理解しないというのは もはや「バカ」としか言いようがないのである

 

面倒くせぇ(個人の主観的感想です)

 

ウクライナ軍への軍事支援をいくらしても 戦争そのものの再発防止にはならない

フィンランドやスェーデンのNATO加盟も同じことである

プーチン政権のような腐敗したバカ閣僚しかいない組織が出来上がってしまうメカニズム原因を解明しないことには 非合理な行動に陥るバカの再発防止にはならない

ウクライナ侵攻が起きる前にも 腐敗組織や洗脳によるエコーチェンバー現象は幾度も起きていたのであり 事象が小さな段階において徹底した原因究明によって 「ヒトがバカになる原因」がわかっていれば ウクライナ侵攻はもとより パレスチナやミャンマーでの野蛮行為にも応用できた可能性はある

「一つの大きな事象の陰には 無数の小さな事象が隠れている」のであって 小さな事象の段階で合理性のある対策を採ってこなかった多数の無責任さこそが 重大事象への発展を防げなかったのである

 

 


Ende;


ツケ

2022年05月15日 01時35分49秒 | 意識論関連

スタンレーミルグラムによる服従心理実験では 被験者は権威と見なした相手の言っていることを鵜呑みにして 疑うということをしなくなり 他人に危害を及ぼす行動を促されても唯々諾々と従ってしまう性質がヒトには普遍的に存在していることを立証している

実験室以外においても 「哲学者」という肩書さえあれば イマヌエル:カントの「純粋理性批判」の内容を説明されて その内容に論理の飛躍や実証不能の謎の観念が混入していることについては 100年以上も誰も指摘せず 「近代哲学の最高峰」などと形容して唯々諾々と鵜呑みにしてきたのである

ヒトの大半は自分の頭で物事を論理客観的に「本当の話なのか」を識別しようとすらせず 権威に言われた内容を盲目的に信用して 何の疑いも持たずに鵜呑みにする先天的な認知上の欠陥が存在しているのである

この認知上の欠陥を 平たく言えば「バカ」と言う

ヒトは先天的にはバカなので チャールズ:ダーウィンによる遺伝的進化のメカニズムを説明されて「知って」いるとしても 知識として「知って」いるだけで論理的には誰も「理解」はしておらず 「○○のために進化した」といった合目的的な進化の説明であっても何の疑いも持たずに鵜呑みにするのである

今現在 学校において遺伝的進化をどのように説明しているのかは知らないが 「遺伝的進化には目的がない」と説明しておきながらも 一方では「○○のために進化した 進化を選んだ」といった論理整合性のない説明を続けているのである

遺伝的進化というものは 死なずに生き残った生物の結果に過ぎず 「目的のために進化した」のではなく 「拡がりやすい遺伝子だけが遺った」だけの話に過ぎない

ブチハイエナのメスの義陰茎による6割も死産しているとしても 結果的にそれを上回る繁殖をすることによって 個体数が維持できてさえいれば現存生物として成立するのであり 実際に成立している

個体がどんなに苦しもうとも 一定数が死のうとも 絶滅せずに個体数さえ安定的に維持できれば「環境に適応して繁殖を維持」できていることになり これが遺伝的進化というものの実相である

ヒトの男の浮気症も 出来る限り多くの女性と子供を作りたがる習性を持った男の遺伝子の方が「拡がりやすい」結果として進化的に組み込まれた習性であって それは誰の「目的」に基づいたものでもなく ただの自然現象の「結果」でしかない

生態系も含めて恒常安定性への収斂進化も 恒常安定性が得られなかった個体種や生態系の全てが死滅した結果であって 決して個体や生態系の全てが常に恒常安定性を獲得するような変異以外が生じないわけではない

遺伝的進化による現存生物や生態系だけを見れば 結果的には恒常安定性が獲得できた個体や生態系だけしか残っていないからといって 進化の過程で常に恒常安定性にとって都合の良い変異しか起きなかったわけではない

あくまで変異というのはランダムなものであって 遺伝的進化というものは膨大な失敗(絶滅)の果てに偶発的に生じる「結果」であって 決して進化の全てが向上安定性を獲得して存続可能になることが保証されているわけではないのである

オミクロン株はデルタ株よりかは重症化しづらいとは言え 一旦重症化した場合の死亡率はあまり下がっていないため 治療現場の医師によって「弱毒化はしていない」という見解もある

現状ではオミクロン株はBA.1~BA.5まで変異が確認されているが これからどのような変異が起きるのかは誰にも予測は出来ない

「拡がりやすい」という「感染力が強くなる」結果以外においては 遺伝的進化によって何が起こるのかは誰にも予測がつかないのである

何せ遺伝的進化というものは バクテリアがヒトにまで進化することもある奇妙奇天烈なものであって それこそヒトの体内で起きている生理現象の全てをコンピューター上でシミュレーションでもしなければ ウイルスの変異がどのような影響を及ぼすのかは予測がつかない

現状では世界最速のスーパーコンピューターを使ったとしても そもそもヒトの生理現象の全てが解明されているわけではないため シミュレーションのしようすらないのである

富嶽で計算できるのは 精々飛沫の飛散予測程度しか現状ではできないのである

ウイルスが弱毒化するプロセスとは 弱毒変異株以外に感染した宿主ごとウイルスも死滅し 弱毒変異株だけへの収斂進化によって引き起こされるものであって 大手町の医師が言うような「環境に適した変異がどんどん起こる」だとか「毒性が強すぎると弱毒化しない」などという話には科学的根拠が全くないのである

実際に弱毒収斂進化が起きたアナウサギにおけるミクソーマウイルスは当初95%もの致死率があり ヒトに対するエボラ出血熱ウイルスも当初の死亡率は70%を超えていたのであり 「毒性が強すぎると弱毒化しない」などというのは大手町の医師による根拠のないデマである

ミクソーマもエボラも 当初よりは弱毒化が起きているものの その致死率や死亡率は50%前後にしか低下しておらず 宿主を完全に絶滅させない限りは「繁殖の継続」にはなるため 別にそれ以上の弱毒収斂進化をする「必要性」すらないのである

それは ブチハイエナの死産が60%もあっても種として存続可能なのと同じで 後天的にどんなに苦痛であろうと困難であろうとも 種として絶滅さえしていなければ「生物」として存続し続けられるのである

ましてや「月経の痛みが進化でなくならないのかしら」などという予測は 遺伝的進化のメカニズムやプロセスを全く理解していないバカげた妄想観念に過ぎない

こうした衆愚の妄想観念に対し 生物学者は「進化には何千万年もかかる」などという「説明」しかしていないが 実際には収斂を促すような淘汰圧力が働かなければ進化は全く起きることはなく 逆に断種や殺害をすれば数世代で「品種改良」することも可能ではある

要するに遺伝的進化というものは 自然に生ずる「品種改良」に過ぎず 環境に適さない個体種の全てを死滅に追いやる淘汰圧力の結果しかもたらすことはないのである

 

ヒトが権威の命令に服従する習性が働くことによって 限られた環境資源の奪い合い競争に勝ち抜いた個体種への収斂進化が働き 「遺伝子が拡がった」結果として ヒトは懲罰的暴力という正義を振り回す習性を持った変異種への収斂進化が促されているのである

客観的統計からは 懲罰とは全く真逆の措置を採ることの方が犯罪者の更生や再犯率低下にとっては有効性が立証されているにも関わらず 衆愚の多数決によって刑法懲罰ばかりが優先され続け 結果的にヒトの先天的暴力性や危険性や無責任性といったものの原因分析が全く進まないことにより 結果的にロシアによるウクライナ侵攻やミャンマー政府軍による民衆弾圧といった「暴力で解決」する蛮行が全く収まらないのである

 

 

 

Ende;


「美しい」という主観

2022年05月15日 01時18分28秒 | 意識論関連

「美しい」という主観的感覚に対して ヒトは短絡的に「正しい」という錯覚が促される性質がある

振り込め詐欺師の話し方が「丁寧」だったことから信用したという主観的印象は 「丁寧」な話し方に対する美的感覚から促されるものである

盲目的洗脳の要因においても 「信じたい話」に対する主観的美的印象が「正しい」という錯覚を促すのである

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験においても 被験者が権威の命令に服従する原因である権威への盲目性とは 権威を盲目的に信頼することへの美的感覚が促すものである

「美」とは すなはち「脳の快楽」であり 大脳辺縁系によって作り出されるバイアスであり ヒトの祖先の生息環境による淘汰圧力による収斂進化の結果的なものに過ぎない

ヒトという種の生物の脳は 所詮は野生動物と情動自体は同じものであり 必ずしも「人間」として論理客観的根拠に基づいて真実かどうかを「考え」検証しようとするとは限らないものなのである

ヒトの大脳辺縁系というものは 他の動物と比較しても特に大きな違いはなく ヒト特有の脳の特徴とは大脳新皮質の「容積(量)」だけであって 大脳辺縁系によって促される情動自体には他の動物との有意な違いは見られない

過酷な自然環境の収斂進化によって作り出されたヒトとチンパンジーの大脳辺縁系に有意な差など存在しないのであって 情動そのものは野獣のチンパンジーのそれと基本的には同じものなのである

 *:「チンパンジーとヒトとの遺伝子の違いは1%もない」という説があったが 最近では随分話が違っているそうで 同じ基準を適用するとヒトとバナナは50%しか違わないことになるという

最近になってチンパンジーの生息環境資源の枯渇が原因と見られる チンパンジーによるゴリラ襲撃殺害が観測されている

一時期「猿は同族を殺さない」という大衆観念が信じられてた時期があったが 環境資源が枯渇して空腹になれば 普段は普通に接していたヒヒを襲うことも観測されたことがある

チンパンジーは子供の頃には従順で暴力性はほとんどないが 一定の年齢に達すると危険性が高まることから 人と直接接触するようなことはせずに完全にケージに隔離しなければならない

ヒトもまた 祖先は環境資源が枯渇した際にはヒト同士での奪い合い競争に勝ち抜いてきたのであって 文明を築いて環境資源を大量消費できるようなってからは数千から数百年程度しか経っていないのであり これはヒトの進化過程においてごく最近の出来事であって ヒトの進化過程の大部分は過酷な野生環境下でのサヴァイバルによって培われたものである

実際に文明から隔絶された環境の少数民族では 部族間による紛争によって年間1%もの死者が出ると言われており 地域によっても偏りはあるものの むしろ他の動物よりも同種族同士での殺し合いの傾向はヒトの方が強い傾向にあると言える

チンパンジーとは進化の過程の生息環境が異なるとは言え むしろ過酷な淘汰圧力が働く環境だったからこそ大きな違いとしての「進化」が促されたのであって 環境資源が潤沢だった環境だからこそ チンパンジーやゴリラは進化が滞ったとも言えるのであり また決してヒトの方が暴力性が低いとは限らず

実際にヒトも生活資源が枯渇した途端に簡単に暴動に発展することも珍しいことではなく ヒトが平穏でいられるのはむしろ文明社会によって潤沢な生活資源が得られているという環境要因の結果に過ぎないとも言えるのであり 個人が自律的な社会的責任能力を持っている先天的人間性が存在しているから暴力的にはならないわけではない

エサが潤沢に与えられていれば 猛獣であっても暴力的にはなりにくいだけの話に過ぎない

 

ヒトは 犯罪者に対して刑罰を与えることで「解決」したという主観的感覚を持つ先天的習性があるが これには客観的な合理性はなく 主観的気分としての満足感によって促される快楽(美)による錯覚に過ぎない

実際に事故などが起きた際にも 「過失」と称して懲罰処分を加えることで「解決」したかのような感覚に陥っているヒトが大半だが ヒトである以上は間違える可能性なら誰にでも存在しているのであって 被害の程度に関わらず 無責任性の程度の方を問題視すべきであって たとえ何の被害が出なかったとしても 自律的な社会的責任判断能力の程度を問題とし 罰ではなく 「なぜ自律的な社会的責任判断をしなかったのか」についての徹底した検証が必要であり 再発防止にとっては最も有効な知見であることに間違いはないのである

ところがヒトという種の生物は 先天的な本能習性として懲罰などの暴力的威圧を加えておかないと満足感が得られず また主観的満足さえしてしまえば再発防止のための論理客観的な原因究明になど興味を全く持たなくなる認知上の重大な欠陥によって 合理性のある行動を全くしなくなってしまうのである

懲罰に対する快楽を「正しい」ものとして主観的に感じてしまうことによって 社会安全性という「本当の目的」を簡単に忘れてしまうのである

懲罰による社会安全性を後回しにしてしまう性質に限らず 他にも様々な「錯覚」によって論理客観的合理性のな行動や社会制度にも全く疑問を持たずに鵜呑みにし安心してしまうのである

既存の根拠のない「常識」に囚われることを 「潜在知」などと称して正当化しようとするバカも多いが 主観的に無意識なバイアスである以上は「知能」とは言えず 意識(論理客観)的根拠に基づいた真理かどうかを見分けらえるかどうかが本当の知能だと言えるのである

 


プラトンは美的感覚を短絡的に真理だと決めつけたが 言うまでもなくこれはプラトンの主観的「決めつけ」に過ぎず 論理客観的根拠が伴わない

そもそも「イデア界」って何だよ

イマヌエル:カントの「叡智界」同様に意味わかんねぇよ

誰か根拠を示したことあんのかよ

糞しょうもな

 

 

Ende;