書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

フラウ・ボウ

2022年05月28日 16時37分35秒 | 日記

フラウ・ボウのプラモ出てきたよ

もはや黄変しかかっているが

台座も黒ではなく スモークグレー

でもこれは値段つけられないな

送料とペイしちまうだろ

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間違った「正解データ」

2022年05月28日 14時23分14秒 | 意識論関連

直感などの「感覚」というものは あくまで学習する「正解データ」に依存するものである

学習した「正解データ」そのものが間違っていれば 間違ったものに対して安心感を「感じる」ようになる

だから天動説が信じ込まれていた時代には 地動説が「火炙り」などという暴力的拒絶反応をも引き起こしたのである

安心でないものは恐怖を「感じて」しまい ヒトは恐怖を感じると短絡的に暴力で「解決」しようとする動物なのである

ヒトの盲目性というものは 祖先の生息環境によって組み込まれた先天的本能に起因するものであり 盲目性を持った変異個体の遺伝子の方が「拡がりやすかった」という遺伝的進化の「結果」である

ヒトの暴力性においても 過酷な弱肉強食の自然環境下において 祖先が「死なずに済んだ」行動習性として収斂進化が起こったからであり 環境資源の奪い合い競争に勝ち抜く上においては 集団統率的協調行動を促す上において暴力性や盲目性が組み込まれたのである

「勝てば正義」なわけでもなければ 「死なずに生き延びたら優秀」なわけでもない

繁殖も出来ずに病気や事故などで亡くなったとしても それが人間存在としての価値を下げるようなものではない

「勝てば嬉しい」だろうし 「死なずに済めば良かったと思う」だろうが それらは個人の主観的気分に過ぎず 論理客観的に人間としての価値の論証にはならない

「死ぬか生きるかは人生の一大事」とは言うものの それなら「生きるため」なら他人を殺してまで生き続ける人生に人間としての価値があるわけでもなく どんなに生存にとって有利な行動選択をしたとしても永遠に生き続けられるわけでもないのである

人間としての存在において 他人との比較において「勝つ」ことには意味がない

勝ち負けというのは遊びの範疇であって 主観的に「楽しい」と思うだけのものに過ぎず 如何なる価値観に基づいていた「勝利」も人間としての価値にはならない

プーチンがこのまま寿命で死ぬまで生き延びられたとしても それが「人間としての優位性」になど一切ならないし 「勝利」にもならない

多くの他人を思い通りにコントロールし 物質的富や権力を掌握したとしても 自分の情動がコントロールできなければ「自由意志」でも何でもないのである

権力を掌握した「目的」というものが 他人からの評価や報酬であるからこそ社会安全性や公平性というものへの配慮が効かなくなり独裁者に成り下がるのである

 

イヌは哺乳類であり 先天的に「親」に対する「甘え」る習性を持っており

これが集団の中の血縁続柄に拠らない「ボス」へと服従対象の転移が生じ これによって集団統率的協調性を発揮し 獲物の捕獲などにおいては有利に働くことで収斂進化が促された

これが先天的な本能としての社会形成習性であり 統率的協調性を発揮するとは言っても 実際には封建的序列に基づく不公平なものであり 「ボス」に気に入られなければ差別排除の対象となるものでもある

ヒトにおいても こうした習性に違いはなく 頭の悪い暴力団や 学力偏差値が高いだけのテロリストにおける盲目的服従によって「大きな力」を発揮するものでもある

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験の検証では 「サイバネティクスの観点から」と称して 反社会的暴力集団に対抗する上においての有効性を挙げて正当化しているが 警察も軍隊も統率者に依存した盲目的服従行動しかできないのが現実であり 政府軍や警察組織の有効性というものは一面的にしか機能しないのである

 

ヒトは 強い相手 怖い相手には逆らいたくない習性がある

強い相手には逆らわず むしろ忖度し 媚びへつらい 盲目的に服従することによって集団統率的協調性を発揮し 他の集団との生存競争に勝ち抜ける「大きな力」を発揮できることから 生存や「繁殖の継続」において有利に働いた結果 ヒトは先天的には卑屈で卑怯で身勝手な行動を採るものなのである

先天的には卑怯で身勝手で利己的ではあるものの 利己的であることが人間として社会的に間違っていること「も」認識可能な理性も持っているために 社会安全性や公平性の観点からは主観的に「怖い」相手であっても拒絶すること「も」可能である

 

リチャード:ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読めば 多くの大衆は

遺伝子が利己的で 遺伝的進化の過程で人間性が組み込まれていることにしておけば 自分で物事の真偽の判定もせずに 先天的本能習性のままに何も考えずに行動しておいても 自動的自然に人間として正しい行動が促されるかのような勝手な解釈も可能である

ヒトは一面的であれば利他的行動をすることもあるが 一面的な利他的行動だけでは人間性の論証にはならない

統率協調的行動において 集団内部に対する利他的行動は 集団内部においては利他的ではあっても それが常に人間性として働くわけではない

東京電力福島第一原子力発電所においては 「組織の利益を優先」したからこそ「個人が自律的な社会的責任を負わなかった」のであって 集団統率的協調性による一面的利他行動は人間性においては逆に働く最も根源的原因でもある

ヒトは 自分の頭で物事の真偽を判断せずに 権威などの他人に責任を丸投げし 責任の全ては服従している他人任せにしておいた方が気分的には安心満足なのである

こうした無責任な先天的盲目的服従性を応用したのが軍隊であり だからこそ戦争などというバカげたことにも便利に利用することが可能となるのである

自国軍の軍隊であれば 気分的には安心感を持つのかも知れないが 文民が統制しなければ武力によって自国民にも危害を加えることもある危険な集団でもある

太平洋戦争終結に至るまでの日本軍も ポルポト時代のカンボジア軍も 今のミャンマー政府軍も 懲罰や暴力的威圧によって恐怖で支配することこそが「安全保障」だと勘違いするバカなのである

実際にはノルウェーにおける「リゾート刑務所」のように 自主性や主体的意志を尊重した「懲役刑」こそが再犯率を大幅に下げ 社会安全性にとって最も合理的であることは 統計的にも明らかになっているのである

暴力的威圧による「統制」というものは 反感を買うことによって逆効果であり 刑務所での囚人の扱いが暴力的であればあるほど囚人からは自律が失われ 釈放後にすぐにまた犯罪に手を染めてしまうのであって 懲罰的な暴力威圧を唯一絶対的な解決策だと「思う」のは ヒトという種の生物の先天的な認知上の欠陥であり 錯覚に他ならない

 

現代人は 産まれてからずっと現在の司法制度下において 「刑法判決で解決」だと何の疑いも持たずに信じ込んできた

刑罰という懲罰に対する恐怖心によって行動抑圧されておくことこそが 唯一絶対的な治安維持において最も重要なものであるかのように錯覚させられているのである

「直感」などの主観的感覚というものは 学習する「正解データ」に依存するものであり

「刑法判決(国家権力を用いた懲罰)で解決だ」という「常識」の中で育ったヒトにとっては それこそが「正解データ」として気分的安心感をもたらし 何の疑いも持たずに盲目的に信用するようになっているのである

主観的な安心というものは 同時に逆のものに対する恐怖心や拒絶反応も作り出し 天動説の時代には地動説を「火炙り」にするほどの暴力的解決までするのがヒトという種の生物の非合理性というものである

ヒトの非合理性というものは 主観的な「感覚」によって作り出されるものであり 実証不能の観念であっても盲目性によって真理と錯覚するようになるのも主観的「感覚」によって作り出されるものなのである

これこそがヒトの意識の9割を占める「無意識」の正体である

客観的な統計的な証拠や根拠よりも 主観的な気分感覚の方が優先してしまうのは 気分感覚が意識の9割を占めているからであり こうした「習性」というものは そもそもヒトが動物に過ぎないことに起因するものである

ヒトは別に先天的に人間として行動するようには出来ておらず

ヒトであろうと ヒト以外の動物であろうと 大脳辺縁系の構造も形もほとんど一緒なのであり ヒトでありさえすれば人間性が発揮できるような都合の良いものではないのである

 

「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」とでも言っておけば 衆愚マスコミからは人気を得ることは可能であろう

だが それは衆愚マスコミが「自分達ヒトという種の生物は先天的に優秀で 何も考えなくとも自動的自然に人間性を発揮できる完璧な存在だ」といった身勝手な妄想錯覚に溺れて満足しているだけに過ぎない

満足感が提供できれば 人気が得られるのは必然であり 人気が得られたからといって客観的根拠に基づいた科学的論証になるわけではない

 

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする