インスタとかで痩せていることを自慢しているアカウントに「いいね」的なものが大量に集まっていることに憧れるあまり 拒食症でガリガリに痩せてしまっている事例というのが幾度も繰り返されていて呆れている
今のマスメディアでは西野七瀬みたいなヒョロヒョロの女子に人気が集まっているものの だからといって「痩せれば自信がつく」などというのは錯覚である
人は個人差というものがあって 生まれつき肋骨の容積が小さくて肩幅も狭い人というのがいるので 「細い=痩せている」とは限らないのである
西野七瀬は別に「痩せて」などいなくて 先天的にそういう体型なのよ だから細いけど肋骨とか関節とか特に目立たない
それを勘違いして「体重の軽さ=多数評価=自信」といった幼稚で短絡的方程式に基づいて痩せたところで 元々の体型から逸脱した過度なダイエットをしてもバランスの変な体型になるだけなので意味がない
上白石萌歌ちゃんとか 水着になるとそんなに細くないけど 自然で健康的な体型なので違和感が何もなくて むしろダンスで鍛えているもんだから昭和なアスリート体型なのを買われて大河ドラマに水泳選手役で出演していたこともある
どこで どういう評価を得られるのなんかわからないのよ
ヒトってどうしても他人と比較して優位に評価してもらうことに陥りがちだけど そういう評価承認欲求の中毒症状に陥ると自己客観性というものを見失って 過度なダイエットによる拒食症に陥り 栄養不足によって脳の判断能力まで喪失してしまって 自分の体型が明らかにおかしいことにも気づけなくなってしまう
そもそも多数他人と比較して優劣を競わなければならないのか それを競って勝てば自信にでもなるというのは錯覚以外のなにものでもない
多数他人から体型を褒められても 最終的には一人の配偶者に気に入られさえすれば良いものを 何で多数他人からの評価を必要とするのか ちょっと自分の頭で考えてみれば 多数他人からの体型の評価なんぞ自分の人生において何の意味もないのである
多数他人と繁殖するつもりもないでしょうよ だったら多数他人から体型を評価してもらう必要って何?
学力偏差値とかもそうなんだけど 画一的評価基準なんてものは他人が勝手に決めつけたものであって 認知科学的な合理的根拠があるわけでも何でもなかったりする
ブラインドキー入力の試験みたいのが IT系技術者養成の基準みたいになっているけど 実際にはプログラミングってアルゴリズムを考えていることの方が長くって 実際のコーディング自体はコピペが大半なので タイピングの速さはプログラミングの能力にはあまり意味がない
どのコードがスケルトン(土台・骨格)として役に立つのかを知っているかとか 内容を理解して どこをどう書き直せば自分の作ろうとしているプログラムになるのかを理解していることの方が重要であって タイピングの速度なんぞ実際にやってりゃ馴れで知らない内に速くなるもんです
むしろ 他人が思いつかないようなアルゴリズムを考える発想力とか アイデアの方が有益であって 他人と比較して「どんぐりの背比べ」競走に勝っても 「その人」でなければならない理由にはならず ただの「プログラミングスキルがある凡人」にしかならない
今の小学生が大人になって仕事に就く頃には もしかするとキーボードタイピングが不要になって 音声入力とかAIによる自動コーディングが主流になってしまえば タイピングの速度なんてもんは無駄でしかなくなる可能性が高い
「その人」ならではの発想能力とか 個性みたいなものの方が将来社会的には役立つのであって 他人と比較するだけの評価基準なんてものは資格試験くらいにしか役に立たない
一級建築士免許を持っていても 建築強度偽装でもしなければ喰っていけない程能力を買い叩かれてしまうのは 「その人」でなければ出来ない個性や発想力が何もない「一級建築士免許を持っているだけの凡人」だからに他ならない
結果的に他人に多大な迷惑をかけることになってしまったのでは 何の自己肯定感も得られない糞みたいな人生ではないか
振り込め詐欺師が他人を騙す能力を評価されても その「有能感」なんてのは詐欺師内部だけの限られた評価基準にすぎず 本質的な自己肯定には全くならないため むしろ自己に対する否定的感覚が強くなってしまい 結局はエタノールだのニコチンだので脳を麻痺させて現実逃避することしか出来ない糞野郎になるのである
他人を騙せば一時的に利益を得ることは可能かも知れないが 「他人を騙して利己的金儲けをした」という自覚がある以上は自己肯定感はボロボロになり 生涯良心の呵責に苛まされて生きる虚しい人生である
誰からも評価されないとしても 本当に大切な「人間としての尊厳」に基づいた行動選択をしていれば たとえ貧乏でも スイス山中で自決するとしても 虚しくなどない
だって どうせ最後は誰もが死ぬんですからね
どんなに健康そうな美男美女だって 最後は必ず死ぬんですよ
生き続ける上において 自分で本当に納得のゆく行動選択をしなければ 「生ける屍」に過ぎないでしょ
世の中には自分の頭で物事を考えて判断することを一切しないゾンビみたいな奴が大半ですよ
兵隊というのは典型的なゾンビですから 戦争のようなバカげたことに便利に利用することも可能となり だからこそ戦争などという野蛮行為が一向に減らないんですよ
拒食症患者なんて見た目からゾンビみたいです
主体的目的意識のない無意識なゾンビは社会に迷惑しかかけません
自分がどういう人物になりたいのかを 自分の頭で考え 選択して選ばないと 「本当の自由」にはなれないんですよ
先天的な脳の性質によって 発話言語が苦手だったり 文章の読み書きが苦手な人っていうのもいますけど それって「頭が悪い」んじゃなくて 単なる個性の範疇でしかない
むしろ詐欺師なんてのは言語会話能力は高くなきゃできませんよ でもバカで無能だから詐欺師になる
画一的な評価基準においては 読み書きや口頭での受け答えの能力は評価基準になりますけど 本当はそれ 根拠のない「嘘」なんですね
読み書きの能力が低い人っていうのは ヴェルニッケ野などの発達に何らかの影響があるからであって 何かの能力が低い場合には 他の能力が高いというケースが多いものです
サヴァン症候群みたいに数分しか見ていない風景を 緻密に記憶出来る能力を持っているとか 一瞬見た床に散乱したマッチ棒の数を言い当てるとか そうした特殊能力を発揮する場合がある
アスペルガー症候群の人の中には ドライブレコーダーの映像から 危険な可能性のある場面を4倍速で発見できる特殊能力者というのもいるそうです
「その人」が 一体どのような能力に長けているか それを自分で理解していれば 何を社会的に役立てられるのかも自ずと見えてくるものです
他の人との違い 個性というものを知り 「その人」の持つ得意な能力を発揮できることによって 他の人には難しいことを分担して行うこともできるわけで 個性を尊重し 多様性を重視することというのは社会効率上も合理性があるのです
学力偏差値のように画一的評価基準で序列を押し付けることというのは 生徒の人格を歪め 他人を蹴落とすことしか考えない卑劣な人格を作り出してしまう危険性もあるのです
自閉症で発話言語会話が苦手な子なら 学校で差別イジメに遭いやすいでしょうけど それは子供の幼稚で身勝手な基準によるものですから意味がありません 偏差値よりも意味がないんですよ
だから大人が子供を常に見張ってなきゃいけない
むしろ 子供個人の主体的興味さえ引き出してあげれば 子供は勝手に学ぼうとするのであって 大人は補助的に支えてやるだけで良いんですよ 子供自身が本当に興味や好奇心を持って楽しめることがあれば イジメなんてやっている暇なんかなくなる
それを画一的偏差値基準で序列順位を押し付けてしまうと 子供は競争へのストレスによって攻撃的な行動も採るようになってしまい 「どれだけ暴力的にイジメられるか」の競争にも陥ってしまうこともある
インスタグラムの「いいね」欲しさに拒食症になるなんてのも 到達点のない無駄なデスレースでしかありません
純粋に個人的に楽しめる事があれば 拒食症にもならないんですよ
「博士ちゃん」達って全員健康そうでしょ 過食にも拒食にもなっている暇なんかないからです
見た目も気にしません
他人からの見た目なんぞ気に病んでいる暇すらないからですよ
他人に迷惑をかける奴ってのは 要するに暇なんすよ
プーチンは暇だから戦争なんかやっている
本当は何がしたいのかがわからない心の穴を埋めるために暇つぶしで戦争なんかやっている それは毎日イジメに邁進しているバカな学生と一緒ですよ
暇つぶしで戦争させられてる方は迷惑でしかないですけどね
両軍共にね
ロシア側の戦車が何千輌も「聖ジャベリン」で破壊されているそうですけど 戦車って3人くらい乗ってますから3倍の戦車兵が殺害されていることになる
「聖ジャベリン」ってのは戦車の装甲の薄い上面から装甲を貫通して車内を丸焼きにする凶悪な兵器ですから ロシアのRPG−7みたいにキャタピラを切断して動けないようにするだけの兵器よりもはるかに凶悪です
スティンガー対空ミサイルでロシアのヘリコプターも何機も迎撃されてますが 一機当たりに何人乗ってたんだか…
戦争なんてのは そもそもがデスレースであって どっちが勝っても本当の勝者なんかいませんよ
全員敗者です
拒食症を競っているのと同じです
いくら「いいね」を集めても いくらプロパガンダで騙した国民から賛同されても 全部虚構の評価です
Ende;