世間体というのは 他人からの評価への執着でもある
他人と比較した序列に執着するのは 自分が世間の中で順位序列が低く見積もられていると「感じ」ることへの恐怖心が世間体としての情動行動を促してしまう
プーチンも結局は国民からの世間体を気にし過ぎることで プロパガンダで騙してでも国民からの支持を得ようとしているのであり 通り魔であろうと戦争であろうと やっているのはヒトであって規模の大小は関係がない
それこそ長谷川眞理子のように「ゲーム理論」を持ち出してしまえば 「勝てそうな相手なら殲滅しても構わない」という話になってしまうのであり そういう「サルの正義」を人間社会に適用して良いわけがない
他人との比較による順位序列への執着心が評価承認欲求の基であり 自分が評価されることしか頭にないから他人への迷惑に配慮が効かなくなるのである
評価承認欲求というのは 欲求という欲望が行動動機であって 主観的気分だけが行動に直結しているからこそ暴力的解決へと暴走が始まるのである
その意味において ヒトの大半は評価承認欲求中毒であると言えるだろう だからデマや嘘と真実の見分けがつかなくなる
主観的に気分が良くなる話だけを信じようとし 自分の頭で論理客観的に「考える」ことを一切しなければ 必然的にデマや嘘と真実の区別なんぞできなくなる
学術権威肩書の言っている内容は全部鵜呑みにし 言っている内容に論理整合性が抜け落ちていようがなんだろうが一切興味も批判精神も発揮されることなく 盲目的に唯々諾々と信じ込むことで ヒトはバカになるのである
寝起きで寝ぼけているわけでも 飲酒で酩酊状態でもなければ 殴られて意識が朦朧としているわけでもないのに 一切嘘やデマを見分けることができない状態を「無意識」と言っているのである
「人間として無意識」だと言っているのである
人間として無意識だからこそ 人間性も発揮されることなく無責任に嘘やデマを鵜呑みにできるのである
嘘やデマを多数が鵜呑みにしていれば 安心して鵜呑みにしていられるであろう
多数によって自分の判断責任が薄まるかのような感覚(錯覚)が働くからである
そして そうした感覚の存在も 自分の所為ではないと「思う」ことで 言い逃れができるとも「思って」いるのである
そこにあるのは全部が主観的な「思い」だけで 論理客観的な「考え」が一切介在していない
それはもう「バカ」という以外に形容詞は見つからないし 見つけようとも思わない
Ende;