ヒトはどうしても目の前の多数と同じであることに安心してしまう性質があり
オウム真理教などのカルト宗教であっても 教団内部の多数が信じている話に同調しておいた方が安心することができる
一度こうした価値観を「学習」して「慣れて」しまうと そもそもが「慣れ」とは脳の常習性が作り出した「中毒」であるため 簡単に盲目性となって論理客観性というものを喪失してしまう原因ともなる
振り込め詐欺に騙される人の多くは 「相手の話し方が丁寧だった」などという主観的印象で物事を判断している
論理的に考えれば電話でキャッシュカードの暗証番号なんぞ聞いてきたり 「ATMに行ってください」などと言い出した時点で詐欺確定なのだが そうした自己客観性が主観的印象によって簡単に失われてしまうものなのである
ロシア人の多くがプーチン政権によるあからさまなデマやプロパガンダを信じようとするのも 主観的印象が優先しているからである
動物の行動は基本的には「怖いか 怖くない(安心)か」といった主観的情動によって決定するものである
スズメなどが集団で一斉に同じ方向に飛び立つ習性も それが安心だからであって 必ずしも合理的とは言えない行動であり そもそもスズメは自分の行動を合理的に考えて選択しているわけではなく 気分的に不安に陥った瞬間に衝動的に飛び立っているだけであって 本能習性のおもむくままに走っている自転車の直前を横切るのである
ネコもよくやる
道端にいるネコが 自転車や自動車で近付いた瞬間に直前を横切るという行動が良く見られる
ネコの主観的目線からは 直前になるまで距離感がつかめないという事情があるにせよ ネコはどうしても近づいてから急に直前を横切るという行動をしがちなものなのである
自転車や自動車が目の前に来て 大きく見えたことで逃走本能バイアスが働き 衝動的に前を横切る
前じゃなくても良くね? と思うのだが ネコというのはどうしても前を横切りたいらしいのだ
シカも 線路上で列車の前照灯の強い光に照らされると 光をジッと見つめて動かなくなる習性があって これが事故の大きな要因となっている
ネコやシカの祖先が 一体どのような生息環境によってこうした先天的習性が組み込まれてしまったのかは知らないが 先天的な本能習性自体は合理性の有無に関わらず 選択はできないものである
「欲望そのものは 欲することができない」のである
ミニスカートの女子が足を上げようものなら 衝動的に下からスカートの中を覗きこもうとしてしまうのがスケベハゲヲヤヂの先天的習性というものである
だからといって「先天的本能には抗えない」わけではない
ネコやチンパンジーやカブトムシじゃねぇんだから
「うわー 見えそうだー」と思いながらも目をそらしたりすることは可能である
時折ついウッカリ見てしまうこともあるかも知れないが
それこそが「無意識」というものである
半分寝ぼけてたり 飲酒で酩酊状態なら良くあることである
酔っぱらいによる迷惑行為というものは官僚でもやらかすことがあって 時折警察官による不祥事として報道されることもあるが 実際には公務員以外の酔っぱらいによる迷惑行為の方が圧倒的に多い可能性があるのだが そこには報道バイアスというものが働いて 警官や教師の不祥事ばかりが報道されていると考えるべきであろう
私はエタノールやニコチンで脳を麻痺させようと思ったことがないので 何でわざわざ酩酊状態になるまで酒を飲もうとするのかが理解できないのだが よっぽど生きて世界を直視することが苦痛なのではないかと不憫に思ってしまう
こうした酔っぱらいによる迷惑行為も問題ではあるのだが
酒で酔っ払って酩酊状態でもなければ 寝起きで寝ぼけているわけでもないのに嘘やデマを信じ込んで間違った行動に陥ることも ヒトには見られることがある
スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験の被験者も 別に酔っ払っていたわけでも 寝ぼけていたわけでもないのに権威の指示に従って他人に危害を加えてしまったのである
多くのヒトは こうした出来事を「他人事だ」と思うことによって「自分には関係がない話だな」という分類をしたがる傾向が強いが これもまた「正常性バイアス」という情動(欲望)によって促される錯覚の一種なのである
「利他的行動習性が一面的であると言うのであれば 特定環境下で見られた暴力性や盲目性であっても ヒトの先天的危険性の論証とは言えないのではないか」などと言い出すバカがいて呆れた
トラックのタイヤが走行中に外れて歩行者などに激突して死亡する事故が稀だからといって これを無視して良い理由にはならない
トラックというものが社会の物流においてどれだけ貢献しているとしても 回避可能な危険性を放置しておいて良い理由には全くならないのである
原発がどんなに安価な電力を供給できるとしても 暴走して放射能をぶちまける可能性を無視して良いわけがないのである
服従心理実験環境という あまり普段は体験しないような状況であるとしても 権威の指示に唯々諾々と従ってしまいがちな習性がヒトには普遍的に存在することの立証としては充分なものである
実際の社会においても 日本大学のような田中英寿理事長による腐敗した独裁体制に多くの職員が従ってしまったことや
イマヌエル:カントの「純粋理性批判」の内容に100年以上も誰も疑問を挟まなかったことも
進化生物学上の誤謬が長年傍観放置された上に いくら説明しても「○○のために進化した」といった説明がなくならないのは 知識として「知って」はいても それが実際に生物学上の説明においてどこがどう間違っているのかまでには考えが全く及んでいないのである
遺伝的進化というものは 決して都合良く選べるようなものではなく 生息環境に適応して「繁殖の継続」に適した個体や 「拡がりやすい遺伝子」が拡がるだけである
平気で嘘をついて無責任に誰とでもヤリまくって子供を作っていた方が遺伝子は「拡がりやすい」のであって 誠実に一人の配偶者にしか興味を示さない男の遺伝子は「拡がりにくい」のであり 決して人間性に適した個体種への収斂など起きないのである
ヒトの祖先が環境資源の奪い合い競争に勝ち抜いた結果として ヒトにも統率的協調性による暴力的独占の習性が受け継がれてしまっているが これもまた現代社会にとって合理性のある行動習性を先天的に持った個体種への収斂進化が促されるメカニズムは存在しないのである
イヌもサルもヒトも 先天的には平等が嫌いで ヒトは論理客観的根拠に基づいた論説よりも主観的に安心満足感が得られる話ばかりを盲目的に信頼したがるものなのである
「ヒトは信じたい話だけを 信じようとする」と言うが 「信じたい」かどうかは主観的印象だけで決定しており 話の内容に論理客観的根拠がある真実かどうかは自分の頭で考えて真偽を判定しているわけではない
いくら強く「思って」も むしろ その「思い」込みによってヒトは嘘やデマや間違いを簡単に鵜呑みにして非合理な行動判断に陥るものなのである
ヒトの多く 大衆マスコミは「学校の勉強をすれば 頭が良くなる」と思っている
学校で教えていることというのは 何か認知科学的に内容が精査されていて 学力偏差値が上がることで短絡的に「頭が良くなる」ものだと勝手に錯覚しているが この主観的錯覚(印象)に便乗する形で読書猿は「学校の勉強は認知的ワクチンだから 勉強をすればデマや嘘には騙されなくなる」などという根拠のないデマで衆愚人気を集めているのである
「ヒトを騙そうとする者にとって カモを見つけるのは簡単」なのである
東大医学部に入れる程学力偏差値が高くてもオウム真理教に騙されることはあることからも 学力偏差値というものは認知的ワクチンとしては全く機能しないことが立証されているのであり 読書猿の言っていることの方がむしろデマなのである
ヒトという種の生物は ここ数万年はほとんど進化していない
数万年前のヒトであっても 現代人であっても 先天的な形質や習性自体は同じなのである
科学や哲学といった真理(本当のこと)に対する知識がされ始めたのはここ数千年と考えられ ヒトの進化の過程においては「ごく最近」の出来事であって そんな短い期間で それ以前に組み込まれた先天的本能習性に影響を及ぼす程の「進化」が起きるわけもなければ そもそも遺伝的進化のアルゴリズムの中には人間性が組み込まれるような仕組みも存在しないのである
私は 「どうせお前らバカなんだから 自分で考えたりせずに俺の言っていることを盲目的に信じておけば良いんだ」とは言っていない
むしろ読書猿だの養老孟司やマルクス:ガブリエルの方が遠回しにそうそそのかしているのであって 騙されている方の認識がバカだと騙されていることにすら気づかない
私は 自分の先天的な頭の悪さ(認知的欠陥)を論理的に理解し 自覚することによって より多くの人がデマや嘘に騙されないようにしないと社会安全保障上重大な欠陥になる危険性を述べているのである
主観的に「気分が悪い」などの個人的情動こそが「意識の9割を占める無意識」の正体であって 振り込め詐欺師に騙されている人のように「いや 自分は絶対に騙されてなどいない」という頑なな情動バイアスこそがデマや嘘を鵜呑みにしてしまう根源的原因なのである
私は別に「ウクライナに武器供与をするな」とは言っているわけではなく
「ウクライナに武器供与をしているだけでは プーチン政権のような腐敗した独裁政権が出来上がる構造は判らない」と言っているのであり
火事が起きているのに「消火をするな」と言っているのではなく 「消火だけをしても火事の原因は判らない」と言っているようなものである
火事が起きる度に消火能力を自慢されても 火事の原因究明や再発防止をしなければ被害がなくならないのである
プーチン政権のような腐敗した独裁政権というものは 歴史上幾度も繰り返してきたものであり それを「普通のこと」だと称して「仕方ない」だの「ヒトとはそういうものだ(養老孟司)」などと根本原因を究明しなくなるヒトの精神的怠惰を批判しているのである
「できそうにないことは やらない方が良い(フリードリヒ:ニーチェ)」などという怠惰をそそのかすような「迷言」を 哲学だと勘違いして安心満足しているバカが多すぎるから ヒトの先天的な認知上の欠陥を誰も自覚しなくなってしまうのである
ニーチェは大学でも「哲学」として教えているのであって これは社会的には極めて不適切なペテンであり 授業料を返還しなければならない程の不祥事でもある
「哲学書」と分類されている書籍を読んで鵜呑みにしていれば「俺は哲学を学んだ」と勘違いしているバカは多いが 内容に論理客観的根拠や証拠が本当に伴っているかどうかを「考え」ていない時点で それは「哲学」でも何でもないのである
バカな学術権威は「我々は巨人の肩の上から世界を眺めている」などと称して古典を正当化したがるが ニーチェやカントやプラトンが間違えることの一切ない「巨人」であることの論理客観的根拠が存在するかどうかを「考え」ないように誘導するための「はぐらかし」に他ならない
多くのヒトが主観的に「巨人だ」と思っているからといって その「数」は論理客観的な真理の論拠にはならないのである
ヒトは他人との関係性に順位序列のレッテルを貼りたがる習性があるため 「巨人」などと称して「絶対に何も間違えてなどいない」と盲目的に信用しようとすることで安心満足する習性を利用したペテンである
スタンレー:ミルグラムの「服従心理実験」を読んだ者の中には 根拠も示さずに「それでも権威に服従しない社会は崩壊する」などと決めつけ それに同意同調するバカが大半である
ヒトは権威など盲目的に信頼する対象がいることに安心満足しようとする先天的習性があり その欲望(思考バイアス)の究極が宗教的な「神」として盲目的信仰をすることで脳が満足するのである
宗教者が神が実証不能であることを拒絶したがるのは 神が存在していることにしていないと不安になる中毒症状による禁断症状に過ぎない
これが哲学において発揮されてしまうから 盲目的に古典を信用し続けることで満足しようとすることに陥り 本当は何も「考え」ていないにも関わらず カントによる実証不能の「叡智界」までもが「哲学」として分類されたまま傍観放置され続けているのである
本当は「巨人」などいないのであり ヒトである以上は誰しも間違う可能性が存在しているのであって 間違いを間違いだと気づくことができなくなる原因こそが 特定の「権威」に対する盲目的信頼によって自分の頭で物事を考え検証しなくなる(バカになって何もわからなくなる)根本原因なのである
「平等や公平性が重要」などと言いながら その一方では誰かを盲目的に信頼して疑うことをしなくなるというマルチスタンダードを平気でやらかしている頭の悪さを自覚すべきである
◇
「法の支配」というものも 所詮は腐敗した独裁体制下においては独裁者の都合の良いようにでっち上げられるものでもあり 本当に重要なのは「法手続き」の方ではなく 「透明性」や客観的「合理性」の方なのである
学校での理不尽で合理性のない校則が長年温存され続けているのも 校則の決定判断における透明性がなく 教師による勝手な主観的印象だけで独断的に決めつけてしまうから問題なのである
法制度というものに対して「人類の財産だ」などと形容して法手続きを万能であるかのように正当化形容したがるのは 法手続き上での利権を持った法曹界の主張であって 決して法手続きというものは万能などではない
法律の主旨を逸脱した運用をすれば 「薪ストーブの灰を肥料として売ったら犯罪」にもされてしまうのであって 運用をする権力側の匙加減でどうにでも解釈可能な都合の良い運用が可能な法手続きが万能な訳がない
Ende;