書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

昆虫注意

2022年06月16日 21時27分08秒 | 写真

大型のチョウ





ググってみたが よくわからない

 ◇追記:何のことはない ナミアゲハの後ろ羽根がちぎれちゃってただけだった 鳥に齧られたとか そういうことだと思う

 

アザミ

アカツメクサと違ってトゲが凄い

 

ハチの一種かしら


ヤマハのMT-09みたいだな

 

カメムシ

 

国道17号 志村橋のすぐ近くに鋼鉄製のハンドル

水門的なものかしら


不要になってもどっかで保存しておいて欲しいと思うのはオイラだけかしら

 


日本製鉄の看板

「君津」とあるけど 東京都板橋区舟渡町

今はほとんど解体されて門と冷却塔みたいの以外は何もなくなった

とんでもなく広大な土地なので 何かできるんだと思うが まだ決まってはいないらしい

 

 

 

すんごいちっこい花 一つの花の直径が2ミリもないくらい

撮影倍率0.5倍なので 画面横幅7.2cm

 

シロツメクサ

 

ミツバチ

FHDサイズ

 

ケシ

枯れかけだけど

 

 


Ende;

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論理客観的に「考え」ないからバカなのである

2022年06月16日 13時36分32秒 | 意識論関連

世間体というのは 他人からの評価への執着でもある

他人と比較した序列に執着するのは 自分が世間の中で順位序列が低く見積もられていると「感じ」ることへの恐怖心が世間体としての情動行動を促してしまう

プーチンも結局は国民からの世間体を気にし過ぎることで プロパガンダで騙してでも国民からの支持を得ようとしているのであり 通り魔であろうと戦争であろうと やっているのはヒトであって規模の大小は関係がない

それこそ長谷川眞理子のように「ゲーム理論」を持ち出してしまえば 「勝てそうな相手なら殲滅しても構わない」という話になってしまうのであり そういう「サルの正義」を人間社会に適用して良いわけがない

 

他人との比較による順位序列への執着心が評価承認欲求の基であり 自分が評価されることしか頭にないから他人への迷惑に配慮が効かなくなるのである

評価承認欲求というのは 欲求という欲望が行動動機であって 主観的気分だけが行動に直結しているからこそ暴力的解決へと暴走が始まるのである

その意味において ヒトの大半は評価承認欲求中毒であると言えるだろう だからデマや嘘と真実の見分けがつかなくなる

主観的に気分が良くなる話だけを信じようとし 自分の頭で論理客観的に「考える」ことを一切しなければ 必然的にデマや嘘と真実の区別なんぞできなくなる

学術権威肩書の言っている内容は全部鵜呑みにし 言っている内容に論理整合性が抜け落ちていようがなんだろうが一切興味も批判精神も発揮されることなく 盲目的に唯々諾々と信じ込むことで ヒトはバカになるのである

寝起きで寝ぼけているわけでも 飲酒で酩酊状態でもなければ 殴られて意識が朦朧としているわけでもないのに 一切嘘やデマを見分けることができない状態を「無意識」と言っているのである

「人間として無意識」だと言っているのである

人間として無意識だからこそ 人間性も発揮されることなく無責任に嘘やデマを鵜呑みにできるのである

嘘やデマを多数が鵜呑みにしていれば 安心して鵜呑みにしていられるであろう

多数によって自分の判断責任が薄まるかのような感覚(錯覚)が働くからである

そして そうした感覚の存在も 自分の所為ではないと「思う」ことで 言い逃れができるとも「思って」いるのである

そこにあるのは全部が主観的な「思い」だけで 論理客観的な「考え」が一切介在していない

それはもう「バカ」という以外に形容詞は見つからないし 見つけようとも思わない

 

 


Ende;

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誤謬

2022年06月16日 09時51分28秒 | 意識論関連

遺伝的進化の結果に対して 事後正当化する形での「意味のこじつけ」は科学的論証にはならない

ヒトが実証不能の神を求めたがるのは ヒトの祖先が順位序列に基づく封建的な統率協調行動習性が「繁殖の継続」に適した結果として 盲目的に信頼したがる対象としての神を求めているのであって ヒトの盲目的服従性を事後正当化する形で「ヒトが実証不能の神を求める意味」をどんなにこじつけても 科学的論証には全くならない

 


「○○の為に進化を選んだ」

「生存戦略」

といった説明の仕方が 一体どこから誰がし始めたのかは知らないし 興味もないが

たとえチャールズ:ダーウィンが自著の中でそう説明しているとしても 自然選択説とは論理的齟齬がある以上 こうした説明の全ては間違いである

論理的に間違っているものを 学術権威が説明しているからといって鵜呑みにしているから「バカ」だと言っているのである

 

イヌをヒトが都合良く品種改良し ヒトが好むような形質や習性を持った個体だけを選んで交配した結果に対し 織田裕二は「イヌの生存戦略ではないのか?」などという疑念を抱いていたが ヒトにとって都合の悪い個体の全てを断種してきたプロセスを無視して「イヌの戦略」などと言い出すのは錯覚も甚だしい

従来の生物学の教科書では 「○○のために進化を選んだ」「生存戦略」といった説明の仕方が平気でされてきたが これは遺伝的進化に対する「典型的な間違い」であると遠藤秀紀(東京大学総合研究博物館教授)が断言しているのである

 

科学は多数決ではない

論理客観的に整合性のある理論こそが「正しい」真理であり 従来の生物学における遺伝的進化の説明の大半では 間違った説明が蔓延しているのであって これらは全て改定訂正が必要であるにも関わらず 長谷川眞理子や山極寿一ら生物学権威の肩書を持った老害共によってはぐらかされ続けているのである

遺伝的進化が万能で 進化の全てが都合良く選べるかのような「説明」でもしておけば 衆愚マスコミの大半は主観的満足によって鵜呑みにすることができるのかも知れないが それは科学ではなく妄想ファンタジーでしかない

NHKの「ヒューマニエンスQ」では やたらと「妄想する」などと付け加えているが 科学的根拠のない話を科学番組で垂れ流しておいて良いわけがないのである

「妄想だから」と言い逃れしておけば 科学を逸脱する免罪符にでもなると思っているとしたら 倒錯も甚だしい

 

 


Ende;

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