どうもマルシェルのアクセス数が急激に減るなと思ったら
時限式で他のブログに表示されなくなる仕様が原因らしい
Ende;
EOS Kiss M2よかは若干重いが
EOS Kiss X10よかは軽い
はて EF-Mマウントは残るのか
残らないのか
R10はボディ内手ブレ補正機能はないが
R7には搭載されている
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好成績なプロ棋士は 盤面を見るだけで直感的に次の一手の良し悪しが区別できるという
直感が働いている時に活動が活発化するのが大脳基底核だと言われてるのだが 大脳基底核というのは感情ともつながりがあるので プロ棋士が指し手を選ぶ時にも 悪い手だと何となく「嫌な感じ」がしたり 良い手だと何となく「気分が良い」と感じるという
そして 棋士自身は「なぜ その指し手が有効なのか」は説明がつかないという
これはニューラルネットワーク型人工知能を用いたディープラーニングによる指し手の良し悪しを判断するのと同じものであり
人工知能もまた理論的説明はできない
「良い指し手である確率が何%」といった結果的スコアだけで判定しているだけであって 要はヒトの脳における「何となく嫌」みたいなものと同じバイアス(偏り)に過ぎない
アメリカの一部の州で導入された犯罪予測AIは ある人が犯罪に関わるかどうかを予測できて 的中率は高いというのだが それが加害者なのか被害者なのかはわからないという理不尽なものである
Microsoft社のTwitterAIは SNS上の数多くのヘイトスピーチを「学習」する形でヘイトスピーチに便乗し始め 強制的に停止させる事態に陥った
とある企業では採用にAIを用いた場合に 過去の採用データから「学習」させた結果 その会社では女性の採用率が低かったことから 「女性である」というだけで採用スコアを低く見積もっていたことが発覚し AIによる採用判定を急遽取りやめたという
老練なプロ棋士の直感は 将棋の勝ち負けにおいては確かに有用性があるものの
それはあくまで「将棋の勝ち負け」において有用なだけであって 将棋で勝てるからといって 他に何かの応用性が伴う発見や発明が出来るわけでもない
しかも 直感的に指し手の良し悪しが「感じ」られる程の直感力というものは 常人には真似の出来ない特殊能力であって 凡人の直感までもが有用であることの論拠には全くならない
衆愚の大半は読書猿の言っている内容に論理的欠陥があることにも気づくことは出来ずに 気分的な安心満足感に溺れて何の疑いも持たずに鵜呑みにするだけのバカに過ぎない
衆愚の直感なんぞ 糞の役にも立たないばかりか デマや嘘でも鵜呑みにして満足し 迷惑な行為でも平気でやらかす原因でもある
何をもって「正解データ」とするかによって 直感は大きく変わるものである
虐待されて育った人は 虐待が「常識」となり 自分の子供にまで虐待を平気でするようにもなる
幼少期から学歴競争にさらされてきた人であれば 学歴マウントなどという幼稚な序列基準による差別に異常な執着をするようにもなる
酷い場合には慶應の「塾員」が東大大学院出身者をイジメたりするという
バカという他ない
何の問題意識も働いていないのである
普通一般の人は 権威と見なした相手の主張や指示を疑うことはない
なぜなら 「そういうもの」であると「常識」として刷り込み学習されているからであり 権威の主張や指示に対して盲目的に信頼しようとする情動バイアス(偏り)によって ヒトは自分で物事を考えようとはしなくなる
考えない奴のことを「バカ」という
スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験では 普通一般の被験者達の多くが権威の命令に従い他人に危害を加えることを科学的に立証している
普通一般のヒトの直感というのは ナチス政権下であれば大半がナチスに迎合し プーチン政権下であれば大半がプーチンを盲信する
日大の田中英寿理事体制であれば 日大職員の大半が同調迎合忖度服従して腐敗体制の温存に加担する
東京電力福島第一原子力発電所であれば 原発の津波に対する脆弱性を指摘せず 組織の利益を優先して個人が自律的な社会的責任を負わない方が 社内では安穏と暮らすことが出来たため 何の批判精神もないバカだけへと淘汰圧力が働き 無責任な組織腐敗を招いたのである
利己的損得勘定においては こうした直感は有用性があると言えるだろうが 人間としては糞である
組織に迎合しておいた方が「環境適応」にはなるかも知れないが それは「繁殖の継続」においての有用性に過ぎず 人間としての価値にはならない
利己的な糞野郎が子供を育てれば 糞野郎の遺伝子が拡がることにしかならない
脳科学研究者共の大半は 将棋棋士の世間的成功を根拠に直感こそが常に正しい判断を導く万能なものであるかのように主張しているが 将棋棋士が世間的に金儲けに成功していても それ以外に何かの役に立つわけでもなければ 人間としての優秀さの論証にもならない
「将棋で儲けて世間的に成功したから 直感は万能だ」という話は 論理の飛躍も甚だしく 到底科学的論証とは言えない
衆愚観念上では 世間的成功や金儲けは人間としての優秀さの基準として扱われるのかも知れないが それはあまりに短絡的で幼稚な基準である
詐欺の電話を鵜呑みにし 「いや 自分は絶対に騙されてなどいない」と頑なに自己過信に陥ってしまったり
カルト宗教を信じ込んで地下鉄に毒ガステロをすることを「人類の救済」だと信じて疑わなかったりするようになるのは 主観的感情によるバイアス(偏り)によるものであり
彼らにとっては嘘の方が気分的に安心満足感が得られるような「学習」をしてしまっているため 直感的には嘘こそが真実だと錯覚していることに気づかなくなるのである
もう一度言っておこう
何をもって「正解データ」とするかによって 直感は大きく変わるものである
何をどう「学習」したのかによって バカげた嘘に安心するようにもなれば 多くの嘘を見抜けるようにもなる
嘘やデマや間違いなのか それとも論理客観的根拠に基づいた真実なのか それを区別するのは論理客観性の方である
断じて「直感」などではない
本当は何も自分では考えたこともなく ただ漫然と知識の「量」だけを知能だと勘違い錯覚しているのも それが凡人にとっては直感的には「正しい」と思い込んでいるからである
進化生物学における「典型的な間違い」も チャールズ:ダーウィンによる遺伝的進化の仕組みを説明されて理解して「知って」いたとしても その内容に間違いがあるかどうかまでは誰も考えなかったために 100年以上もの間従兄弟のフランシス:ゴルトンの優生学との間の論理的齟齬には誰も言及できなかったのである
しかも 「知って」いながら従来の生物学における説明の何が間違っているのかには未だに誰も指摘できていないのである
もうバカとしか言いようがない
従来の学校教育では 教えたことを教えた通りに答えれば成績になるため 学力成績という抽象化された「脳への報酬」だけが価値になってしまい 教えられた内容に間違いがあるかどうかは誰も考えないように「学習」されてしまっているのである
教師などの権威の言っていることに間違いや嘘が混入している可能性には意識が働かないように「学習」させられてしまっているからである
「脳への報酬」だけが目的になってしまえば もはや主観的気分が良くなる「信じたい話」以外には一切耳を貸さなくなる
そうなれば自己客観性も働かなくなり 論理的に検証することもしなくなるのである
当然真偽の判定はできなくなるから 東大医学部に入学できる程に学力偏差値が高くてもバカげた話を鵜呑みにするようになる
バカの直感というものは バカげた教育によって作り出されるのである
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NHKでは 脳科学者共による「自由意志は存在しない」などという主張を短絡的に鵜呑みにし そのまま放送した
「任意のタイミングでボタンを押す」という条件下においては 意識的に「ボタンを押そう」と思う前に腕を動かす筋電位が生じたことを論拠にしているのだが この一つの現象だけでヒトの行動の全てが無意識に支配されていて自由意志が全く存在しないことの論証にはならない
とある漫画家がインク壺から溢れそうになった墨汁を ウッカリ口ですすってしまったことも無意識な行動である
「つい」 「うっかり」 「無意識に」口に持っていってすすってしまった
だが 飲み込むまではいかなかったそうである
そこは間違いに気づいて抑制が働いたからである
「間違いに気づいて飲み込まなかった」ことは無意識的条件反射ではない
漫画家は 別に「墨汁を飲もう」としていたわけではなく 日常取り扱う液体の多くが飲み物であることから 液体が溢れそうになった瞬間に無意識に腕の筋電位が反射的に生じてすすってしまった
「つい」「うっかり」「無意識」に行動してしまったことに対し それが間違いかどうかを区別できれば無意識に間違った行動を採らないように対策も可能である
「間違った行動を採らないように対策が可能」という点において目的意識が存在するのであって 間違った行動を事後正当化するための「エピソード記憶」をでっち上げるから「本当の目的」を見失うのである
幼少期から虐待されて育った人は 自分の子供に対しても虐待を繰り返すようになる
虐待を連鎖する親の主張とは 「俺はそういう育て方しかされていない」とか「シツケの一環だ」といった屁理屈をでっちあげて自分の衝動的情動行動を事後正当化しようとする
これらの「屁理屈」というのは 当人の個人的な「常識」に基づいた価値観(好き嫌い)であって 論理客観的根拠に基づいた「正しい行動」であることの論拠にはならない
刑務所で服役している囚人の多くが幼少期からの虐待を受けているという統計的事実に基づけば 虐待というものが社会安全性に対して逆行する「正しくない行動」であることは明らかであり 実際には主観的に苛ついたから衝動的に殴っているだけであるにも関わらず その行動を事後正当化するための「エピソード記憶(嘘)」をでっち上げることで満足しようとしているのである
養老孟司が支離滅裂な屁理屈で大衆マスコミをはぐらかすのも 養老は「私は教科書に墨を塗らされた」などという過去の経験を持ち出して正当化しようとする
宮台真司が生徒に対して「自分で考えるのは10年早い 丸暗記しろ」と言い出した理由が「自分が教師からそう強要された」というものである
虐待の連鎖も含めて これらの屁理屈に共通するのは個人的な体験や経験を事後正当化し 認知的不協和を解消する形で合理性のない理不尽な行動や言動を継続しようとしているのである
「教科書に墨を塗らせる」ことは 教育として正しいと言えるだろうか?
「自分で考えるのは10年早い 丸暗記しろ」と強要することは教育として正しいと言えるだろうか?
「教科書に墨」の場合は幼少期であろうから 大人から強要されれば抗う余地はないとは言えるものの だからといって自分の過去の経験を論拠に発言内容に論理整合性がないことを正当化して良い理由にはならない
「自分で考えてはいけない」教育などというものがあるだろうか
借金までして授業料を支払って教わっている内容に 論理的齟齬 論理整合性が欠けていることを指摘してはいけないというのであれば これはもはや教師の独断独裁である
成績を「人質」にして教師側が一方的に身勝手な正義を振り回すというのは 封建的序列に基づいた盲目的服従を意味するものであり だからこそ日本大学のような組織腐敗の原因ともなったのである
「10年早い」と言うが その「10年」という時間に何か論理的根拠でも伴うのであろうか?
おそらく 10年間何も自分で考えなければ 自分で考えないことに慣れてしまい 何も自分では考えようとはしないバカが出来上がるだけである 実際世の中自分では何も考えないバカが大半である
脳科学研究者が「自由意志などない」と主張したからといって それを鵜呑みにして垂れ流すNHKの番組制作者も 自分では何も考えていないからであり これを野放しにしておいて受信料を一方的に徴収する権利などあろうはずがないのである
養老孟司は「殴られて意識を失うのも 意識が戻るのも自分では自由にならないから 自由意志はない」などと主張していたが
「ついうっかり墨汁を口ですすってしまう」など 確かに意識には自由にならない部分は多いとは言えるものの だからといって意思や意識の全てが存在しないことの科学的論拠になどならないのである
大衆マスコミの大半は 養老の言っていることを短絡的に鵜呑みにしてしまうが これもまた無意識に「つい」「うっかり」鵜呑みにしてしまっているに過ぎない
権威や肩書を持った相手に対し 疑うことに対する観念的罪悪感のようなものが働くバイアスがヒトには先天的に存在しているために ヒトは権威の主張や指示を盲目的に信じ込んでいた方が安心満足感が得られるため ヒトは自分で物事を考えなくなりバカになる
ヒトは 「自分よりも上」と見なした権威肩書の主張や指示には逆らいたくない先天的本能習性が存在しているからこそ スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験のような結果が実証されているのである
「滅私奉公」などと称して なにがしかに対する忠誠忠実に服従することに対し ヒトは先天的に美徳を「感じ」る性質がある
美徳とは 要するに脳が快楽を感じて行動に偏りを促す先天的な本能習性による行動バイアスに過ぎない
スケベヲヤヂが水着グラビアを見たがるのも それを「美しい」と思う快楽による行動バイアスであり 痴漢やスカートの中の盗撮なども それが快楽だからこそ行われているのである
スカートの中なら桃月なしこたそだのまりちゅうだのがInstagramで自分から投げてきているんだから それで満足しろよと思うのだが
満員の埼京線で痴漢をやらかすブレーキの効かないバカが後を絶たない
それは自分の頭で考えて行動を選択できていないからである
窃盗症中毒と同じで 痴漢にも中毒性があるらしく 何度捕まっても同じ様に繰り返すようである
大脳辺縁系によって促される情動の強度程度だけで行動が決定してしまい まるで脳の快楽中枢に電極を埋め込まれたネズミのように同じ行動を繰り返す
しかも 止めることができない
学術権威の主張を鵜呑みにして安心していることも 構造的には同じことである
教えられたことを 教えられた通りに答えられれば成績になり 教えられた内容に論理整合性が欠落していたとしても それを指摘すると教師のご機嫌を損ねて「10年早い」などと考えることを放棄させられる「教育」だからこそ 論理整合性のない荒唐無稽なデマや嘘でも鵜呑みにする「学力成績が高いだけのバカ」が世の中の大半を占めてしまっているのである
学歴マウントなどという合理性のない序列や差別が企業に蔓延しているのも 「学歴=知能=人間としての優位性」であるかのような根拠のない観念を鵜呑みにしているバカが多すぎるからである
自分の頭で論理客観的に物事を考え何が真理で何が嘘なのかが判断できればバカは治る
自分の頭がどのようなメカニズム構造によってバカに陥るのかを理解し自覚認識していれば バカにはならずに済むのである
これは学力偏差値とは無関係である
先天的に学習障害のようなものがあって 文字が読むことも書くことも苦痛な人や 自閉症と診断されて発話言語が苦手であれば 学力成績が低いのは必然的な結果だが それは脳機能としては入出力機能の障害に過ぎず 主処理としての論理思考能力とは関係がない
言語能力に長けて言葉巧みに他人を騙させたとしても それを自律的に抑制できないペテン師や ペテン師の嘘が見抜けないからバカなのであって 学力偏差値は無関係である
東大医学部の学生が どうしてオウム真理教なんぞを信じ込んだのかについての検証は実際には全くされていない
原因がわかっていないからこそ 何の応用も効かず 日大の組織腐敗やプーチン政権のような封建的独裁体制が出来上がってしまうことに対する歯止めが全く効かないのである
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