書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

信頼という安心感

2022年05月10日 16時38分50秒 | 意識論関連

「信頼できるメディア」とは言っても NHKなら全面的に何でも正しい内容しか放送しないわけではなく 所詮はヒトが運営している以上は何らかのバイアス(偏り)は生じている可能性を否定できない

ましてや論理的に間違っていることが証明されている内容であるならば それは情報源や出典に関わらず 間違っているかどうかは論理的に検証可能である

情報源や出典とて 所詮はヒトによるものであり 「絶対に間違っていない」ことが保証されているわけではないのである

 

個人的好き嫌いに基づいた任意のタイミングでボタンを押す時に 意識上で「ボタンを押そう」とする前から脳電位の上昇が見られたという話自体は信頼しても構わない 他のメディアでも取り上げられた話であり あまり疑う余地はないからだ

だが こうした「好きなタイミング」で押されるボタンの現象だけを取り上げて「自由意志など一切存在していない」と断言するのは論理の飛躍も甚だしいデマである

強姦魔が「俺が強姦をしたのは 俺の自由意志ではない」と称して責任逃れにも利用可能なデマに他ならないからだ

通りすがりの女子中学生に性的興奮が引き起こされること自体は 自分の意思とは無関係に勝手に脳電位の上昇によるものであり それ自体は無意識であるが それが実際に強姦に至るまでの間にも意思による自由選択可能性が存在しないことの論証には全くならない

自由意志が存在しないとするのであれば あらゆる刑事責任能力もまた存在していないことの論拠にされてしまうのである

「殴りたいと思ったから 殴った」ことも 「盗みたいと思ったから 盗んだ」ことも あらゆる犯罪の全ても「脳が勝手に行動を促した」ことにできるのであれば 誰にも何の責任も問うことはできなくなるのである

日本大学における組織腐敗事件においても 職員達が「田中英寿に逆らいたくないと思ったから 服従忖度迎合同調した」ことにおいても 誰の責任も問うことはできなくなるのである

そんなバカげた話が通用するわけなかろう

理性の中枢であるはずの学府である大学組織の中でも起きる組織腐敗である以上 東京電力でも東芝でもオリンパスでも三菱電気でもプーチン政権やミャンマー軍事政権でも起きる可能性は存在するのである

ヒトがなぜ 組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任判断選択をしなくなってしまうのかと言えば それは組織を構成する個人が自分の主観的情動行動バイアスを自分の意識選択だと勘違い錯覚しているのが原因である

「生活のためには致し方なかった」と言い訳をするのは簡単であろうが 原発の危険性まで個人の生活と引き換えにされたのではたまったものではない

そもそも「津波の危険性を考慮に入れたら 日本のどこにも原発など作れない」と言い出した東京電力の「上司」が具体的に誰で どういった経緯で発言したのかまで徹底して追及する必要があったのだ

そこに懲罰はどうでも良い話である

安全を追及するための再発防止に必要なのは 客観的事実だけであるからだ

畑村洋太郎は再発防止のための徹底した原因究明を優先した後に「刑罰は勝手にやってくれ」となげやりなことしか言っていないが ヒトがなぜ無責任な行動をするようになるのかについての徹底した原因究明まで言及しなければ 本当の再発防止にはならないのである

 

ヒトは時に無責任な行動判断をすることがある

「自分や家族の生活がかかっている」とか 「自分一人ではどうにもならない」とか そういった様々な言い訳をでっち上げて判断責任を放棄するのである

そして「できそうにないことは やらない方が良い」などというニーチェの「迷言」をこじつけて正当化して満足する

その一方でスポーツ選手だの芸能人だのに対する誹謗中傷を「批判精神」と勘違いして邁進し 自分が優位に立てたような感覚(錯覚)に溺れて満足するバカも多い

批判対象としての「自分よりも強い上の相手」とは 東京大学名誉教授とか元京都大学総長とか脳科学者とか プーチン大統領といった権力を持った相手であって スポーツ選手だの芸能人には何の権力も存在していないのである

曲解にも程がある

それこそ「都合のよいこじつけ」に利用されているに過ぎない

NHKが信頼できるメディアであるかどうかも 必ずしも盲目的に信用しても構わないわけではなく 所詮はヒトが運営している以上は間違えが混入する可能性は考慮に入れておく必要がある

宗教じゃねぇんだからな

このブログが匿名のままなのは 批判している相手が生物学や哲学の学術権威や NHKなどのマスコミだからであり 実名で戦って勝てる相手ではない

逆に言えば 本論に対する批判のほぼ全ては少数異端であるという観念的レッテルばかりであり 論理的反証など一切出てこないのである

もちろん私とて絶対に間違えないわけではないと考えるべきだが 教科書や既存の情報によって訂正可能なデータ類の間違えは本論における論理反証類の信頼性を損なうようなものではない

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」の内容における「叡智界」を論理的に実証できる奴など 世界のどこにも存在しないのである

そもそもカント自身が「絶対に知覚することのできない叡智界」と断言しているものを 一体どうやって実証するつもりであろうか

にも関わらず 大衆マスコミの大半はカントを論理客観的真理としての「哲学」だと信じて誰も疑わないのは 誰も自分の頭で考えて判断せずに学術権威という「肩書」を盲目的に信奉してしまっているからである

NHKはカントの「純粋理性批判」が論理的に支離滅裂で到底「哲学」理論として成立していないことを指摘しても 一切訂正報道もしないという無責任なことを平気でやらかす組織である

NHKというネームバリュー 有名性による大衆多数の盲目的信頼を利用し 自分達の間違いを一切報道しないという卑劣な相手に 実名で戦っても無駄だという理性的判断によって私は匿名を解かないのである

そこまでバカじゃねぇわ

 

 


Ende;

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残された時間

2022年05月10日 15時20分29秒 | 意識論関連

自信と自己肯定感は全く別物であることは明確にしておく必要がある

自信というのは所詮は主観的感覚に過ぎず

自己肯定感とは自己客観性に基づいた社会的存在意義の自覚認識であり

客観的理性なくして自己肯定などありえない

暴走族がどんなに自信たっぷりに暴走行為を正当化しても それは全く自己肯定感には結びつかず むしろ「俺はどうせ社会的迷惑になど配慮することのできない糞野郎だ」という自己に対する否定的決めつけであり 身勝手な事後正当化のこじつけ(エピソード記憶)に過ぎない

振り込め詐欺師に騙されていながらも 「いや 絶対に騙されてなどいない」と頑なに言い張る老人も 自信だけは掃いて棄てる程発揮しているのである

それはロシアの大統領でも同じことである

一回認知症の検査でもしてもらった方が良いのではないか

 

自己肯定感というものは あくまで社会的な存在としての自己の正当性を論理客観的に自覚しているかどうかによるものであり 自信があるかどうかに関わらないものである

 

自己肯定感か それともただの根拠なき自信過剰なのかを識別するためには 論理的根拠に基づいた自己客観性が必要である

自己の主観的満足感や安心感こそが 自分の意識の本質であるという感覚がヒトには普遍的に存在し それゆえに嘘やデマを簡単に信じ込んでしまい 権威の嘘や間違いであっても誰も指摘も批判もしなくなり 漫然と無意識に鵜呑みにするだけで自分の頭で深く論理検証して判断することをしなくなるのである

「自分の頭で考えていない」ということ そのものが「無意識」なのであり 人間としての意識の本質とは 論理客観的に「何が本当の話なのか」を見極め識別する能力を指すのである

唯々諾々と学術権威などの「肩書」の言っている内容を盲目的に信用し ちょっと考えれば論理的におかしな話であっても誰も指摘しなくなるのは ヒトには先天的に「上」とみなした対象を疑わなくなる習性が存在しているからである

こうした盲目的な信頼というものは 集団統率的協調性を発揮して他の集団との環境資源の奪い合い競争を勝ち抜く上においては有利に働いた結果として ヒトの先天的本能習性として組み込まれたものである

こうした本能習性というものが 進化のどの段階において組み込まれたのかはわからないが イヌでも発揮できる以上はヒト以前の原始的祖先でも獲得することは可能である

ヒトが文明を築いて殺し合い競争をしなくても済むようになってからはほんの数千年とも言われているが 祖先がその生息環境から受けた影響による先天的本能習性というものは そう簡単に変わるものではなく むしろ農耕によって食物資源に困らなくなってからの方が殺し合いは過激になったとも言われている

食物の調達に困らなくなったからこそ 武装する余裕(暇)ができることによって 天候不良などの要因で作物が一時的に逼迫するような状況になった途端に苛烈な殺し合いに陥ることになる

現代においても武装軍備に資金を注ぎ込めるのは経済的に余裕のある国がほとんどであり 相互に武力的威圧としての軍拡競争に陥るからこそ戦争の危険性はどんどん高まってしまうことになるのである

自国の武装軍備なら主観的に安心かも知れないが それが相手国となると逆効果しか促さない

プーチンが戦争を始めた理由は 欧米諸国NATOによるウクライナの軍備に「怯えた」からである

安心か恐怖か そのどちらも所詮は気分の問題であって 論理客観的な安全性とは無関係な話に過ぎない

気分感情という無意識な先天性の動物的行動バイアスを 意識の主体だと勘違い錯覚しているからこそ ヒトは暴力や懲罰という「力による現状変更」を試みたがるのである

ヒトに限らず 動物の多くは暴力を振るう凶暴性の方が弱肉強食の自然環境下においては「繁殖の継続」には適しているため 自然と(自動的)に「暴力こそが唯一最大の解決策」だという満足快楽による行動バイアス(偏り)として働くことで ヒトは「懲罰による正義こそが解決」だという主観的感覚印象に基づいた満足感ばかりを追求し 論理客観的な社会安全性を後回しにしたがるのである

ヒトが弱肉強食の自然環境下から逃れたのは数千年程度であり その後はむしろ外敵よりも自分達の内部での環境資源の奪い合い競争ばかりが激化し 社会持続可能性や安全性になど配慮したことはほとんどないのである

文明社会の構築により外敵の脅威がなくなることによって むしろ凶暴性はヒト同士の間で強く発揮されることになり こうした先天的本能習性は数千年程度では人間社会への適応が引き起こされる遺伝的進化には到底足りないし そもそも遺伝的進化というものは淘汰圧力による対象死滅がひきおこされ続けないと収斂進化には至らないものであって 人間社会においては遺伝的進化などという野蛮な自然現象は生じることもなければ そもそも「起きてはいけない現象」なのである

 

自己肯定感か それともただの根拠のない自信過剰なのかを区別するのは論理的根拠に基づく自己客観性に依存するものであり 自分の頭で物事を考え判断しないことにはただの身勝手な自信過剰なのかどうかは区別することができない

遺伝的進化に対する「典型的な間違い」について 大多数の大衆マスコミが何の疑問も持たずに学術権威の主張を唯々諾々と鵜呑みにし その内容に論理的齟齬が存在していることにすら誰も気づかないというバカげた傍観放置を漫然と繰り返しているのである

大衆マスコミの大半は 主観的に安心して学術権威の「肩書」を盲目的に信頼して満足し 自分の頭では何も考えず検証もせず 漫然と鵜呑みにしていても自信だけはたっぷり発揮しているものである

「そんな話は知っている」「きいたことがある」とは言っても その内容は誰も論理的には理解しておらず 学術権威による荒唐無稽なはぐらかしやごまかしに対しても全く気づかず 漫然と「典型的な間違い」が傍観放置され続けているのである

「考えない」奴のことを 平たく言うと「バカ」と形容する

ヒトは「自分だけは絶対に間違えない」と根拠もなく自信過剰に陥っている方が満足感が得られるため 一度既に自分が信じた話を事後正当化する形で「認知的不協和を解消」しようとする思考上のバイアス(偏り)が働き 自己客観性を簡単に喪失して事実誤認を「なかったこと」にしようとするものなのである

プーチンによる戦勝記念日スピーチにおけるウクライナ侵攻の「言い訳」は全部これである

それはまるで振り込め詐欺に騙されている人のそれとほとんど一緒である

「自分は絶対に間違えてなどいない」ことにしておけば主観的に安心満足を優先し 一度始めてしまった侵攻作戦を事後正当化する形で頑なにヒステリックな「言い訳」を陳列するのである

 

自己客観性の欠落した 無意識でヒステリックなバカの暴走というものは 別にプーチンに限ったものではなく 歴史上幾度も繰り返され 独裁政権でなくともテロや通り魔事件であっても「ヒトの認知機能上の欠陥」が原因であることに違いはなく

幾度も繰り返されてきたテロや通り魔虐殺が起きていた時点で徹底的に原因を究明し 再発防止策を立てていれば ミャンマー軍事政権による虐殺や ウクライナ侵攻のような壮絶な虐殺にも発展せずに済んだ可能性もある

それらを一切やらずに ただ漫然と刑法懲罰に頼った「解決」策しか行ってこなかった無責任さというものは それを傍観放置した人類全体の責任でもある

 


ヒトという種の生物は 人間としては先天的には欠陥品である

欠陥が具体的にどういったもので どういうメカニズムでヒト同士が殺すようになるのかを具体的に 論理客観的に見極めてこなかったからこそ ヒトは過ちを何度も繰り返し続けることに陥っているのである

これは「信じるか 信じないかは あなた次第」という主観的なあやふやな話ではなく 論理客観的に信じるに価する真実かどうかを見極め判断する社会的義務というものが 社会人として存在するのである

 

「100年後には刑法はなくなっているかも知れない」などという根拠のない悠長なはぐらかしをしている暇など 本当は人類には残されてなどいないのである

 

 


Ende;

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やりすぎ

2022年05月10日 11時46分52秒 | 意識論関連

視聴率という「組織の儲け」を優先して嘘を垂れ流しているというのは

言うなれば閲覧数稼ぎを優先する迷惑系ユーチューバーと一緒であり 到底公共放送がやるべきようなことではない

テレビ東京の「やりすぎ都市伝説」は タイトルから「やりすぎ」で「都市伝説」だと宣言しているのであるから これは罪のないファンタジーに過ぎないが 学術権威(肩書)の主張だからと称して論理科学的に間違った内容を垂れ流して視聴率稼ぎをしても良いわけではない

視聴率が短絡的に「業績」として扱われるからといって 「業績」だけを目的として良いわけではない

警察が違反者の取り締まりで点数稼ぎが「業績」としてカウント評価されるからといって 右折禁止の交差点を曲がった先で取り締まりをしているようなものであり 右折による事故そのものを減らすことにはならないのと同じことである

社会的な「本当の目的」を忘れ 目先の「業績」を脳への報酬として条件反射的に求めているから「無意識」だと言っているのである

どんなにNHKの組織内部における「業績」評価を得て報酬が増えようとも 嘘を報道することによって真実が捻じ曲げられていたのでは社会安全性に重大な損害となる可能性が否定できない

「メディア・リテラシー」と称して判断責任の全てが視聴者側に存在するかのように主張することは簡単だが それは間違いや嘘を垂れ流し続けても良い理由には全くならない

 

NHKは「サイエンスZERO」において ワクチンが全面的に「素晴らしい」かどうかをプロパガンダしていたが これは科学番組として間違った説明の仕方である

科学番組であるならば リスクとベネフィットの両方がどれだけあるのかを説明し 接種の判断は視聴者に任せるべきであって メッセンジャーRNAワクチンがどれだけ「素晴らしい」かどうかは科学とは関係がない主観的印象に過ぎない

 

2001年9月11日のテロによる貿易センタービル火災においても 航空燃料であるケロシン(灯油のようなもの)では鉄骨が熔けて流れるような現象は起きないはずであるにも関わらず 実際に熔けた鉄のような赤く発熱したドロドロの液体が流れ落ちている映像が残っているのであり 計画解体の陰謀が100%完全否定されているわけではない

ただ ビルのどの階層に航空機が突入するのかを予め予測して施工することも困難であり それでは熔け落ちている鉄のようなものは一体何なのかは結局誰も説明できないのである

アメリカ政府の公式発表においては計画解体の陰謀はなかったと結論付けているものの 陰謀自体がアメリカ政府やその一部によるものであれば 全面的に信用して良い話にもならない

結局 現段階においては陰謀があったのかどうかは「わからない」のである

科学は全てがわかるわけではなく 山梨県道志村での少女失踪事件においてもいくら科学捜査をしても事件の真相はわからないかも知れないのである

それは ヒトコロナウイルスの弱毒化プロセスが「わからない」のも同じであり 「ウイルスが困るから 適応した変異だけがどんどん起こる」などという大手町の医師の主張には科学的根拠がないのである

 

 

因果関係はまだ不明とは言え ワクチンを打った数日後に死亡した事例も実際には存在している

「ワクチンは打ちたくない」という判断をしたとしても それは個人の判断に委ねるべきであって プロパガンダ的に「素晴らしい」かどうかを「科学番組」が主張すべきではない

 

また 言うまでもなくワクチンを打つと判断した人達を妨害する権利もない

そういう「力による一方的な現状変更」という身勝手な正義を振り回すから「迷惑」になるのである

「わからない」ものは「わからない」ものとして判断を保留するのが科学的判断というものであって 「わからない」時点ではどちらにも正義も真理も存在していないのである

 

養老孟司はこう述べたことがある

「わからないなら わからないなりに わかったとする そういうわかりかたもあるのかと 思っていただければ幸いである」と

これは個人的主観にとって都合の良い解釈を科学的理解と混同させるためのこじつけに利用することができる意味のない話であり 読み手が都合良く気分が良くなるような解釈をこじつけることが可能であるが故に養老は衆愚人気を集めているのである

 

こうした都合の良い勝手な解釈をこじつけられる話というのはフリードリヒ:ニーチェの「迷言」の数々にも見られるものであり 無意識がでっち上げる「エピソード記憶」を正当化するのに都合が良いから衆愚人気が得られるのである

「信念は真理の敵」だの「できそうにないことは やらない方が良い」だのといった根拠や基準の曖昧な決めつけの方が衆愚には人気を得られるものなのである

 

 


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眼の前の不祥事

2022年05月10日 10時46分01秒 | 意識論関連

チャールズ:ダーウィンは 遺伝的進化というものが誰の意図目的も介さずに生ずる自然現象であることを発見した

だが その説明の段階において「ライオンのたてがみは急所を守るために進化した」といった まるで目的に沿って進化が起きているかのような「間違った説明」をもしている

 

ライオンのたてがみが配偶者選択によるものだという近年の検証結果が出ているが 配偶者選択であれ突然変異であれ 結果的に急所を保護することに役立てば淘汰圧力が下がることに違いはない

ライオンのオスが他のオスを襲う時 最初は確かに急所は狙わずに尻から攻撃を加えているのだが 最終的に急所に噛み付くかどうかまでは検証がされていない

尻を噛まれたくらいでは淘汰圧力としては働かず 最終的にはやはり頸が急所であることに違いはない

 

遺伝的進化というものは 膨大な時間と 膨大な無駄な変異の全てが死滅することによって偶発的に環境に適応していた変異個体への収斂が生じた結果が遺伝的進化というものであり 遺伝的進化というものには目的は存在していないのである

生物学者や大衆マスコミは 遺伝的進化というものが「何でも都合良く生じてくれる」かのような感覚(印象・錯覚)を抱くことによって ダーウィンも含めた進化説明において「○○のために進化を選んだ」といった「典型的な間違い」を漫然と繰り返しているのである

タレントのYOUが「月経の痛みは進化でなくならないのかしら?」と言い出したのも 遺伝的進化さえ生じれば何でも都合良い結果が得られるものだという遺伝的進化に対する「典型的な間違い」に基づいた発言である

大手町の医師もまた「環境に適した変異がどんどん起こる」などと言う荒唐無稽なデマを流布しているのも 進化に対する都合の良い間違った解釈をしているからである

変異は常にランダムであり 環境に適応した変異も起きれば 逆に適応しない変異も起きるのである

アナウサギに対するミクソーマウイルスが弱毒化したプロセスでは 致死率95%という強烈な淘汰圧力によって密集状態が一度解消したことによって 弱毒化したウイルスに感染した集団だけへの収斂が生じたためである

大手町の医師は 荒唐無稽にも「毒性が強いと弱毒化が起きない」と主張していたが 致死率95%のミクソーマウイルスでも ヒトにおけるエボラ出血熱ウイルスにおいても弱毒化は見られるのであり むしろ大量に死滅するという強烈な淘汰圧力が働くからこそ 進化はより速く促されるのである

しかし 新型コロナウイルスにおいては致死率はそれほど高くなく 基礎疾患を持っているとか高齢であるなどの場合に死亡率が上がるのであって 淘汰圧力として収斂進化が働く程はヒトは死んでおらず 感染対策を徹底することによって むしろ感染力がより高い株種への変異ばかりが促されてしまっているのである

ウイルスも含めて 収斂進化が促されるためには大量の死滅が必要であり 中途半端な感染対策によってダラダラと感染が続くことによって変異は続くが 都合良く弱毒進化が促されるとは限らない

実際に武漢で拡がった初期株に対して デルタ株は強毒性を発揮したのであり 「必ず弱毒化が起きる」保証など どこにもないのである

オミクロン株は若年層においては鼻風邪程度の症状しか引き起こさないようになったものの 基礎疾患があったり高齢の場合には重症化リスクはあまり下がっておらず 治療現場では「弱毒化はしていない」と主張する医師もいるのである

ヒトが新型コロナウイルスへの耐性を獲得するような進化が促されるためにも 先天的に耐性の高い個体以外がほとんど死滅する必要があり 感染対策をいくら続けても耐性の高い変異個体への収斂進化は促されることはない

そもそも鼻風邪症状以外ほとんど起こさない「ヒトコロナウイルス」が 一体どのようなプロセス過程を経て弱毒進化やヒト側の耐性獲得が起きたのかは 本当は誰も知らないのであり ありていに言ってヒトの祖先側の耐性(免疫機能など)が進化する際にも ウイルス側が弱毒化するためにも 過去に膨大な大量死滅が伴った可能性の方が圧倒的に高いのである

 

ヒトがどんなに戦争で苦しもうとも 戦争による殺し合いによって生ずる淘汰圧力は「戦争をしない個体変異種」への収斂進化としては働くことはなく

むしろ平気で他人を殺害できる残虐な個体ばかりが生き残ることになり 戦争というものはむしろヒトという種の生物の残虐性を先鋭化させる方向にしか収斂進化を促すことはない

遺伝的進化というものは 決して都合良く起きるわけではなく あくまで環境に適応的な「繁殖の継続」以外に何も促すことはないのである

ネズミやイワシは大量に繁殖するが それは大量繁殖しても大半が天敵に喰われるなどして生息数が制限される環境への適応進化であって どんなに子供や仲間が喰われようとも 喰われないようには進化は促されることはない

もし喰われないような変異が起きてしまったとしたら それは環境に適応できずにヒトのように異常繁殖してしまい 環境を喰い尽くして絶滅する可能性の方が圧倒的に高いのである

ヒトの場合は絶滅する可能性を予見できるが ヒト以外の場合は先天的本能習性のままにしか行動することができずに生態系環境ごと絶滅することしかできない

 

ヒトは 主観的に安心満足感が得られる話 主観的に「信じたい話」ばかりを信じようとする習性があり ブレーキとアクセルを踏み間違えたとしても「自動車の方が壊れた」などと主張し 自身の瑕疵欠陥を認めようとはしないものである

振り込め詐欺に騙されている人も 「いや 自分は絶対に騙されてなどいない」と頑なに言い張り

ロシアの独裁者は「悪いのは欧米諸国であって 俺じゃねぇ!」と主張するのである

暴走族は「誰も俺たちを止めることはできない」と主張し 迷惑系ユーチューバーは「迷惑者はザラにいる」と自身の迷惑行為を正当化できていると勝手に満足するのである

これらの行動や言動というものは 無意識な情動によって促された行動を 後からエピソード記憶としてこじつけ 主観的に満足感が得られるようにでっち上げているのであり 彼らにおいては「自由意志選択はない」と言うことは可能であるが 言うまでもなくそれは迷惑者でしかないのである

 

遺伝的進化に対する「典型的な間違い」について 或る病理診断医に指摘したことがあるが その際に「そんなの皆知っているよ」などと弁護しだしたバカがいた

実際には「知っている」「聞いたことがある」だけであって その内容を論理的に理解しているわけではないからこそ ダーウィンも含めた遺伝的進化における間違った説明が傍観放置され続けているのである

田島木綿子は「環境が激変した時にだけ生ずる変異」などという 何の根拠も証拠もないでっち上げを主張しており そんなメカニズムは分子生物学的には何も一切立証されたことなどないのである

遺伝子変異は常に生じているものであって 変異が環境に適応し続けられれば現存生物として存続可能となるが 変異が環境に適応できなければ死滅する 遺伝的進化というものは ただそれだけの「自然現象」以上には何も働くことはないのである

環境によっては変異が適応できず ほとんど全く変異が生じないまま何億年も姿形を変えずに現存生息している生物もいるのであり 洞窟のような光のない環境下では眼が「退化」することもある 「退化」か「進化」かは適応進化の結果に対してヒトが形容しているに過ぎず 現存生物として「生きている」こと自体もまた結果以上の意味などないのである

プーチンが戦争を始めたのも「生きるため」に体制維持を目的としたものであって 何でもかんでも生存を絶対正義のように扱うのは倫理や人間性を後回しにする際の言い逃れ(エピソード記憶)のでっち上げに利用される危険性を孕んでいるのである

日本政府軍の命令に唯々諾々と服従し 無駄に負け戦を延長させることに加担した特攻隊に対して 「特攻隊が命を賭けて戦ったから 今の平和がある」などと英霊扱いして正当化するのも 気分的安心満足感を優先した「エピソード記憶」のでっち上げに他ならない

生物学者共が科学的根拠や証拠もない勝手な進化プロセスをでっち上げたり 「生きているだけでも立派なものなのだ(更科功)」などという主観的感想を科学的論証であるかのようにはぐらかすのも 遺伝的進化というものに対する絶対的盲信に基づいた「エピソード記憶」のこじつけに過ぎない

更科の場合は 自分達が今まで間違った説明をし続けてきた失態をごまかす為の意図的「はぐらかし」の可能性の方が高く 悪質である

「だって ダーウィンも間違った説明をしていたから 仕方ないじゃないか」というのも幼稚な言い逃れである

自分の頭で物事を考え 判断していれば 相手が誰であろうと間違いを指摘することは可能であり それをしないのは本当は「何も考えずに鵜呑みにしている」だけであって だからこそ「知っている」「きいたことがある」にも関わらず遺伝的進化に対する「典型的な間違い」が何百年も傍観放置され続けているのである

現代人の大半は「科学を信じている」とは言っても 実態は「科学的権威(肩書)の言っている内容を鵜呑みにしている」だけであって その内容に論理的齟齬 論理整合性の穴 論理的飛躍があろうと誰も気づかないのである

これはNHKなどのマスコミでも同様であり 「学術権威(肩書)が言っているから 裏(科学的証明)を取った」と勝手に錯覚しているだけである

NHKは脳科学者による「自由意志などない」などという荒唐無稽な著しい誤謬をそのまま垂れ流し まるで放送した自分達には何の瑕疵も責任も存在していないかのように なにくわぬ顔で受信料を徴収し続けているのである

公共放送であるNHKが科学的根拠のない嘘を垂れ流しているというのは 公共水道に糞を混入させているに等しい卑劣な行為であり 傍観放置しておいて良いものではない

大学においても生物学以外の学部が「専門外」と称して生物学科の間違った説明を傍観放置しておいて良い理由にもならない

授業料を徴収している以上 同じ大学であれば間違いを傍観放置しておいて良いわけがないからである

ましてや奨学金だの教育ローンだのと借金までさせて間違った内容を教え込んでいるというのは 社会に対する冒涜であり 無責任極まりない不祥事である

 

 

 


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