書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

虚構の評価

2022年05月11日 21時45分18秒 | 意識論関連

インスタとかで痩せていることを自慢しているアカウントに「いいね」的なものが大量に集まっていることに憧れるあまり 拒食症でガリガリに痩せてしまっている事例というのが幾度も繰り返されていて呆れている

今のマスメディアでは西野七瀬みたいなヒョロヒョロの女子に人気が集まっているものの だからといって「痩せれば自信がつく」などというのは錯覚である

人は個人差というものがあって 生まれつき肋骨の容積が小さくて肩幅も狭い人というのがいるので 「細い=痩せている」とは限らないのである

西野七瀬は別に「痩せて」などいなくて 先天的にそういう体型なのよ だから細いけど肋骨とか関節とか特に目立たない

それを勘違いして「体重の軽さ=多数評価=自信」といった幼稚で短絡的方程式に基づいて痩せたところで 元々の体型から逸脱した過度なダイエットをしてもバランスの変な体型になるだけなので意味がない

上白石萌歌ちゃんとか 水着になるとそんなに細くないけど 自然で健康的な体型なので違和感が何もなくて むしろダンスで鍛えているもんだから昭和なアスリート体型なのを買われて大河ドラマに水泳選手役で出演していたこともある

どこで どういう評価を得られるのなんかわからないのよ

 

ヒトってどうしても他人と比較して優位に評価してもらうことに陥りがちだけど そういう評価承認欲求の中毒症状に陥ると自己客観性というものを見失って 過度なダイエットによる拒食症に陥り 栄養不足によって脳の判断能力まで喪失してしまって 自分の体型が明らかにおかしいことにも気づけなくなってしまう

そもそも多数他人と比較して優劣を競わなければならないのか それを競って勝てば自信にでもなるというのは錯覚以外のなにものでもない

多数他人から体型を褒められても 最終的には一人の配偶者に気に入られさえすれば良いものを 何で多数他人からの評価を必要とするのか ちょっと自分の頭で考えてみれば 多数他人からの体型の評価なんぞ自分の人生において何の意味もないのである

多数他人と繁殖するつもりもないでしょうよ だったら多数他人から体型を評価してもらう必要って何?

学力偏差値とかもそうなんだけど 画一的評価基準なんてものは他人が勝手に決めつけたものであって 認知科学的な合理的根拠があるわけでも何でもなかったりする

ブラインドキー入力の試験みたいのが IT系技術者養成の基準みたいになっているけど 実際にはプログラミングってアルゴリズムを考えていることの方が長くって 実際のコーディング自体はコピペが大半なので タイピングの速さはプログラミングの能力にはあまり意味がない

どのコードがスケルトン(土台・骨格)として役に立つのかを知っているかとか 内容を理解して どこをどう書き直せば自分の作ろうとしているプログラムになるのかを理解していることの方が重要であって タイピングの速度なんぞ実際にやってりゃ馴れで知らない内に速くなるもんです

むしろ 他人が思いつかないようなアルゴリズムを考える発想力とか アイデアの方が有益であって 他人と比較して「どんぐりの背比べ」競走に勝っても 「その人」でなければならない理由にはならず ただの「プログラミングスキルがある凡人」にしかならない

今の小学生が大人になって仕事に就く頃には もしかするとキーボードタイピングが不要になって 音声入力とかAIによる自動コーディングが主流になってしまえば タイピングの速度なんてもんは無駄でしかなくなる可能性が高い

「その人」ならではの発想能力とか 個性みたいなものの方が将来社会的には役立つのであって 他人と比較するだけの評価基準なんてものは資格試験くらいにしか役に立たない

一級建築士免許を持っていても 建築強度偽装でもしなければ喰っていけない程能力を買い叩かれてしまうのは 「その人」でなければ出来ない個性や発想力が何もない「一級建築士免許を持っているだけの凡人」だからに他ならない

結果的に他人に多大な迷惑をかけることになってしまったのでは 何の自己肯定感も得られない糞みたいな人生ではないか

 

振り込め詐欺師が他人を騙す能力を評価されても その「有能感」なんてのは詐欺師内部だけの限られた評価基準にすぎず 本質的な自己肯定には全くならないため むしろ自己に対する否定的感覚が強くなってしまい 結局はエタノールだのニコチンだので脳を麻痺させて現実逃避することしか出来ない糞野郎になるのである

他人を騙せば一時的に利益を得ることは可能かも知れないが 「他人を騙して利己的金儲けをした」という自覚がある以上は自己肯定感はボロボロになり 生涯良心の呵責に苛まされて生きる虚しい人生である

誰からも評価されないとしても 本当に大切な「人間としての尊厳」に基づいた行動選択をしていれば たとえ貧乏でも スイス山中で自決するとしても 虚しくなどない

だって どうせ最後は誰もが死ぬんですからね

どんなに健康そうな美男美女だって 最後は必ず死ぬんですよ

生き続ける上において 自分で本当に納得のゆく行動選択をしなければ 「生ける屍」に過ぎないでしょ

世の中には自分の頭で物事を考えて判断することを一切しないゾンビみたいな奴が大半ですよ

兵隊というのは典型的なゾンビですから 戦争のようなバカげたことに便利に利用することも可能となり だからこそ戦争などという野蛮行為が一向に減らないんですよ

拒食症患者なんて見た目からゾンビみたいです

主体的目的意識のない無意識なゾンビは社会に迷惑しかかけません

自分がどういう人物になりたいのかを 自分の頭で考え 選択して選ばないと 「本当の自由」にはなれないんですよ

 

先天的な脳の性質によって 発話言語が苦手だったり 文章の読み書きが苦手な人っていうのもいますけど それって「頭が悪い」んじゃなくて 単なる個性の範疇でしかない

むしろ詐欺師なんてのは言語会話能力は高くなきゃできませんよ でもバカで無能だから詐欺師になる

画一的な評価基準においては 読み書きや口頭での受け答えの能力は評価基準になりますけど 本当はそれ 根拠のない「嘘」なんですね

読み書きの能力が低い人っていうのは ヴェルニッケ野などの発達に何らかの影響があるからであって 何かの能力が低い場合には 他の能力が高いというケースが多いものです

サヴァン症候群みたいに数分しか見ていない風景を 緻密に記憶出来る能力を持っているとか 一瞬見た床に散乱したマッチ棒の数を言い当てるとか そうした特殊能力を発揮する場合がある

アスペルガー症候群の人の中には ドライブレコーダーの映像から 危険な可能性のある場面を4倍速で発見できる特殊能力者というのもいるそうです

「その人」が 一体どのような能力に長けているか それを自分で理解していれば 何を社会的に役立てられるのかも自ずと見えてくるものです

他の人との違い 個性というものを知り 「その人」の持つ得意な能力を発揮できることによって 他の人には難しいことを分担して行うこともできるわけで 個性を尊重し 多様性を重視することというのは社会効率上も合理性があるのです

学力偏差値のように画一的評価基準で序列を押し付けることというのは 生徒の人格を歪め 他人を蹴落とすことしか考えない卑劣な人格を作り出してしまう危険性もあるのです

自閉症で発話言語会話が苦手な子なら 学校で差別イジメに遭いやすいでしょうけど それは子供の幼稚で身勝手な基準によるものですから意味がありません 偏差値よりも意味がないんですよ

だから大人が子供を常に見張ってなきゃいけない

むしろ 子供個人の主体的興味さえ引き出してあげれば 子供は勝手に学ぼうとするのであって 大人は補助的に支えてやるだけで良いんですよ 子供自身が本当に興味や好奇心を持って楽しめることがあれば イジメなんてやっている暇なんかなくなる

それを画一的偏差値基準で序列順位を押し付けてしまうと 子供は競争へのストレスによって攻撃的な行動も採るようになってしまい 「どれだけ暴力的にイジメられるか」の競争にも陥ってしまうこともある

インスタグラムの「いいね」欲しさに拒食症になるなんてのも 到達点のない無駄なデスレースでしかありません

純粋に個人的に楽しめる事があれば 拒食症にもならないんですよ

「博士ちゃん」達って全員健康そうでしょ 過食にも拒食にもなっている暇なんかないからです

見た目も気にしません

他人からの見た目なんぞ気に病んでいる暇すらないからですよ

他人に迷惑をかける奴ってのは 要するに暇なんすよ

プーチンは暇だから戦争なんかやっている

本当は何がしたいのかがわからない心の穴を埋めるために暇つぶしで戦争なんかやっている それは毎日イジメに邁進しているバカな学生と一緒ですよ

暇つぶしで戦争させられてる方は迷惑でしかないですけどね

両軍共にね

ロシア側の戦車が何千輌も「聖ジャベリン」で破壊されているそうですけど 戦車って3人くらい乗ってますから3倍の戦車兵が殺害されていることになる

「聖ジャベリン」ってのは戦車の装甲の薄い上面から装甲を貫通して車内を丸焼きにする凶悪な兵器ですから ロシアのRPG−7みたいにキャタピラを切断して動けないようにするだけの兵器よりもはるかに凶悪です

スティンガー対空ミサイルでロシアのヘリコプターも何機も迎撃されてますが 一機当たりに何人乗ってたんだか…

戦争なんてのは そもそもがデスレースであって どっちが勝っても本当の勝者なんかいませんよ

全員敗者です

拒食症を競っているのと同じです

いくら「いいね」を集めても いくらプロパガンダで騙した国民から賛同されても 全部虚構の評価です

 

 

 

Ende;

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無間地獄

2022年05月11日 16時50分17秒 | 意識論関連

2000年くらい昔には 本当に神様がいて 悪いことをしたら天罰を下してくれたのかも知れないが それは古文書には書いてあるものの 本当にあったことなのかどうかはもはや確認のしようがない

すくなくとも現代においてはパレスチナやウクライナやミャンマーにおける野蛮行為に対して神様的なものは何の役にも立たないことは明らかである

年端もいかない子供達が蹂躙され 頭から血を流して死んでいても 何もしてくれない神なんぞいてもいなくても どっちでも良い話ではないか

「再現性」がない現象は 実質的には役に立たないのである

いくら神様を信じて安心しても 温室効果ガスを減らす上においては意味がないでしょ

 

だが ノルウェーの「リゾート刑務所」が犯罪の再犯防止に高い効果を上げ 被害を減らすことに成功していることは 再現性のある統計的事実である

平気で他人に危害を加えていた野獣のような残忍な犯罪者が 自分から「いつまでこんなくだらないことを続けているんだ もう良い大人だろ」と自覚を促し更生させることに「リゾート刑務所」は実質的効果を上げているのである

刑務所に服役している犯罪者の6割は 幼少期に暴力を伴う苛烈な虐待を受けて育っていることが 実際の刑務官によって実証されているのである

暴力を受けて育つことで暴力的になった人に対し 懲役罰という国家権力による抑圧的生活を強要しても逆効果にしかならず 英国での再犯率は70%を超えているという

懲罰というのは 被害者や大衆の心情(気分)的には満足感を得られるものではあるものの 実質的には被害を減らすことには実効性がなく むしろ被害を継続的に増やしてしまうものであって それを公的資金を浪費して実行し続ける不毛さは自覚しなければならない

おしなべて独裁者というのは暴力によって統治しようとしたがる傾向があり これはヒトに普遍的に見られる懲罰感情バイアスによる凡人が考える幼稚な統治の方法論である

暴力的威圧で服従させたがるのは 自分自身が暴力威圧的な相手にしか従おうとせず 自律的に社会的責任判断をすることが困難であるが故に 「国民の全員もまた自律的な社会的責任判断なんぞ出来ないはずだから 暴力威圧的に抑圧しておかなければ統治が絶対に出来ない」という観念が働いているからである

 

バカは暴力的で「怖い」相手にしか従わない

自分の頭で物事を考え判断し 自律的に社会的責任ある行動選択をしようとしないからこそ「バカ」なのである

神だろうが権力者だろうが嘘で騙した国民であろうが とにかく「怖い相手」に服従忖度してさえおけば その「怖い相手」からの評価承認が得られるもんだから主観的な満足感が得られる

しかし その満足感というのはあくまで他人ありき 他人次第であるために 本当の自分の充足感にはならないために いくら資産や権力を集中させても本当の自分は満たされることがないのである

いくら他人を恐怖で支配しようとも 本当の自分は満たされず むしろ「暴力的恐怖で他人を支配している」という自分自身の卑劣さによって自尊心や自己肯定が出来ないことに腹を立てているのである

それはまるで 自分の尻尾を追いかけてグルグル回り続けるイヌのようなものであり その行為に終わりがない

それを仏教では「無間地獄」と言うのである

「無限」ではなくて「無間」なのは間違えているわけではないよ 「無限」のように時間的余裕すらない焦燥感で圧迫されているから「無間」地獄と言う 飯を喰ってても 風呂に入っていても 糞してても 常に罪悪感に苛まされる人生 それが「無間地獄」

 

自分の頭で物事を考え 何が本当に社会的責任判断選択になるのかを自律的に判断できる者であれば それができない相手をどうやったら自律的な社会的責任判断選択ができるようになるかまで考えが及ぶのである

暴力的威圧でしか統治できないと「思って」いる奴というのは 「自分が出来ないことは 他人も出来ないはずだ」という個人的観念に基づき 「俺だけが自律的な社会的責任判断選択が出来ないとしたら 俺だけがバカみたいじゃないか」とも「思って」いるから 何が何でも暴力威圧的統治だけでナントカしようとすること以外何も思いつかないのである

暴力威圧で温室効果ガスは削減できない

一人一人が自律的に自分の責任において行動しなければ 温室効果ガス削減は無理なのであり 権力者とか神はどうでも良い話なのである

 

 


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憐れなバカ

2022年05月11日 15時19分49秒 | 意識論関連

「集団脳」(或いは「集合知」)というものが文明の発展において大きな貢献をしたことは確かであろう

多くの人がそれぞれの役割分担をしなければ達成できない事や物はあるが 逆に多くの人によって破綻や組織腐敗の危険性が放置される原因ともなる

集団が統率的協調行動を採ることができれば「大きな力」を発揮することは可能だが その「大きな力」そのものを制御するのは個人の目的「意識」であって 「力の大きさ」だけを自慢されても万能なわけではない


ヒトという種の生物は 多数人気や多数派が承認する権威こそが常に正しいという感覚を抱き 論理的に全く根拠のないオカルト妄想であっても簡単に鵜呑みにする習性があり 逆に論理的根拠に基づいた批判であっても内容も理解せずに多数や権威が認めず少数異端であるというだけで嘘やデマだと決めつけてしまう傾向がある

太平洋戦争の際に 政府に唯々諾々と服従した特攻隊は「英霊」として尊ぶが 政府を批判して投獄された「政治犯」は英霊どころか「裏切り者」としてしか扱われることはない

ヒトという種の生物は その先天的な社会形成習性によって「大きな力」を発揮することも可能であるが この「大きな力」は組織腐敗の原因や危険性放置の暴走原因ともなるのである

ヒトの大半は 論理客観的な根拠のある危険性よりも 主観的安心満足や恐怖心でしか物事を判断しようとしない習性があり だからこそ哲学は真理(本当のこと)を識別することに価値があるのであり 人生相談的に主観的悩みを解決するために都合の良い「こじつけ」によって満足することを哲学だと見なすことは 哲学に対する冒涜というものである

マイケル:サンデルが提供する「トロッコ問題」では どちらを選択してもしなくても倫理的責任が存在していないにも関わらず 最初に「倫理の話」や「正義の話」だと宣言している これは明らかに詐欺であり 読書猿が「実害があります」と宣言しておきながら結局は「かもしれません」といった根拠の乏しい予測に終始しているのと同じような話である

マルクス:ガブリエルは大量の知識をひけらかして大衆に「大衆観念上の知能」を偽装した上で 「摩天楼は空と見分けがつかない だから真実が見えなくなる」だとか 「世界は存在しない」「時間は無限に分割すればなくなる」などという支離滅裂な話をしても 大衆の大半は何の疑いも持たずに簡単に鵜呑みにし 何かの役に立つ論証であるかのように錯覚したまま 誰も疑うことをしなくなる

養老孟司は「客観的事実などない」などと真理(事実)を根底から否定しているオカルトであるにも関わらず 衆愚の大半は誰も疑わず 未だに学術権威だと信じて疑うことをしないのである

生物学者の大半は遺伝的進化が目的や意図戦略に基づいて都合良く進化が促されるかのような「説明」を続けているが 遠藤秀紀など一部の学術権威はこれを「典型的な間違い」だと否定しているにも関わらず NHKなどマスコミは内容を一切理解せず その場限りに権威の言っている内容を漫然と鵜呑みにして「裏を取った」とファクトチェックだと勘違いし 何が「典型的な間違い」なのかには何の興味も持たない

あるウイルス研究者は「ウイルスが宿主を絶滅させることはない」と断言しているが 論理客観的根拠や証拠は何もなく 「かつて宿主ごと絶滅した可能性の全てが絶対に存在していない」と断言しているのと同義である

長い生物史の中では幾度もの大絶滅や かつて存在していたが絶滅した生物種は数限りなく存在しているにも関わらず その絶滅の全てにウイルスが絶対に関わっていないことを証明することは不可能である

「絶滅させることはない」とは言っても それは種としての「繁殖の継続」が可能かどうかを論じているに過ぎず 80億のヒトの79億が死滅しても 1億が繁殖を継続してさえいれば文明が崩壊しようとも「絶滅はしていない」という話に過ぎず 決してウイルスの危険性の反証になっているわけではないのである

大衆の大半は「絶滅はしない」という話を聞いて 「自分達は安全だ」とでも勝手に勘違いした解釈をするが 勘違いも甚だしい

タレントのYouが「月経の痛みは進化でなくならないのかしら?」などと言い出すのも 遺伝的進化というものに対する著しい「典型的な間違い」に基づいたものであり 遺伝的進化というものは決して都合良く選択できるようなものではないのである

ヒトが賢く進化をするためには バカに対する強力な淘汰圧力が必要だが 現代文明社会においてはそうした淘汰圧力は働くことはない

そもそもバカではない人であれば 淘汰圧力自体を肯定することはなく「誰一人として取り残さない」という人間性を発揮するものである

遺伝的進化のアルゴリズムというものは決して難解なものではなく ランダムな変異と淘汰圧力によって生息環境への適応の結果として生ずる自然現象に過ぎず 「バカになりたくない」と望もうが願おうが祈ろうが呪おうが都合良く頭が良くなるよう収斂進化が促される淘汰圧力は全く働かないのである

ヒトという種の生物は先天的にはバカになる習性が組み込まれているため 個人が自律的に物事の真偽を判定するための論理客観性を発揮するために科学や哲学という学問があるにも関わらず 多数の衆愚観念によって生物学や哲学が論理客観性を無視した根拠不明の謎の「決めつけ」を鵜呑みにし 主観的な安心満足感ばかりを基準に大衆人気の多数決が「多数による検証」か何かだと勝手に錯覚しているだけなのである

 

東京大学大学院の山本芳久は アリストテレスの「ニコマコス倫理」を取り上げ 「倫理にはゆらぎがある」などと主張しているが

それ 本当ですか?

論理客観的根拠に基づいた信用するに価する真実だと言えるんですか?

「原発の危険性を放置するかどうか」の判断に「ゆらぎ」があって良いものなんですか?

「東大大学院教授」とか「アリストテレス」の主張だと言われると あたかも絶対的真実であることが約束されているかのような盲目性をヒトは発揮してしまいがちだが それこそが主観が作り出した妄想錯覚による「無意識」というものである

権威など 「自分よりも上」とみなした相手の言っている内容について ヒトは自分の頭で「絶対に正しいと言えるのかな?」と考えることなく盲目的に信頼し 鵜呑みにしておいた方が主観的に安心満足感が得られるのである

これもまた主観が無意識に勝手に作り出した脳電位(欲望)であり「エピソード記憶」のでっち上げの原因でもある

ヒトは哺乳類であるために 産まれてくれば初期的には「親」に盲目的に服従し 「親」から好かれ 評価承認されたいという欲望(脳電位)が自動的自然に生じるように出来ているため 神でも権威でも何でもプーチンだろうがヒトラーだろうが田中英寿だろうが盲目性を発揮して主観的満足を優先する習性が存在しているのである

「だって わからなかったんだもの」というのは幼稚な言い逃れに過ぎず 事後正当化の「エピソード記憶」に他ならない

だからといって気分的に落ち込む必要性はない

気分的にいくら落ち込んでも 間違えてしまう原因究明にも再発防止にも全くつながらないからである

そもそもヒトは基本的に全員が権威の言うことを鵜呑みにし「自分の頭で考えない」性質を持っているのであって こうした先天的な認知上の欠陥が存在していることを踏まえて 「これから間違えないようにすること」が最も重要なのである

ヒトである以上は誰もが間違える可能性を持っており 決して絶対的に信用して良い相手などいないと考えるべきであり これは本論においても同じことが言える

それが主観的に「不安」かどうかは安全性とは無関係であり 主観的安心満足を優先してしまうが故に安全性が損なわれてしまう大きな要因となるのである

ただ そもそも学術権威の肩書や査読のない本論の場合には 論理的理解よりも観念的拒絶反応の方が圧倒的に強く働く傾向があるのだが

話の大部分が論理整合性のある真理だと理解出来たとしても 「これからも絶対に間違えることがなく 盲信しても構わない」という話には全くならない

俺は神じゃねぇんだ

ましてや話の一端だけを抽出して都合の良い勝手な「解釈」をこじつけてスポーツ選手だの芸能人のヘイトやバッシングの正当化に利用されては 真理が撹乱されるばかりで迷惑極まりない

 

ヒトはどうしても自分の主観的感覚や欲望が優先してしまい 自己客観的に冷静な行動選択をしなくなる性質があるため 目先の懲罰感情ばかりを優先してヘイトやバッシングだけして満足しようとする傾向が強い

それこそMicrosoft社のTwitterAIがSNS上のヘイトを機械的に深層「学習」することによって AIまでもがヘイトに同調するようになるほどSNS上にはヘイトが蔓延しているのである

国連が多様性の重要性を訴えているのは それが社会持続可能性や安全性や公平性において必要だからであって わざわざ国連が目標として掲げなければならないのは ヒトという種の生物はほったらかしておくと勝手に差別や序列格差を拡大してしまう傾向が非常に強いからである

誰が嘘をついているのか 誰が間違ったことを主張しているのか それを各々の個人が自分の頭で論理客観的に考え検証して見極めることこそが重要であり それは自分の内部の情動においても検証する必要がある

「殴りたいから 殴った」とか 「気に入らないから 誹謗中傷した」とか そういった個人的好き嫌いだけで他人を攻撃して満足するからこそ 公平性が損なわれ多様性を受容する寛容さも失われてしまうのである

私とて 家の前で糞DQNが酔っ払って騒いでいれば「死ねよバカ」としか「思わ」ないが だからといって懲罰的にバットで殴り倒してもこの世の糞DQNの全てがいなくなる合理的根拠は何もないのである

自分の意識の9割が無意識な情動行動バイアスに過ぎないことを 私は認識理解しているからこそ 私は暴力的懲罰によるヒステリックな解決をしないのである

迷惑な糞DQNが どうして存在しているのか どういう生育プロセスや思考パタンによって身勝手で迷惑なバカになったのか その論理客観的原因究明によって再発防止策を構築しないことには いくらでもバカなんぞ増える一方でキリがない

「クサいニオイは元から絶たなければダメ」なのであって 自分が「悪臭の源」になってどうする

ヒトが求める本当の幸福というものは 他人との比較で優位に立つことなどではなく 安全で公平で暴力や差別のない社会の中で 純粋に楽しめる事柄に熱中することである

ところがヒトというのは 「本当の目的」を簡単に忘れて 目先の情動を満たすことばかりに意識を奪われ 結局は先天的本能が促す民族浄化バイアスによって暴力や差別に暴走する無意識なバカの方が圧倒的に多いものなのである

自分が個人的に純粋に楽しいと思えることというのは 別に社会的多数からの評価も承認も必要はない

プラモデルをこさえて楽しいと感じられるのであれば それを千住真理子のヴァイオリンと比較する必要性などどこにもないのである

そもそも脳神経接続が他人とは存在しない以上 「楽しい」かどうかは他人と比較しても無意味なのである

プラモデルをこさえても社会的には何の意味も価値もないが それは「子供が作る泥団子」とて同じことであり 「自分が楽しい」ことが自分にとっての価値なのである

他人と比較して いくら資産や権力を誇示しても それは所詮は他人との比較である以上は本当の自分の満足にはならないが故に プーチンなどの独裁者達は暴力的な暴走破綻へと陥ることになってしまうのであり 嘘で塗り固めた権力であるからこそ 嘘の上塗りによってのみ権力体制の維持しかできなくなるのである

「自分は嘘つき」であることの自覚認識があるからこそ プーチンには自尊心が働かなくなるのであり 自己肯定感の欠落した心の穴を覆い隠して「見ない」ようにするためには 益々上っ面な「他人からの評価」にばかり頼ろうとするのである

こうした糞野郎の思考パターンというのは 決して珍しいものではなく 外国人研修生をイジメて喜んでいるバカだの アオリ運転に熱中しているバカだの イジメに邁進して仲間内での評価を得ようとしているバカだの 芸能人やスポーツ選手を誹謗中傷しているバカだの バカを挙げたらキリがないのである

だが 結局は自分で自分を騙すことは本当は出来ないのである 何せ「自分」である以上は騙しようなどなく 既に行った自分の行動を事後正当化するための「エピソード記憶」をでっち上げて自分までをも「はぐらかす」ことしか出来ないのである

それは 客観的に見れば とても憐れで惨めな人生である

 

 

 

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ゾンビハンティング(キリがない)

2022年05月11日 12時18分36秒 | 意識論関連

「信じたい話ばかりを信じようとする」

これは先天的欲望であり 行動バイアス(主観)である

自分の頭で物事を判断せずに 権威肩書だのNHKだのといった「概ね信じていても構わない」相手に対して盲目的信頼によって何の疑いも持たずに鵜呑みにしている方が気分が楽であるため

ヒトはちょっと考えれば誰でもわかるような簡単な間違いや嘘であっても誰も気づかなくなるものなのである

ロシア人の7割以上がプーチンを信頼しているのも 決してロシア人だけが異常な盲目性を発揮しているわけではなく そもそもヒトというのは民族国籍に関わらず自分が属する集団に対する盲目的服従迎合性というものを発揮しがちな先天的本能習性が備わっているのである

かつてはドイツ人がナチスに迎合し 国籍民族に関わらず兵隊というのは上官の命令に対して逆らうことなく唯々諾々と服従することで 戦争などというバカげたことにも利用できるのである

そして 一旦戦争状態という殺し合いが始まってしまえば 人道上の倫理的判断など意味を失い 暴力と略奪破壊の応酬にしかならなくなる

こういう話をすると 「自分の国の軍隊だけは そんな残虐なことはしないはずだ」と信じたがるヒトは多いが 日本人であっても太平洋戦争の際には散々残虐行為をやらかしていたのである

兵隊には「自分の意思」など存在せず あくまで上官の命令に盲目的に服従する以外には何の判断選択もしないよう「訓練」され行動「学習」させられているからである

「洗脳」というと オウム真理教などの荒唐無稽なカルト宗教などの専売特許であるかのように主観的印象を持つ人は多いが

そもそも軍隊そのものが洗脳の手法を応用した集団であって 軍隊でないとしても日本大学や振り込め詐欺のような組織腐敗による封建的服従統率性を発揮するものであって 決して珍しいものではなく むしろヒトという種の生物に普遍的に見られる先天的本能習性なのである

子どもたちだけではイジメが止められず 被害者を自殺に追い込むまで過激化暴走してしまうのも 加害者側集団の封建的な服従統率性によるものであり ヒトという種の生物というのは集団統率的に誰かを差別して攻撃していることが快楽となる情動バイアスが先天的に組み込まれているのが原因である

要するに ヒトには先天的に非人間性が組み込まれているのである

 

相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の植松聖に対し 梅沢富美男が「こんな奴は裁判など要らぬ 死刑にしちまぇ!」と怒鳴り散らしたことに同調した衆愚は非常に多い

別に加害者の生い立ちなどに同情する必要はないが 一体どういったメカニズムやプロセスによって異常な残虐行為をし始めるようになったのかについては 論理客観的に原因究明をし 再発防止のための知見を得ることは社会的には刑罰よりも意義のあるものであることに間違いはない

一つの大きな事象の陰には 無数の小さな事象が隠れているのであって 一つの残虐な殺人の陰には無数の暴力が隠されているのである

外国人実習生に対する過激なイジメや 虐待の連鎖の事後正当化の屁理屈など 小さな暴力の積み重ねを放置することによって 大きな残虐事件への発展を許してしまう大きな要因となるのである

山極寿一が言うような「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという根拠のないデマの方がマスコミ衆愚には人気があり 気分的に安心満足感が得られる「信じたい話」を学術権威の肩書を持った山極が主張することで 衆愚は何の疑いも持たずに簡単に鵜呑みにしてしまい その多数人気による「多数が内容を担保している」かのような感覚(主観)も働くことで 一種の軽い洗脳状態に陥って盲目性を発揮してしまうのである

ヒトは理論的な間違いを指摘されたとしても 学術権威などの「肩書」を持った相手の言っている話の方ばかりを信用したがる性質があり また 一度自分が信じ込んだ話を否定されると認知的不協和(気分が悪くなる)によって頑なに自分の瑕疵を認めることに対して反射的に拒絶反応を示す性質を発揮するものなのである

自分の頭で考えて判断せずに 唯々諾々と権威肩書の言っている内容を根拠もなく鵜呑みにした自分の頭の悪さを認めたくないという 情動(無意識)によって促される反射的拒絶反応によって ヒトは自己客観性を簡単に喪失するのである

振り込め詐欺は「警察」や「市役所」「弁護士」といった権力者の肩書を装うことで被害者を騙そうとするのも 権威肩書の言うことに対して条件反射的に鵜呑みにしてしまうヒトの先天的習性を利用しているからである

 

中東由来の一神教のように論理客観的には実証不能の神が何千年も信じ込まれているのも 「盲目的に信頼できる誰か」の存在を信じていることによる主観的安心感の中毒によるものであり 何千年信じ込まれているとしても論理客観的根拠など どこにも存在しないのである

プラトンだのアリストテレスもまた何千年も読み継がれているが その「年数」や「人数」も内容の確実性の論拠にはならない

なぜなら ヒトの大半は自分の頭で物事を考え検証することなく 多数や権威を宗教のように盲目的に信頼したがる無意識な存在だからである

それはナチス政権やプーチン政権における大半の国民の迎合性からも立証されているものであり これが軍隊になると「大半」どころか「ほぼ全員」が上官の命令に唯々諾々と服従するようになるのである

ヒトとは 先天的にそういった認知的欠陥を持った存在であって 欠陥があるのに「先天的に人間性が組み込まれている」などという主張は論理的に筋が全く通らないのである

 

本論は 世の中のヒトの大半がバカであることを論証しており 読み手の大半は気分的には「嫌な話」であることから 主観的には「信じたくはない」話でもある

だが 論理客観的には誰も反証してくることはなく 単なる主観的観念による「レッテル貼り」程度の批判しかされていないのである

どこぞの病理診断医は「権威の査読がない」などと称して一蹴しようとしたが 論理的反証など一切せずに「恥ずかしい」だの「かっこわるい」だのといった個人の主観的印象だけに頼った誹謗中傷しかしていないのである

もはや小学生レベルの幼稚な「悪口」でしかない

そもそも本論は学術権威の主張に対して論理反証をしているのであって 学術権威の間違いを指摘しているのに「査読」云々など意味を為さない

大衆マスコミの大半もまた 自分の頭で考えて真実かどうかは判断せずに 漫然と学術権威肩書の主張を「裏(立証)を取った」と称して鵜呑みにしていることを正当化できていると勝手に勘違いしているのである

 

養老孟司は「殴られて意識を失うのも 意識が戻るのも 自分ではどうにもならないから 意識に自由はない」などと主張し 恐ろしいことに大衆マスコミのほぼ全員がこの話を鵜呑みにしたのである

殴られて朦朧としているわけでも 酔っ払っているわけでもないのに 「東京大学名誉教授」という肩書を持った相手の主張なら何でも鵜呑みにするという頭の悪さを存分に発揮しているのである

これこそがまさにヒトの「無意識」というものの実態である

意識には自由にならない部分も存在するが その一部分だけを抽出してきて「自由意志の全てが存在しない」という主張を鵜呑みにするというのは よっぽど自分では何も考えないバカが大半を占めているのであろう

ヒトの意識の9割 いや それ以上が無意識であるからこそ ナチス政権下のドイツ人はナチスに同調し プーチン政権下のロシア人の7割以上もプーチンに賛同しているのであり ヒトの大半は自分の頭で論理客観的に考えて何が真実なのかを識別しようともしない「バカ」なのである

学級内の8割がイジメを傍観し 2割は加害者側に回るのも イジメが起きている学級内において自分が被害者になりたくないという主観的感情が傍観者と加害者だけしかいない学級を作り出すのである

 

「本能には逆らえない」と言い出すバカも非常に多いものである

本能のままにしか行動ができずに 自制心の一切が働かないのであれば それは自分の頭で考えて物事の分別ができない「ただのバカ」でしかないのである

 

 

 


Ende;

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