ウクライナでロシア軍兵士の裁判が行われているんだけど
二十歳かそこらの徴兵された兵隊なんてのは 振り込め詐欺で喩えれば「受け子」「出し子」みたいなもんなんで
いくら「トカゲの尻尾」を裁判にかけても黒幕を止めることにはならない
軍隊が厳しい訓練をするのは 兵隊が上官の命令に唯々諾々と盲目的服従をするよう「行動学習」させるためであって
戦車兵をどんなに鍛えても ジャベリンミサイル一発で丸焦げにされて終わりである
戦争で有利かどうかは兵器のクオリティにほとんどが依存しており 勇敢なポーランド騎兵隊がナチス機械化部隊にボロ負けしたことからも 「勇敢」であることは戦争での勝ち負けにはほとんど影響しない
かつてウクライナでも 独裁政権下においては市民への実弾発砲が行われたこともあり 兵隊や警察官個人の自律的な倫理的行動判断がなければ腐敗した政権を支えてしまう原因にもなる
ヒトという種の生物には 先天的に「上」と見なした対象相手の指示や命令などに疑いを持たずに唯々諾々と鵜呑みにする盲目性というものが存在していて これは進化的には哺乳類の「親」に対する情動行動が集団の中に発展したものであり これを生物学上では「社会性」と呼んでいる
「社会性」とは言うものの これはあくまで統率的協調行動を促すだけの単なる動物的行動バイアスに過ぎず 人間性を伴うようなものではない
イジメにおいて統率協調性が発揮されても 振り込め詐欺でも組織腐敗においても 統率協調性はむしろ個人の自律的な社会的責任判断選択を喪失させる非人間性として働くことの方が多いのである
なぜ 人間性として働くことが非常に稀なのかと言えば それは本能習性というものが無意識で目的がないからである
本能習性というものは 遺伝的進化の過程で「拡がり易い性質」が結果的に遺ったに過ぎず 別に合理的目的があって進化したわけではない
暴力的な腐敗組織に同調迎合忖度服従したところで 社会的責任には適さないが 祖先の生息環境下における環境資源の奪い合い競争を勝ち抜くためには必要であったという「結果」であって それが現代の人間社会において方向性のない暴走を招いているとしても 人間性にとって適した行動習性として働くようにはならない
遺伝的進化というものは あくまで自然現象の「結果」であって 都合良くあらゆる環境条件にとって合理的に進化が起きるわけではない
田島木綿子が言うような「急激な環境変化が起きた時だけ生ずる変異」などというものは科学的には何一つ証明されておらず 変異は環境によらず常に起きているものであって 急激な環境変化に適応できなければ絶滅するだけの話に過ぎない
イヌが その先天的な習性としての「社会性」を発揮することによって 統率協調的に獲物を捕らえることに有利に働くとしても それは所詮「野犬の群れ」に過ぎず 決して人間性としての社会性として働くわけではない
それはチンパンジーでも一緒で チンパンジーは特定環境であれば平穏に暮らしているものの ひとたび環境資源が枯渇すると集団統率的にヒヒやゴリラをも殺害する凶暴な野獣に過ぎない
にも関わらず 松沢哲郎は「チンパンジーの先天的行動習性から人間としての社会性を立証できるかも知れない」などと言い出し 衆愚マスコミはこれを短絡的に鵜呑みにし 「できたら素晴らしいですね」などと称賛し 終いには文化功労賞まで獲っているのである
茶番も甚だしい
当時の京大総長が山極寿一であり 山極は「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという これまた科学的には何の根拠もないデマで衆愚人気を集めていたペテン師である
その一方で 「安倍政権はゴリラと一緒で忖度だらけだ」などというトンチンカンな批判をしているのである
「忖度」とは 先天的習性である
ゴリラでもヒトでもイヌでも見られる先天的習性であり 主観的に「上」と見なした対象に媚へつらい服従することへの快楽が 行動バイアスとして先天的に組み込まれているために発揮されるものである
にも関わらず「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという話は支離滅裂にも程がある
完全に国民をおちょくっているのである
しかし 大半の衆愚は「自分がおちょくられている」とは思ってもいないのである
これを「バカ」と言わずに何と形容するのかは 私は知らない
スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験において 「普通一般のヒト」には普遍的に権威に服従して他人に危害までも加えてしまう性質があることを科学的に「立証」しているのである
つまり ヒトというのは権威の言っていることを盲目的に信じ込む先天的習性が存在し 自分の頭で「何が本当に最も重要なのか」を考えようとはしないものなのである
ヒトは権威の前では簡単にバカになる
カルト宗教の教祖であろうと ISILであろうと ロシア政権であろうと 日大では田中英寿理事長に服従忖度し 東京電力では原発の津波に対する脆弱性を放置した
電話口で「警察です」と言われれば鵜呑みにしてキャッシュカードや暗証番号を教えてしまうものなのである
これらの「失敗」に対して 衆愚は「自分には関係のないことだ」と思い込み 「自分だけは絶対誰にも騙されてなどいない」と信じ込む傲慢さを発揮し 権威の批判に対して条件反射的に拒絶反応を示して耳を一切貸さなくなる
イマヌエル:カントの「純粋理性批判」の内容が 実証不能の謎の「叡智界」を結論している妄想ファンタジーに過ぎないことを ヒトは100年以上も理解認識せずに「近代哲学の最高峰」などという形容詞を鵜呑みにしてきたのである
恐ろしいことに かの科学哲学者カール:ライムンド:ポパーまでもが称賛したという
論理客観的に証明されない話は科学でも哲学でもない
それはそもそも「真理(本当のこと)」ではないからだ
にも関わらず ヒトは主観的に安心満足感が得られてしまうと その主観的安心満足感によって問題意識を見失い 何かが解決したかのように錯覚して思考停止に陥るバカが大半である
養老孟司はこう言った
「殴られて気を失うのも 意識が戻るのも自由にならないから 意識に自由などない」と
意識というものには自由にならない部分と 自由になる部分の両方があり 一面的側面だけを採り上げて「意識の全ては自由になどならない」とか「自由意志など存在しない」ことの論証には全くならない
むしろ 殴られて朦朧としているわけでも 酔っ払って酩酊状態なわけでもないのに 東京大学名誉教授という権威肩書の言っている内容を自分の頭では一切検証することなく盲目的に鵜呑みにし 忖度することで安心しようとする卑屈さによって ヒトは簡単にバカになるのである
「自分の頭で物事を考えない」ヤツのことを 何と形容するかは今まで何度も言ってきたことである
ロシア人の多くがプーチン政権を疑わないのも
ドイツ人の大半がナチスに賛同したのも
彼らが特別にキチガイだったわけではなく ヒトとは主観的に安心できる権威などを疑いたがらない先天的習性によってバカになっているのであり これはヒトである以上は誰にでもどの国や民族でも起きうる現象である
「意識の9割は無意識」と言うと 「無意識だったら意識には影響がない」と思っているバカがいるが
これこそが大間違いというものである
9割を占める「根拠のない常識」や「先天的行動バイアス」に基づいた主観的好き嫌いによる情動が行動判断を無意識にしてしまうのであって 意識の中の何が無意識で 何が本当の意識なのかを見極められないからバカが治らない
本当の意識が何なのかは 論理客観的根拠に基づいて検証区別されるものであり 情動の強度程度による拒絶反応こそが真実を見えなくしてしまう根源的原因なのである
それこそ振り込め詐欺の電話を鵜呑みしていれば 「いや 自分は絶対に騙されてなどいない」と頑なに拒絶するであろう
その「頑なさ」という情動こそが無意識であり 真実を見えなくしている原因なのである
そうなればもはや意識の10割が無意識に支配されている状態であるから 何にも「自由」などならなくなるのである
二十歳かそこらの兵隊が 上官の命令に唯々諾々と従い民間人を虐殺するのも 過酷な訓練(一種の虐待)を事後正当化する形で命令に服従している自分が正常だと「思わ」されているからこそ ヒトは戦場では残虐行為が蔓延するのである
虐待が連鎖するのは 暴力に対する恐怖心によって服従せざるを得ない環境に「慣れ」てしまい 封建的順位序列関係を受け入れてしまった既存の自己の価値観を事後正当化し 認知的不協和を解消する形で同じような虐待行動を無意識に連鎖するようになるからである
虐待を連鎖している親は 頑なに「俺はそういう育て方しかされていない」「シツケの一環だ」と言い張って自分の行動を正当化しようとするものであり 情動が行動を支配しているからこそ虐待のような非合理な行動を止めることができなくなるのである
「養老孟司先生を信じている自分は 絶対に間違ってなどいない」と思っているバカが世の中の大半のようだが 多数という「数」は養老の言っている内容を一切担保しないのである
生物学者は未だに「進化的に正しい行動」などというものが存在するかのように主張しているが 進化に目的が存在していない以上「進化的に正しい行動」など存在しないのである
世の中の大半は 遺伝的進化というもののメカニズムやアルゴリズムを「知って」はいるとしても それは「知って」いるだけであって 遺伝的進化における生物学上の旧来の説明の何が間違いなのかは誰も指摘できないのである
「知って」いるだけで 何の応用も効かないのである
それは「自分の頭で考えて」いないからである
だから未だに「進化で月経の痛みがなくならないのかしら」などという荒唐無稽でトンチンカンなことを言い出すバカがいなくならないのである
どういうわけか物理工学系研究者の大半は「専門外」と称して生物学上の誤謬については誰も言及したがらない
同じ大学であれば他の学部で間違ったことを教えていることを傍観放置しておいて良いわけがないのだが
「面倒臭いことには関わりたくない」という事なかれ主義を発揮して 徹底した傍観放置を継続しているのである
教育者がこうした無責任な傍観放置をしていれば 当然ながら生徒達は社会に出てから無責任な傍観放置が「常識」となってしまうことになるのである
「世の中は 所詮そういうものだ」という諦観によって 考えないようにしておけば安心満足であるため ヒトは問題を見ないようにすることで「問題盲」は生ずるのである
ヒトは諦めると満足するのである
諦めてしまえば自分には責任がなくなると「思って」いるからである
その諦めというものを正当化するのに都合が良い話が フリードリヒ:ニーチェの言う「できそうにないことは やらない方が良い」という迷言である
ニーチェなどの虚無主義に衆愚人気があるのは 「諦め」や「根拠のない決めつけ」をしておいた方が 何も考えたくない衆愚が気分的に安心満足感が得られるのが原因である
Ende;