ディープフェイクの危険性が提唱されているが
別にディープフェイクなんぞ使わんでも衆愚を騙すのは簡単である
読書猿による「学校の勉強は認知的ワクチン」などというデマも ディープフェイク映像なんぞ使わなくても衆愚は簡単に鵜呑みにし 何の疑問も持たない
現状の哲学界においては イマヌエル:カントの「純粋理性批判」は「近代哲学の最高峰」だと形容されているが その内容は論理的根拠をすっ飛ばした実証不能の謎の「叡智界」というファンタジー妄想であっても衆愚は簡単に鵜呑みにし 「哲学的で難しいからわからない」などと言いながら 論理的には何も理解していないにも関わらずそれを哲学だと鵜呑みにし 信用してしまう
現状の生物学においても 遺伝的進化には目的もなければ選択可能性も生存戦略も存在しないにも関わらず 相変わらず長谷川眞理子は「○○のために進化を選んだのよ」などという間違った説明を続け しかもヒトの戦争をチンパンジーの殺し合いと同列に扱い「ゲーム理論」などという損得勘定だけで説明しているにも関わらず 大衆マスコミの誰も 何の疑いも持たずに鵜呑みにしているのである
嘘やデマなのか それとも真実なのか その区別がつかないのであれば それは「区別がつかない」と判断を保留するのが論理客観的判断というものである
だが ヒトは自分が主観的に信じたい話 気分が良くなる話の方だけを信じようとする性質があり 偏った判断をするヒトというのは基本的にヒステリックで暴力的解決に走るものである
感情的な「レッテル貼り」や暴力的解決を選択していること そのものが主観的解決(錯覚)であり 論理客観性を欠いている証拠である
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アイデンティティは主観であり 論理客観的には存在しない
「自分は○○だ」といった決めつけに依存して 気分的に安心満足することをアイデンティティだと主観的に「思って」いるに過ぎない
ヒトという種の生物は 主観的安心感のために様々な決めつけやはぐらかしや「エピソード記憶」をでっち上げ 既存の自分のあらゆる判断選択や価値観を事後正当化しようとするものなのである
しかし 既存の自己のあらゆる判断選択や価値観は 必ずしも自己の主体的判断選択が介在している保証はない
自己の遺伝子も選択不能であれば 自分の大脳辺縁系によって促されるあらゆる行動バイアスの全てにも 生育環境によって組み込まれたあらゆる価値観にも 自己選択可能性はほとんど介在していないのである
だから「自由意志はほとんどない」と言えるのである
従って 自発的に論理客観的検証による判断選択なくして自由意志選択など存在していないのである
自由意志とは論理客観的検証による真実に基づいた判断選択の中にのみ存在しているのである
人間としての倫理的判断にはアイデンティティは必要がない 民族国籍所属肩書ジェンダーに依らず 偏りのない普遍的価値観に基づいた判断でなければ真の人間性とは言えないからである
しかしヒトは基本的には動物であるために 主観的情動に基づいた行動が優先し 論理客観的根拠に基づいた安全性よりも 主観的安心満足が得られる短絡安易な正義や解決を選択しがちなものであり
それこそが無意識であることを ヒトは自覚することができない原因でもある
主観的に気分を良くしてくれる「信じたい話」ばかりを求め その内容に論理客観的根拠や証拠が存在しているのかを誰も考え検証していないから バカみたいな話であっても鵜呑みにしてしまい 真実を見失うことに陥るのである
Ende;