書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

死者数

2022年05月26日 22時06分05秒 | 日記

東京都における感染確認者数の累積に対し

死者が何%なのかと計算したら

都内の感染確認者数累計1,529,320

累計死者数4,434

0.2925%とかだった

 

厚生労働省の全国のデータから計算したら

全国の感染確認者数累計8,687,343

累計死者数30,410

0.35%だった

286人の感染確認者に対して死者は1人の割合

 

ワクチン接種後の死亡例の報告について

 対象期間までに、ファイザー社ワクチンについて1,514件(100万回接種あたり7.7件)、武田/モデルナ社ワクチンについて120件(100万回接種あたり2.3件)、アストラゼネカ社ワクチンについて1件(100万回接種あたり8.6件)の報告がありました。これまでの報告と比較して大きな変化はありませんでした。報告例のうち3回目接種後の事例については、ファイザー社ワクチン接種後の86件(100万回接種あたり3.3件)、武田/モデルナ社ワクチン接種後の51件(100万回接種あたり2.7件)でした。現時点において、ワクチンとの因果関係があると結論づけられた事例はなく、3回目接種後の事例を含め、引き続き集団としてのデータを系統的に検討していくこととされました。(厚生労働省サイトより)

 

要するに 接種してなくても一定数死亡例があるため サンプル数が少ないと因果関係が見いだせないということらしい

 

 

令和3年中の交通事故による死者数は、2,636人(前年比-203人、-7.2%)で、5年連続で最少を更新しました。(警察庁サイトより)

 

 

Ende;

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飛行船とか葱とかアカメガシワとか桐(←間違い)とか薔薇とかネコとか

2022年05月26日 20時18分46秒 | 写真

飛行船

埼玉県川口市の辺りを飛行していた

スーパドライ(アサヒ)の広告だった

ちっちゃくて誰も肉眼では見えないと思う

○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□

随分複雑な屋根だなと思って撮ってみたんだが

これ 何階建てなんだろう

○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□

アカメガシワかな

コンクリート階段の隙間に生えちゃって 隙間が拡がって堤体に悪影響がありそう

 

そのアカメガシワっぽいものの間からネギ坊主的なものが飛び出している

葱か?

葱なのか?

葱じゃないのか?

葱って勝手に生えるようなもんなのか?

 

荒川堤の外側にが生えてきちゃっていたので

国土交通省荒川河川下流管理事務所に報告したら

後日刈り取られていたのだが

また生えてきている

よく見たらアチコチ生えている

 

以前近所にも桐が生えてきちゃって 何度毟っても生えてきちゃって不死身だったことがある

キリがない

だけど

 ◇訂正:後日通りかかったら芙蓉の花が咲いていた 葉っぱが大きかったので桐だと勘違いしていた

 

 

薔薇

 

黒猫

少しオイラを見慣れたらしく あんまり逃げなくなった

 

 

岩渕赤門

フルサイズへのリンクなのでクリック注意

 

 

Ende;

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先天的暴力性

2022年05月26日 16時52分01秒 | 意識論関連

どこにでも社会に対する方向性や合理性のない鬱憤を抱えている者というのはいるものである

香港民主化運動に便乗して暴動破壊が行われることもある

2.26事件なども 軍内部の一部の将校達によって引き起こされたものである

 

オキシトシンは 家族や仲間に対する絆やつながりを促すと同時に 家族や仲間以外に対する差別や排除の情動も促すものでもある

大脳辺縁系というのは 先天的にそういう仕組みになっているのである

それは祖先の生息環境において有利に働いたために そうした情動行動が組み込まれた遺伝子が「拡がりやすかった」という結果でしかなく 別に合理的な目的に則って組み込まれたものではない

組み込まれた経緯の説明において合理的説明は出来るとしても その本能習性が常にあらゆる環境や条件において目的にとって合理的であることの論証にはならない

ちょっと難しいかな

クジャクの羽は 配偶者選択による淘汰の結果だが 現在クジャクのメスは飾り羽根の豪華さよりも鳴き声でオスを選んでいるという

本能習性が組み込まれた過程や経緯についての合理的説明が出来るとしても その本能習性そのものに合理性が伴うわけではない

同じ説明だな…

ヒトの男が浮気しやすいのは 浮気しやすい男の遺伝子が拡がりやすかったという結果であり これは合理的に説明可能だが

浮気しやすい習性そのものには合理性がない

これならわかるだろ

進化の過程や経緯の説明の合理性と 結果的本能の合理性とは別物である

 

ヒトは 家族や仲間など 自分が属する集団に対しては安心感や盲目的信頼をしたがる習性があるが これは同時に他の家族や集団に対する嫌悪感も醸成してしまうものでもある

コウテイペンギンが自分の子供以外に対して異常な暴力性を発揮するのは 生息環境における淘汰圧力の結果である

利己的に自分の子供だけを優先し 他人の子供は殺害してでも排除するような先天的情動行動を持った個体種への収斂進化の結果である

誰の子供であっても平等に守ろうとした個体種は 過酷な生存環境における競争において「拡がりづらかった」のである

ライオンは他人のオスの子供は全員噛み殺す

ただ 一方では集団で子供を守ろうとするゾウもいる

どちらの習性が組み込まれるかは その生息環境などに依存し 自ら選ぶことなどできない

その環境において「拡がりやすい遺伝子が拡がる」だけのことである

 

ヒトの祖先は 当時の生息環境下において 他の部族集団を暴力によって駆逐することによって領地などの環境資源の独占に成功した個体種への収斂が引き起こされたのである

「ご先祖さまを敬え」だのと言う話はよく聞くが

先天的本能習性に欠陥が存在する点においては 「ご先祖様を恨め」ということになる

厳密には「ご先祖様の生息環境を恨め」ということになるが 何にせよ自分(ヒト)の先天的本能習性がどのような経緯や過程によって組み込まれたかは 自分の意思選択(目的意識)とは関係がない

小学生の女子を見て 何やら萌へてしまうという本能的情動があるとしても それそのものは大脳辺縁系が勝手に促してくるものに過ぎず 祖先の「ロリコン猿」の配偶者選択による結果的情動は自由意志でも何でもない

アグネス・チャン女史はロリコンを異常に嫌うが 先天的にロリコンかどうかは誰も選ぶことなどできず ロリコンそのものを批難されても意味がない

年齢に関わらず身体目当ての性的イタズラ目的の強制猥褻行為に問題があるのであって 先天的ロリコンそのものを批難しても それは意識的に選ぶことなどできないのである

「成人女性だったら強姦しても良い」という話にはならない

生物的には月経が始まれば繁殖は可能となるものの 社会的責任としては成人になって生活が安定するまでは繁殖に関わる行動をするべきではないことは当たり前の話である

アグネス・チャン女史が主観的にロリコンに対して拒絶反応を「感じる」としても それは個人的な好き嫌いの範疇であって 幼女に性的興奮を感じるのも主観であり それに嫌悪感を覚えるのも主観に過ぎない

主観に違いがあるのは当たり前であり 論理客観的根拠に基づいて社会人として正しい行動がどういうものかは共通していなければならない

先天的本能習性を決定している遺伝的性質そのものは 誰にも選択できないものなのである

 

こうした選択不可能な情動というものは 「暴力で解決」という短絡的行動習性においても同様である

ヒトは気に入らない相手を殴ると気分がスッキリする

DV男は配偶者や子供を殴って暴れることでテストステロンを「消費」し その反射で分泌されるセロトニンによって急に優しくなったりするという

タバコのニコチンもセロトニンを促すという

従って 暴力で気分的に満足感が得られるような状況や環境に慣れてしまうと それが中毒症状となってDVがますます酷くなってゆくものなのである

 

自制心としての理性が働かなければ ヒトは簡単に暴力中毒にもなるものである

暴力には合理性がないことを 理解し自覚していなければ目先の情動に無意識に流される形で暴力中毒に陥ることは珍しいことではない

先日も酔っ払いによる暴力による傷害致死事件が渋谷で起きたが 脳が麻痺していても 麻痺しているのは大脳新皮質だけらしく 辺縁系のシーケンスそのものは野獣の如く暴力的に機能するもののようである

 

主観的に気に入らない相手を排除したがるという行動は アグネス・チャン女史でもやるものであり

暴力的な「怒り」の感情を伴って拒絶反応を示すものでもある

日頃から方向性や合理性のない鬱憤や不安を抱えている者にとっては 短絡的な一面的「正義」に基づいた暴力は 鬱憤を晴らすためにはとても都合が良いため 中毒的に暴走することがある

「勧善懲悪」という子供じみた正義は 「悪いやつは殴っておけ」という短絡的発想に基づいたものであり刑法というものは これに則った法手続きでしかなく 懲罰を加えても暴力などの犯罪の根源的原因究明にはならず むしろ懲罰という暴力で「解決」とみなす非合理なものである

 

ノルウェーにおける「リゾート刑務所」のようなものは 被害者や遺族からすると 主観的な「納得感」は得にくいものであろうが 社会的には再犯防止において著しい効果を挙げているのである

加害者 犯罪者側が自分の行いを自覚できているのであれば それは再発防止にも波及効果はあるはずであり 「失敗例」としての教訓知識を広めることにもなるのである

 

軍隊というものを 文民が統制しなければならないのは そもそも軍隊や兵隊というのは 自分の頭で物事を判断して行動するようには「訓練(学習)」されていないために 野放しにしておくと先天的本能のままに暴力的解決にしか至らないからである

海上自衛隊でのイジメが問題となったことがあったが 自衛隊も実質的中身は軍隊と同じものであり 盲目的服従統率しか「学習」していないからこそ イジメなどという幼稚な暴力行動にも簡単に陥るものなのである

ロシア軍ではイジメどころか 上官による虐待が横行しており 理不尽に殴り殺されることも日常茶飯事だったというから そんな集団であればウクライナで虐殺行為をするようになるのも必然というものである

軍隊というものは その内部において兵隊に民主的決定権は一切なく ひたすら上官の命令に盲目的に従うように訓練されることで 統率されている集団であり 兵隊個人に自律的な判断能力など出来ないように洗脳されているのである

だから戦争などというバカみたいな行為にも従順に従うようになるのである

ヒトはそもそもが権威と見なした順位序列を鵜呑みにする習性があり 自分よりも「上」と見なした相手の指示命令や主張には疑いを持たない先天的習性があり これを戦争に応用したのが軍隊なのである

ウクライナ警察であっても 独裁政権下においては市民に実弾発砲をして殺害した経緯もあり 決して民族国籍が人間性の論証にもならない

ヒトという種の生物には 元々先天的な認知上の欠陥が存在しており 自分の頭で物事を論理客観的に検証して「考え」ることができないからこそ 間違った行動に簡単に陥ることにもなるのである

 

社会には 不公平や理不尽さは少なからず存在しているものの それを合理的に問題解決せずに短絡的に暴力で解決したつもりになるから迷惑にしかならないのである

それこそ「親ガチャ」がハズレてしまえば 主体的選択など一切させてもらえず 何をしても否定しかされず 一切協力もしてもらえず 「味方」の誰もいない世界で消極的生存として「生かされて」いるだけの状況になっている人もいるだろう

その一方で 「博士ちゃん」の家庭のように 子供の好きなことを全面的に応援してくれる環境の人もいる

それは理不尽で不公平ではあるものの だからといって方向性も合理性も何もない無差別な暴力や迷惑行為をいくらしても 「解決」にはならない

重要なのは 論理客観的な原因の徹底究明であり 再発防止のための知見 教訓といったものを見つけ出すことである

世の中の大半はバカだが 多数がバカだからといって自分までバカになっておいて許されるわけではない

そういうのは「へずまりゅうの正義」「糞野郎の正義」に過ぎない

バカになりたいかい?

少なくとも私はなりたくないね

 

 

 

Ende;

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地政学は関係がない

2022年05月26日 14時44分15秒 | 意識論関連

地政学リスクとは、地政学におけるリスクを指し、地理的な位置関係によって、ある特定の地域が、政治的・社会的・軍事的な緊張が高まるリスクを指します。

 

一般的には戦争のリスクは地政学によって算出されるものだと解釈されているが

実際の戦争は為政者の主観によって引き起こされるものであり 軍事力のバランスなどはほとんど影響を及ぼさない

局所的な紛争においても その原因は民族間における差別がほとんどであり 軍事力が小さいからといって紛争を引き起こさないわけでもなく 軍事力のバランスは紛争が起きる原因とはほぼ無関係である

 

戦争という殺し合いは 要は大規模な殺人や領土の略奪であって 犯罪が大規模化したものに過ぎない

武力による暴力や懲罰によって物事が「解決」するという ヒトの先天的な認知上の欠陥(錯覚)が働くことによって ヒトは戦争をすれば何かが解決すると主観的に「思って」いるから戦争が引き起こされるのである

ヒトが文明を築く以前の期間よりも 弱肉強食の殺し合い喰い合いによる遺伝的進化の過程の方が圧倒的に長いのであって ヒトであっても本能習性は祖先の生息環境による影響を色濃く反映し 懲罰的暴力で物事を「解決」しようとする習性が強力に組み込まれているのである

数億年に渡る遺伝的進化によって組み込まれた先天的本能習性というものは たかだか数千年程度の文明によって大きな進化が促されるようなものではなく ヒトという種の生物は権威と見なした対象に疑いを持たずに 他人に危害を加えてしまうものなのである

「ヒトとは そういうものである」

だが これは「考え」ではない

養老孟司はこれを「私はそう考える」と言ったが これは単なる遺伝的進化という自然現象の事実「結果」を述べているに過ぎず 「考え」でも何でもない

先天的本能習性としては スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験でも立証されているように ヒトは権威の命令に服従し他人に危害を加えてしまうものであることが科学的に立証されているのである

権威と見なした者が「暴力で解決するぞ」と旗を振れば 同じ集団組織や民族に属する者の大半が暴力的解決に邁進するようになる

「ヒトとは そういうものである」とは言えるが これは「ヒトという種の生物」における本能習性の「結果」であって それ以外の一切の選択可能性が存在しないことの論証ではない

 

戦争とは 犯罪が大規模化したものに過ぎず 犯罪が小規模のうちに丹念な再発防止のための徹底した原因究明をしないことによって 戦争という重大犯罪にまで発展しているのである

ミャンマー政府軍が少数民族を攻撃するのは 少数民族の中の武装ゲリラによる暴力的犯行に対する対抗策としての武力攻撃である

パレスチナ武装勢力ハマスによるロケット弾攻撃があるからこそ イスラエル軍による報復攻撃の口実にされてしまうのであり

パレスチナの場合一方的にエルサレムから追い出された経緯があるとは言え 「暴力で解決」という手法は双方にとって何の紛争解決には結びつかないのである

 

小学校に乱入して銃を乱射している男に対し 警官が射殺しなければならない状況というものはあるものの

それはあくまで「現場の正義」でしかない

何人銃乱射事件の犯人を射殺しようと 死刑にしようと 銃乱射事件の根本的原因はわからず 論理客観的根拠を伴った実効性のある再発防止にはならないのであって 「現場の正義」というものは社会全体から見た場合には必ずしも安全性にとって合理性が伴わず 唯一絶対的な「正義」とは言えないのである

ウクライナ支援に関しても それは「現場の正義」であって プーチン政権の暴力に一定の歯止めをかける役割にはなるとしても そもそもプーチン政権のような透明性の欠けた腐敗組織による独裁体制が作られてしまった原因を究明しないことには 封建的独裁政権による暴力は一向になくなることはないのである

 

少数民族の武装勢力によるゲリラ戦やテロというものは 少数民族の中にいる暴力者の身勝手な正義に基づくものであり 武装の規模の大小で紛争やテロが実行されるわけではない

通り魔は自分が死刑になっても構わないと思っているから通り魔なのであって 方向性も合理性もない暴力で「主観」的に満足しようとしているから実行されるのであり 包丁一本であっても大量虐殺は引き起こされるものなのであり 軍事バランスなどの地政学は紛争が起こるかどうかとは関係がないのである

 

香港の民主化デモに便乗して暴動破壊に及んだ一部の学生や デマによる逆プロパガンダが横行したことによる「治安」の悪化が 香港警察による虐殺の口実に用いられてしまったのであり

一部の犯罪者の行動によって 民主化組織全体を標的とした攻撃への口実にされたのであり

民主化運動に便乗した暴動などの犯罪と 民主化運動組織そのものとは切り離して扱わなければならないのだが 為政者にとっては民主化組織全体を抑圧するのに都合の良い口実を作ってしまったのである

 

ウクライナにおいても 東部では親ロシア派とウクライナ側武装組織との間で以前から紛争が起きていたのであり ウクライナ側武装組織の行動の全てが犯罪的ではなかったとも言い切れないのである

香港の民主化運動ですら 便乗して暴動が引き起こされているのであるから 武装勢力の内部に親ロシア派住民に対する犯罪行為が皆無であったとは言い切れないのである

ウクライナ国内における親ロシア派住民に対する正当な扱いが必ずしも行われていなかったことが ロシア軍侵攻の口実に使われてしまったとも言えるのである

 

紛争が勃発する最初のきっかけは 主観的差別による一方的で違法な暴力によって引き起こされる

誰かが殺されたり危害を加えられたりすれば 報復的に暴力の応酬となり 紛争はどんどん過激化するようになる

本来ウクライナ人だろうがロシア人だろうが 民族的にはほぼ一緒であって 対立するような民族ではないはずであるにも関わらず 一部の暴力者間による暴力が それ以外の人達にまで被害を及ぼしてしまうことによって 紛争の拡大へと発展してしまうのである

ヒトは先天的に暴力で解決することが大好きである

「暴力はセクシー」とは 伊勢崎賢治の言葉である

相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件のような事が起きると 大衆の多くは梅沢富美男による「こんな奴は死刑にしちまぇ!」という合理性のない暴言に便乗し 同調し 満足する

主観的感情の吐露としては「言論の自由」の範疇ではあるものの 社会安全性の観点からは何の合理性も伴わぬ主張であり どんなに多数の「人気」を集めたとしても 社会安全性を蔑ろにした無責任な集団同調(エコーチェンバー)に過ぎない

ヒトは多数と同じであることに安心を感じてしまい 主観的に安心だと短絡的に「正しい」ことだと錯覚してしまうものである

論理客観的には無責任な便乗的共鳴や同調であるとしても 目先の多数によって責任が薄まるかのような感覚(錯覚)によって 安心して目先の多数派に同調することができるようになるのである

その原因は全て主観的気分や情動 「印象」や「直感」によって促される無意識なバイアス(偏り)によって 論理客観的根拠を伴った真理を見誤るようになるからである

 

 

 

Ende;

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真理を大切にする意味

2022年05月26日 10時27分06秒 | 意識論関連

ノンレム睡眠中にシナプスの形成が拡大し

レム睡眠中に整理される

こうした脳神経回路の更新過程が 遺伝的進化に似ているという話なのだが

 

言っておくが遺伝的進化というものは「成功」する保証はない

遺伝的進化というものは 膨大な「失敗」も伴うものであり 現存生物種や生態系だけを見て「進化の全ては成功する」などと錯覚するのは大間違いである

これは 脳神経回路の更新においても同じであり 「寝たら脳が進化する」とは言っても 必ずしも「頭が良くなる」ように「成功」するとは限らない

遺伝的進化というものは決して万能ではない

一般大衆の観念的には 遺伝的進化さえ起これば何でも解決するかのような錯覚が促されているが これは旧来の生物学における遺伝的進化に対する「典型的な間違い」に基づいた観念に過ぎない

遺伝的進化というものは 決して都合良く起こるようなものではなく 単に「拡がりやすい」遺伝子が拡がるだけの「自然現象」なのである

脳神経回路の更新においても それは大脳辺縁系によるバイアスによって「整理」されるだけであって 主観的に気分が良くなるようには整理されるものの 論理客観的に正しい判断能力が身につく保証はない

日頃の生活において 論理客観的に真実かどうかを見極めようとしないのであれば イヌやサルのように動物的な行動へと「整理」されてしまうことも充分あり得るものである

今一度言っておく

直感(主観)というものは 学習する「正解データ」に依存する

日頃の生活で 主観的好き嫌いだけでしか物事を判断していなければ 論理客観的に物事を検証する能力は養われることはなく 断じて「頭が良くなるように進化する」ことはない

 

ヒトという種の生物でありさえすれば 人間としての行動選択が出来る保証はない

プーチンにせよヒトラーにせよ 東条英機や麻原彰晃 日本大学元理事長田中英寿なども 「ヒト」ではあるのだ

田中英寿は自分にとって都合の悪い 逆らってくる相手を権力を振りかざして左遷するなどの嫌がらせ(懲罰)による恐怖政治によって利益を得続けていたが 周囲の者が恐怖によって逆らわなくなったことによって傲慢さを助長され 「誰も俺には逆らわない」という環境に「適応」する形で破綻するまで暴走し続けたのである

誰も逆らって来ないという 環境に適応する形で脳が「進化した」とも言えるのである

虐待をされて育った子供が 大人になって自分の子供にも虐待を連鎖するのも 虐待環境に適応する形での脳の「進化」のようなものである

学力成績という一面的判定基準だけで生徒に順位序列をつけていれば 生徒は学力成績という抽象化された「脳への報酬」だけしか意識が働かなくなり 教えられたことを教えられた通りには憶え答えることができるようにはなるものの 教えられた内容に論理的齟齬 論理整合性の欠落が存在していても誰も気づかず

漫然と「学力偏差値が高いから 俺は頭が良い」などという認知科学的にも何の根拠もない身勝手な多数の大衆観念を鵜呑みにして満足するよう「学習」してしまうのである

だからこそ 遺伝的進化における「典型的な間違い」というものを「知っている」「聞いたことがある」にも関わらず 「○○のために進化した」などという合目的的進化の説明との整合性の欠落には一切気づくことができないのである

知識として「知って」いるだけであって 実際には何も「考えて」などいないのである

だから大衆の多くは遺伝的進化を万能であるかのように錯覚したままなのであり 「進化で月経の痛みがなくならないのか?」などという支離滅裂な話を平気でし始めるのである

医師免許を取得しているはずの大手町の医師であっても 「環境に適応した変異がどんどん起こる」などという荒唐無稽な非科学的観念に基づき「ウイルスは弱毒化する」などと断言することになる

その説明は支離滅裂なものであり 「SARSやMARSは毒性が強いから弱毒化しない」などと言い出したが アナウサギに対するミクソーマウイルスは当初95%にも及ぶ致死率を持ち エボラ出血熱ウイルスも70%を超える死亡率だったのである

それに対して新型コロナウイルスの死亡率は1%にも満たないともいわれており 毒性と弱毒化との相関など存在しないのである

アナウサギに対するミクソーマウイルスの弱毒化のプロセスとは たまたま弱毒変異した株種に感染したアナウサギの致死率が低いことから 強毒株よりも「拡がりやすかった」ために起きたものであり 宿主ごと大量死滅することによって 偶発的に弱毒変異した株種への収斂進化が起きただけであり 断じて「環境に適応した変異がどんどん起こる」ような都合の良いものではない

そもそも「死んだら困る」といった 後天的「都合」は遺伝的進化には影響を及ぼさないのである

日医大の客員教授もそうだが 論理的なプロセスやメカニズムを理解せずに 「一般的にウイルスは弱毒化する傾向がある」からといって「全てのウイルスは弱毒化が保証されている」かのように言い張るのは 科学者としてポンコツ過ぎて話にならない

 

既存の鼻風邪症状しか呈さないヒトコロナウイルスが弱毒進化に至るまでの過程は 本当は誰も知らないのである

遺伝的進化である以上は 変異はランダムであり「失敗(絶滅)」が伴う可能性は高く 宿主ごと絶滅した絶滅株が絶対に存在していない保証など どこにもないのである

ヒトコロナウイルスへの収斂進化の過程において 一体どれだけの犠牲が生じたのかは 死んだ個体や株種は現存していないから「わからない」のであって 「一切存在したことはない」ことの科学的証明はできないのである

 

現存生物種や 現存する生態系だけを見て あたかも自然現象である遺伝的進化が常に恒常安定性にとって都合の良い進化しか促さないかのように錯覚するのは 科学的根拠をすっ飛ばした非科学的で実証不能の観念でしかないのである

イマヌエル:カントも天体の運行が あたかも「永遠の秩序」に則った完璧なものであるかのような錯覚を抱き 自然というものが放っておけば自動的自然に恒常安定性や秩序が保たれるかのような錯覚に基づき 荒唐無稽な「叡智界」などという論理的根拠のない妄想によって衆愚や「哲学者」共の脳を麻痺させ 洗脳したが

「脳が気持ちよくなる話」が短絡的に「正しい話」や「論理客観的根拠に基づいた真理の証明」になるわけではない

 

夢によって促される「記憶の整理」とは 大脳辺縁系が気持ちよくなるように整理されるだけであって 日頃から自分の頭で物事を考え 論理客観的に検証して何が本当に正しい話なのかを見極めようとしていないのであれば 主観的に「信じたい話」しか信じないようになるだけである

 

私は糞DQNが大嫌いである

だが それは私の主観的好き嫌いに過ぎず 嫌いかどうかは糞DQNが糞DQNになる原因やプロセス過程の究明にもならなければ 当然ながら再発防止にもならず いくら糞DQNを金属バットで殴り倒しても糞DQNがいなくなることはない

それは 通り魔を何人死刑にしても通り魔事件がなくならないのと同じことである

野井良治は「主観が大事」などと言い出したが これは間違いである

直感だの主観だのといったものは あくまで学習する「正解データ」に依存するものであって 生育環境や社会環境や個人の好みに依存し一貫性や普遍性を持たない

プーチンの主観は「ウクライナやNATO諸国と対立すること」なのである

とは言え 理性だけでは「目的」は見出すことはできず 様々な情動の中から最も優先順位の高い価値観に基づいて行動選択をすることが人間性や倫理であって しかしこれは「バランス問題」ではなく 理性が情動を制御抑制していなければ実現されることはない

利己的利益なんぞ追及しても 最終的には誰しもが死ぬのであり 生き続けるに価する社会のあり方として 安全で公平な社会を求めないのであれば 「人間」としての生き方(存在としての目的)にはならないのである

 

日頃何も考えていない凡人にとっては ヒトという種の生物でありさえすれば自動的に人間性が進化によって組み込まれていて 頭で考えなくても自動的自然に人間性が発揮されるとでも「思って」いるようだが

その「主観」に論理客観的に真理であることの証拠は何もなく

ただ主観的に安心満足できるだけの身勝手な妄想でしかないのである

何も論理的に考えていない奴が いくら睡眠時間を長くしても バカは治らない

脳神経回路の「進化(比喩)」というものも 環境に適応するだけであって バカのままでも許される環境なら バカは助長され続けてバカが酷くなるだけである

イジメを傍観放置しておいた方が「身のため(利己)」である環境であれば 傍観放置こそが「正解データ」として学習してしまい 主観や直感的には「イジメを止める奴はバカだ」という結論しか出てこなくなる

 

読書猿のようなペテン師に人気が集まるのも 大衆マスコミの大半が自分の頭で物事を考え 論理客観的根拠に基づいた真実の論証であるのかどうかを 誰も考えていないのが原因である

こうしたペテンはマルクス:ガブリエルでも養老孟司でも更科功でも山極寿一でも同じことであり ヒトの大半はバカだからこそ真実が見極められず 戦争などというバカげたことすら未だに撲滅できないのである

何が真実なのか 見分けがつかないバカには 戦争の原因も見分けがつかない

 

 


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