全裸で包丁振り回して他人に危害を加えている薬物中毒の男がいたら そりゃ鈍器のようなもので殴り倒して鋼鉄製の檻にでも隔離しておかなければならないでしょう
でも それは「現場の正義」でしかありません
同じヒトという種の生物でありながら 人間としては機能しない状態のバカがどうして出てきてしまうのでしょうか?
「大半のヒトは 衆人環視下などの特定環境においてはバカげた行動をしないから ヒトには先天的に人間性が組み込まれている」などと主張するバカもいますが 特定環境下でしか発揮されないということは 同時に「別の環境では人間性が発揮される保証はない」ことも意味します
確かに大半のヒトは残虐行為はしませんが 社会安全の観点からは「一つの重大事象の陰には無数の小さな事象が隠れている」ことを前提にし 「ヒヤリ・ハット」の段階から丹念に対処対応をしてゆく必要があるのです
子供が言うことをきかないからといって殴って服従させておけば「簡単」ではあります
ヒトも所詮動物ですから 怖い相手には逆らいたくないので 「勝てそうにない相手」には逆らわずに唯々諾々と服従し その服従している自分を事後正当化するための屁理屈(エピソード記憶)をでっち上げて満足しようとします
こうした「こじつけ論法」のことを 心理学では「合理化」と形容しますが 論理客観的合理性があるわけではなく 単に主観的気分としての安心満足をするための非合理な屁理屈でしかありません
「合理化できた」かのような「錯覚」に過ぎないのです
親から暴力的虐待を受けて育った子供は 大人になって自分の子供に対しても暴力的虐待を「連鎖」します
これは 「自分が殴られて育った」ことを観念的に事後正当化しているために 「自分は正しい だから 殴られて育つことも正しい」という自己過信による屁理屈をでっち上げているからです
暴力的威圧をしてくる大人というのは少なからず存在しますが 「数」は正当性の論拠にはなりません
現行の司法警察もまた国家権力による威圧が正当化されていますが 既存の法手続きの全てに論理客観的合理性が伴う保証が存在しているわけでもないのです
「迷惑者はザラにいる」からといって迷惑行為が正当化できるわけではないのと同じことです
ヒトの大半が衆人環視環境下においては「悪いこと」をしないのは 自律的に社会的責任判断をしているわけではなく 「多数の人前で悪いことをするのが怖い」からに過ぎず 単に自己保身感情に基づいて他律的抑圧に屈しているに過ぎません
だからこそ 一旦暴動が起きたりすると便乗して暴徒化する民衆というのが大量に出てくることになるのです
ナチス政権下においてドイツ人の多くがユダヤ人迫害に便乗したのも 差別迫害を多数がし始めたことによって その「数」に便乗して差別迫害が過激化暴走したのであって ヒトの大半は自分の頭で物事を考え判断などしておらず 目の前の多数に同調迎合する形でしか善悪の判断をしていない一つの証拠です
こうした現象は 学校でのイジメでも 原発の危険性放置をするような東京電力や 日本大学における腐敗組織に迎合してしまう「組織体質」においても同じ原因によるものであり 「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかった」ことこそが 原発事故のような重大事象への発展の根本原因なのです
これはプーチン政権の組織腐敗においても同じことが原因です
戦争と原発事故は無関係だと「思う」ヒトもいるかもしれませんが ヒトが引き起こしている「人災」であることに違いはなく 根本原因は「ヒト」に存在しているのであって 「ヒト」が原因で引き起こされているから「人災」というのです
ヒトは 主観的に気に入らない相手を殴ると満足します
DV男が散々暴れた後にセロトニンが分泌されて満足し 急に涙流して優しくなったりすることもあります
ヒトの大半は大量虐殺犯に死刑判決が下ると安心満足します
こうした情動行動を「人間性」だと勘違いしているヒトは非常に多いですが その「数」もまた「人間性」の論証には全くなりません
人間性の本質とは 「個人が自律的な社会的責任を負う(畑村洋太郎)」ための判断選択に存在するのであって 単なる個人の主観的情動だけで無意識に行動選択していても人間性の論証にはならないのです
通り魔を死刑にしても 通り魔事件はなくなりません
アメリカでの銃乱射事件でも同じです
ですから 「死刑で解決」だとみなして再発防止のための徹底した原因究明にまで言及しないというのは 「他に被害が出ても知ったことではない」と言っているのと同じことであり 社会人として無責任な判断でもあるのです
しかし 現状では大半のヒトが「死刑で解決」だと見なして誰も刑法制度の欠陥については言及しませんから 多数に同調しておけば社会的無責任が薄まるような「感覚(錯覚)」によって 安心して傍観放置しておくことの方が民主主義的多数決によって合理的な社会安全のための取り組みが傍観放置されてしまっているのです
民主主義制度を導入している以上は 国民の半数以上がバカであれば「バカ主義」にしか陥りません
北朝鮮の軍国主義というのも 太平洋戦争終結までの日本の軍事政権のそれとほぼ全く同じものであり 日本人の大半は日本政府がかつて加害者であったことすらも忘れて北朝鮮を批難しても辻褄が合わないのです
ヒトであれば民族国籍に関わらず 軍事政権などによる封建的な統率協調性や盲目性を発揮して暴力的解決に陥る危険性が存在しており これは祖先の生息環境における環境資源の奪い合い競争に勝ち抜いてきた結果的なヒトの先天的本能習性として組み込まれた行動バイアスが原因であって ヒトには先天的に暴力的差別をしたがる民族浄化バイアスとして働く「人間としての先天的欠陥」が存在しているのです
子供だけで放置しておくと 勝手にイジメが始まってしまうのも ヒトの「人間としての先天的欠陥」によるものであり 子供の幼稚な主観だけで行動させておけば自動的自然にイジメや差別排除は起きるものなのです
他人を主観だけで誹謗中傷しておくと 「面白い」ものです
葬式の最中に坊主の頭にハエが止まると「笑って」しまう
しかし 「笑って」しまうとか「面白い」からといって それが短絡的に「自分が望んでいること」だとは言えません
「欲望そのものは欲することができない」からです
イジメをしていると「面白い」ものであり 複数で弱いものイジメをしていると仲間意識による「共感」が働くことによって より満足感を得ることができるため 一種の中毒性がイジメにはあるのです
他人に対して嫌がらせをしていれば 嫌がる相手との比較においては自分の方が優位に立てているという優越感覚が働くため 「集団で個人を誹謗中傷している卑劣な自分の姿」に対する自己客観性が働かなければ イジメは本能習性という自然現象として引き起こされるものなのです
暴走族が「誰にも俺たちを止めることはできない」などと言い出すのは 「俺は他人の迷惑になど配慮が出来ない糞野郎だ」という決めつけが根底にはあり
「自分は絶対に変わらない」という諦めによって ヒトは自信過剰な慢心によって満足しようとするのです
「諦め」ることというのは思考停止の満足感であって 論理客観的に不可能であることの根拠があるわけでもないのに勝手な主観で決め付けているだけに過ぎないのです
虚無主義というのは自己客観的行動判断選択を放棄するための逃避であって 外見的には強がっていますが 実際には「自分に負けている」弱さを正当化しているに過ぎません
自分から主体的に「生きよう」としていない者にとっては 社会や世界は「与えられただけ」の消極的生存でしかありませんから 他者から与えられる「脳への報酬」に不足を感じてしまえば 簡単に社会に対する報復的暴力をするようになります
プーチン程の物質的な富や権力を獲得していても 国際社会から嫌がられれば不満に陥り 暴力による解決にしか陥らなくなるものであって
自分の脳内麻薬を自給自足できないバカの欲望というのは合理性や際限というものが全く働かなくなるものなのです
加藤英明は「爬虫類バカ」だとも言えますし 千住真理子は「ストラディヴァリウスに呪われている」ようにしか見えません
いわば自分のバカを何に使うかの選択を間違え 他人との比較競争や権威からの評価承認だけでしか自分の脳を満たせなくなると「迷惑なバカ」になるのです
「博士ちゃん」達というのは 自分のバカさを個人の主観的な楽しみとして自覚して脳内麻薬が自給自足できているからこそ イジメなんぞをしている暇もなくなるのです
他人に迷惑をかけたがるバカというのは 他人に迷惑をかけていないと自分で自分を肯定することができない精神の穴を自覚したくないが故の逃避として 必死になって他人に迷惑をかけようとするのであり 暴走族の暴走行為というものが何の誰の得にもならない非合理な行動であるのに必死になって邁進するのは それ以外の何の楽しみも知らない無知によるものなのです
元暴走族だった人が 洋菓子作りの楽しみに目覚めてケーキ職人になって更生した事例というのがありました
本当に楽しいと思えて 熱中できることがあれば ヒトは人間としての行動選択「も」できるようになるのです
幼女の身体に興味を持つのも 欲望である以上は選択することはできませんが その欲望を何に使うかは選択可能性があるわけです
通りすがりの女子中学生を強姦しても エスカレーターで女子高生のスカートの中を撮影しても それは何の優越にもならず ただの迷惑者でしかありません
動画などを売れば金にはなるかも知れませんが 卑劣なことで金儲けをしている自分に対する自己肯定感を益々失い 自分自身の良心の呵責からは逃れることも出来ず 麻薬中毒患者のように卑劣な行為を繰り返す迷惑者のバカから脱することができなくなるのです
それはまるで 脳の快楽中枢に電極を埋め込まれたネズミが 電極に電流を流すスイッチを必死になって押し続ける状態と何ら違いはありません
大脳辺縁系によって促される欲望の「脳電位」の奴隷には自由などないのです
程度の差こそあれ 「刑法判決で解決だ」と思っている衆愚の満足も 所詮は同じ構造であり 社会安全性を優先して犯罪者の無責任性のメカニズム原因を究明するためには 自分も含めた「ヒト」の認知上の欠陥について自覚する必要があるのです
Ende;