生物の活動の多くが、生きることを目的にしたものであることは疑う余地がない。
更科功
出典:↗「生きる目的なんてない」進化の観点から考えてたどりついた"究極の答え"
⇨では なぜ自ら自死を選ぶ人がいるのだろうか?
生き続けるに価しない社会であるならば 生きていても意味がないからである
従って 「疑う余地がない」とは言えないのである
更科はこの文章の直前で
何かに最終的に到達することを目指して「生きている」わけではないのである。
とも言っており 論理整合性がない
主観的感情として「死にたくない」というのも「目的」の理由には全くならない
なぜなら 「死にたくない」と本能的に思う個体種だけが生き残ったという「結果」でしかないからだ
たとえ永遠の命を獲得したとしても ただ漫然と用もなく生きているだけの人生には意味が何もないのである
永遠に生きられるわけでもないのに なぜ生き続けるのかと言えば それは「用」があるからだ
その一つは生きていて「楽しい」と思えることがあること
もう一つはその「楽しさ」を次世代の子供達にも受け継ぐために持続可能で安全で公平な社会を求めること
この2つである
前者は個人的な楽しみで 後者は社会的責任の素となる
どうせいつか必ず自分が死ぬことを避けられないにも関わらず 自己の生存にとって有利な行動をいくら選択しても それは社会的責任には結びつかず 生存欲のおもむくままにシーケンシャルに条件反射的に「生きている」だけの存在にしかならない
プーチンなどの独裁者が 権力欲や物質欲にまみれているのは 権力や物質というものが生存価にとって有利に働くからである
「生きる」ことを絶対的な目的にしてしまえば他人を殺すことすら正当化可能となるのである
実際に自然界の野生生物は殺し合いだけで生態系バランスを形成しているのであり カマキリやゴキブリは当然のように共食いをするのである
凶暴だろうが卑怯だろうが 死なずに生き続けさえできれば「生物」として存続可能となる それが「生物」である
結果的に存続し 「繁殖が継続」できていれば「生物」なのである
ハリガネムシのようにカマキリの脳を乗っ取り水に飛び込ませて魚に喰わせようが ロイコクロリデュームのようにカタツムリの脳を乗っ取り樹上に登らせて鳥に喰わせようが 絶滅さえしていなければ「生物」として存続可能であり 存続可能なものを「生物」というのである
カッコウなどの托卵なども 自然界ではそれほど珍しいものではない
ヒトの社会においても 奴隷の労働力を安く買い叩けば 奴隷を使役する側の利益となり 生存価において有利にもなれる
「生存」だけを目的と見なすのであれば 独裁だろうが組織腐敗だろうが不公平だろうが構わないという話になってしまうのである
東京電力福島第一原子力発電所においては 原発の津波に対する脆弱性を放置しておいた方が 社内においては有利であった
日本大学の職員達は 田中英寿理事長による強権的独裁体制に逆らわず 唯々諾々と忖度服従して気に入られようとして組織腐敗を傍観放置した
ロシア軍の若い軍曹は 上官の命令に従わなければ何をされるかわからない恐怖によって 上官の命令に従ってウクライナ市民を殺害した
これらの行動選択を 「生きるためには仕方なかった」と言い切れるであろうか?
「仕方ない」とは 「他に一切の選択可能性が存在していない」状態を指すのである
東京電力の組織体質に逆らえば 会社にいづらくなり 退職して四国で農業でもやらなければならなくなるだろう
田中英寿理事長体制の日本大学では 組織腐敗に異を唱えれば左遷されたり嫌がらせをされたりして大学には居づらくなるだろう
ロシア軍の内部で上官に逆らえば 反逆罪だとみなされその場で銃殺されてもおかしくはないだろう
ロシア軍の内部で 上官による理不尽な市民への危害命令に逆らって銃殺されたとしたら それはそれは「立派」なことかも知れない
ナチスに反逆してスイス山中で自決を余儀なくされたヴァルター:ベンヤミンのように「立派」だと称賛されるだろう
インド独立の際に非暴力を訴え殺害されたマハトマ:ガンディーもまた「立派」だと称賛された
「死ぬことは人生の一大事」ではあるものの 人間としての尊厳を棄ててまで生き続ける意味は 「人間」にはないのである
サルなら尊厳なんぞ要らないだろう
チンパンジーは同族同士で殺し合いをしても 何とも思わない
チンパンジーは目先のことしか興味がないからだ
イヌも同じで 目先のことしか興味がなく 相手が女子小学生なら飛びかかっても怖くないと思えば飛びかかるが 飼い主がいて怒られると思えば飛びかかったりはしないし 餌を見せれば泥棒相手でも服従するようになるものなのである
尊厳というものは 「人間」には必要だが 「ヒト」という種の生物には必ずしも必要はない
残虐行為を平気で行って「業績」とみなす兵隊達にとっては 自律的な社会的責任判断選択など何の興味もなく
暴力団も暴走族も 他人に迷惑をかけることの優越感だけを目的に迷惑行為に邁進するのである
暴力団や暴走族には その内部における順位序列という「プライド」のようなものはあるが これは人間としての尊厳とは真逆の順位序列に基づく不公平な差別でしかない
ライオンのオスが群れを乗っ取り 群れの子供を全て喰い殺すことも「プライド」と呼ぶが ここにも「人間性を伴う尊厳」なんぞありはしないのである
おそらくは 「強い遺伝子が遺る」という「結果」においてはは子殺しは有効性があるのだろうが それはあくまでライオンという生物の結果以上の意味なんぞないのである
怖い相手を「畏れ」忖度し 服従し 尊重することというのは 単に不公平な序列順位を受け入れるだけの卑屈な態度の事後正当化にしかならないのだが こうした「権威」に対する盲目的服従性というものを 衆愚は「尊厳」だと錯覚する習性がある
更科功だの長谷川眞理子だの山極寿一などの生物学権威の主張なら 何でも鵜呑みにし その主張の内容に論理整合性や客観的根拠なんぞなくても短絡的に鵜呑みにし 唯々諾々を信じ込むのが衆愚マスコミの頭の悪さの原因である
11億もの研究費不正流用をやらかした松沢哲郎は 「チンパンジーの行動習性から 人間としての社会性を立証できるかも知れない」などと主張して衆愚マスコミから人気を得たが 一体どんな実験結果が出てくれば「立証」したことになると言うのであろうか
本能習性というものは 遺伝的進化という自然現象の「結果」であって そこに「人間としての社会性」などの「目的」が都合良く組み込まれるメカニズムやプロセスは存在しないのである
ありもしないものを「ある」と言い張るのは オカルト以外のなにものでもない
生物には目的はない
死にたくないから生きているだけなら その「死にたくない」という情動そのものが遺伝的進化の結果に過ぎず ただ「生きて」いるだけならゴキブリでもロイコクロリデュームでもハリガネムシでもプーチンでも田中英寿でも何でも構わないのである
どんなに卑劣であろうが 暴力的であろうが 「生きて」いさえすれば「生物」である
プーチンは「生物」としては優秀なのかも知れない 先天的疾患を持って産まれてきた子供と比べれば「生物」としては優秀なのであろう
だが 「人間」として優秀かどうかは話が全く別次元である
生物学者共は「生物」としての優秀さ 優位性しか立証したがらない
理由はわかっている 今まで散々遺伝的進化を万能の願望器のように勘違いし 「目的のために進化を選んだ」などと説明し続けてきた頭の悪さを隠蔽するためである
生物の活動の多くが、生きることを目的にしたものであることは疑う余地がない。
と言ったところで 「生物の活動の多く」をいくら大量に抽出枚挙陳列したところで 人間までもが「生きることを目的にしている」ことの論証にはならないのである
どんなに大量の「結果」を陳列枚挙したところで 「結果」が合理的「目的」であることの論証にはなりえないのである
衆愚は学術権威が「疑う余地がない。」と言い出せば 「ああ 疑う余地なんかないんだな」と盲目的に鵜呑みにする
ヒトとは 先天的にそういうバカなのである
Ende;