書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

Shallow Fake

2022年06月18日 23時42分10秒 | 意識論関連

ディープフェイクの危険性が提唱されているが

別にディープフェイクなんぞ使わんでも衆愚を騙すのは簡単である

読書猿による「学校の勉強は認知的ワクチン」などというデマも ディープフェイク映像なんぞ使わなくても衆愚は簡単に鵜呑みにし 何の疑問も持たない

現状の哲学界においては イマヌエル:カントの「純粋理性批判」は「近代哲学の最高峰」だと形容されているが その内容は論理的根拠をすっ飛ばした実証不能の謎の「叡智界」というファンタジー妄想であっても衆愚は簡単に鵜呑みにし 「哲学的で難しいからわからない」などと言いながら 論理的には何も理解していないにも関わらずそれを哲学だと鵜呑みにし 信用してしまう

現状の生物学においても 遺伝的進化には目的もなければ選択可能性も生存戦略も存在しないにも関わらず 相変わらず長谷川眞理子は「○○のために進化を選んだのよ」などという間違った説明を続け しかもヒトの戦争をチンパンジーの殺し合いと同列に扱い「ゲーム理論」などという損得勘定だけで説明しているにも関わらず 大衆マスコミの誰も 何の疑いも持たずに鵜呑みにしているのである

嘘やデマなのか それとも真実なのか その区別がつかないのであれば それは「区別がつかない」と判断を保留するのが論理客観的判断というものである

だが ヒトは自分が主観的に信じたい話 気分が良くなる話の方だけを信じようとする性質があり 偏った判断をするヒトというのは基本的にヒステリックで暴力的解決に走るものである

感情的な「レッテル貼り」や暴力的解決を選択していること そのものが主観的解決(錯覚)であり 論理客観性を欠いている証拠である

 

 ◇

アイデンティティは主観であり 論理客観的には存在しない

「自分は○○だ」といった決めつけに依存して 気分的に安心満足することをアイデンティティだと主観的に「思って」いるに過ぎない

ヒトという種の生物は 主観的安心感のために様々な決めつけやはぐらかしや「エピソード記憶」をでっち上げ 既存の自分のあらゆる判断選択や価値観を事後正当化しようとするものなのである

しかし 既存の自己のあらゆる判断選択や価値観は 必ずしも自己の主体的判断選択が介在している保証はない

自己の遺伝子も選択不能であれば 自分の大脳辺縁系によって促されるあらゆる行動バイアスの全てにも 生育環境によって組み込まれたあらゆる価値観にも 自己選択可能性はほとんど介在していないのである

だから「自由意志はほとんどない」と言えるのである

従って 自発的に論理客観的検証による判断選択なくして自由意志選択など存在していないのである

自由意志とは論理客観的検証による真実に基づいた判断選択の中にのみ存在しているのである

人間としての倫理的判断にはアイデンティティは必要がない 民族国籍所属肩書ジェンダーに依らず 偏りのない普遍的価値観に基づいた判断でなければ真の人間性とは言えないからである

しかしヒトは基本的には動物であるために 主観的情動に基づいた行動が優先し 論理客観的根拠に基づいた安全性よりも 主観的安心満足が得られる短絡安易な正義や解決を選択しがちなものであり

それこそが無意識であることを ヒトは自覚することができない原因でもある

 

主観的に気分を良くしてくれる「信じたい話」ばかりを求め その内容に論理客観的根拠や証拠が存在しているのかを誰も考え検証していないから バカみたいな話であっても鵜呑みにしてしまい 真実を見失うことに陥るのである

 

 

Ende;

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一線を超える前の根源的原因

2022年06月18日 22時57分43秒 | 意識論関連

生きていた証を遺したかった

⇨「生きていた証を遺す」必要性とは 結局他人からの評価承認である

存在を他人からの見た目だけに依存し 主体的に自分からは生きていないのである

 

自分の事しか考えていない奴ばっかりだから

⇨結局他人の所為

世の中自己中心的な奴は少なくはないが だからといって自分までが自己中心的で身勝手な行動をしても良い理由にはならない

自己中心的な行動が良くない行動であることを知っていながら 自律的な社会的責任判断選択をしないから「自分がない」「意識がない」のである

「へずまりゅう」が主張していた「迷惑者はザラにいる」という話と同じで 「悪いのは他人」であって 自分の主体的意志では行動を選択していない

 

なぜ事件を起こすに至ったのか 本人にもわかってはいない

情動としての不満に基づく方向性や合理性のない報復感情による暴力であるから 先天的本能としての暴力性に無意識に流されているだけだからこそ 本人には理由がわからないのである

 

自分で物事を主体的に選択せず 環境に流されるままだからこそ 他人との比較に敗北感を抱き 生きる意欲を失い何もしなくなるのである

 

社会が良くなるかどうかはわからない

「わからない」というのは 「良くなる」可能性と「良くならない」可能性の両方があり 社会が良くなるために必要なのは まず自分も含めた個人が良くなる方向へと行動を選択する必要がある

 

犯罪者の共感性の乏しさ」などという意見があるが 通り魔に共感している奴もいるのであって 主観的気分としての共感性は人間性の論拠にはならない

 

どうすれば一線を超えさせないようにできたのか」というが 一線を超える前からそもそも主体性がないことが原因であって 危険性の源を絶たなければ世界中のバカの面倒を 一体誰が看ると言うのであろうか

 

自分のことを大事に思ってくれる人」が いるかいないかは関係がない

誰も大事に思っていようがいまいが 自らが安全で公平な社会を求めば 他人に迷惑にも配慮は可能となる

身勝手な奴を見ればぶん殴りたいと「思う」ことは誰しもがあるが そういう衝動や欲望そのものは自ら欲することはできないものであって それは「自分の意思(意識)」ではないのである

迷惑者を殴るのであればまだしも 無差別殺人犯が標的にする相手は「誰でも良い」のであって 主観的に「怖い」相手には向かわず 「勝てそう」な相手ばかりを標的に選ぶ卑屈さも 結局は他人と比較しての劣等感が原因だからである

幸福そうな他人も守るという社会安全性なくして 自分が個人的に楽しいと思えることにも安心して続けることができないということを「理解」しておらず 幸福そうな他人を蹴落とすことで目先の優越感を得ようとするからバカなのである

 

一線を超える以前に 一線を超える原因が存在しているのであって 原因を無視して再発防止になどならない

私から見れば オガクズの山に埋もれてタバコを吸いながら「どうして火事が起きるんだろう?」と言っているようなものである

それはもうバカという以外なかろう

主観的気分 欲望や感情の強度程度だけが意識の本質だと錯覚しているから 論理客観的真理が全く区別できていないのである

たとえ境遇がどんなに豊かであろうとも 身勝手な独裁者は平気で他人を殺すものである

「絆」だの「仲間」だのも 腐敗組織の内部でも発揮される主観的気分に過ぎず 評価承認欲求中毒患者である以上は自分で自分を抑制することはできず 結果的にヒトラーやプーチンやらルカシェンコや習近平やミャンマー政府軍のように身勝手な独裁政権にも簡単に陥るものなのである

日本大学の田中英寿理事長らによる組織腐敗や振り込め詐欺師集団に「絆」もスッタクレも関係はない

どんなに物質的な富や権力を掌握しても 「人間としての本当の目的」を忘れ 何も考えていないバカなら無差別殺人でも戦争でも何でもやらかすものなのである

こうした性質は ヒトという種の生物であれば普遍的に見られるものでもある

ヒトの先天的な頭の悪さ 認知上の欠陥を理解認識しない限りは 同じ様な過ちは何度でも繰り返すことになるのである

 

一線を超えるか超えないかは「結果」である

結果的に起きた無差別殺人だけを論じても 一線を超える可能性としての無差別殺人の原因の究明にはならず 必然的に再発防止にもならない

実際に起きてしまった事象だけを注目し 起きる根源的原因を別物に扱うから根源的原因を見失うのである

 

 

 

Ende;

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