腐敗した組織の中で「生きる」ことを優先すれば 自律的な社会的責任判断選択は優先されなくなる
東京電力福島第一原子力発電所において 組織の中で「生きる」ためには個人は自律的な社会的責任など放棄せざるを得なかった
日本大学田中英寿体制において 組織の中で「生きる」ためには 理事長や幹部達の言いなりに同調迎合忖度服従せざるを得なかった
これらと同じで 今のロシアにおいてはプーチン政権の中で「生きる」ためには ウクライナ侵攻に反対すれば投獄される以上 人道的立場など選択する余地などないのである
ヴァルター:ベンヤミンは ナチス政権に反対したことで スイス山中で自決を余儀なくされた
一方 マルティン:ハイデガーはナチスに迎合して「生き」延びた
「生きるため」にはナチスに迎合することも正当化可能となるのであるが それが果たして「人間としての社会性」に適すると言えるであろうか?
学級内でイジメが起きた際に イジメを止めようとすればイジメの標的にされる
無意識な少数の暴力者に対し 大多数のヒトは主観的に「怖い」相手には逆らわず 傍観放置し暴力者集団の存在を温存することに加担するのである
イジメというものは 学校に行ったことがあればまず全員が経験したことがあり その8割は傍観放置しているのである
ウチの甥っ子は 小学生時代にイジメを止めに入ってイジメの標的にされたことがある
学級内での少数派に過ぎないイジメ集団に対し 大多数の傍観者の誰も助けてはくれない状況下において イジメを止めることは 学級内で「生きる」上においては不利になる
「生きるため」には 他人を蹴落として 差別して 資源や富を独占することは正当化されてしまうことにもなるのである
だが そうした利己的行動選択というものは 結局は社会全体の持続可能性や安全性を損ない 人類全体の存続に関わる重大な結果に至る可能性をもはらんでいるのである
どんなに弱者を切り捨て 利己的利益を追求したところで ヒトは必ず死ぬのであり いかなる利益も死ねば何の意味もなくなる
今 現在 生きている 生き続けていることの意味 必要性 理由とは何かと言えば 自分が生き続けていることに楽しみを持っているからである
しかし その楽しみというものは 必ずしも純粋に個人的な楽しめることを持っているわけではなく ヒトはどうしても他人を蹴落とし 誹謗中傷し 懲罰的正義を振り回して他人に多大な迷惑をかけることによって あたかも自分の優位性を「感じ」ることにしか楽しみを感じないことの方が多いものである
他人との比較に依らない 個人的で純粋な楽しみとて これもまた主観的な「感覚」であることに違いはないが 比較に依らぬ点において純粋であり 社会の公平性や安全性にも配慮が働く要因ともなる
純粋に個人的な楽しみがあるのならば それは他人との比較において優越を感じる必要性がない
順位序列にこだわる必要性がないのである
そもそも 「楽しみ」とは主観的で個人的なものであり 他人と比較して「自分の方が楽しいはずだ」という感覚は錯覚に過ぎない なぜならば他人と自分の脳とは神経接続が存在せず 他人が楽しいと思っていることが 自分が楽しいと思っていることとの楽しみの強度程度の比較など構造原理的に不可能だからである
他人との比較においての優位性に中毒になるのは ヒトは集団の中で優位に立たなければ「生きて」ゆく上において不利になるため 必要以上の優位性や比較による序列順位への執着が本能的に働いてしまうためである
ヒトの祖先がチンパンジーのようなサルだとすると サルはその場限りの利己的利益のことしか意識が働かないため 集団組織全体の安全性とか持続可能性とか公平性といったものには何の興味も持たないし そんなものに興味を持っても集団内部で「生きる」上においては有利にはならない
東京電力福島第一原子力発電所において 個人が自律的な社会的責任判断をしようとしても それは組織の内部において「組織の利益にならない」ために 組織の中で「生きる」上においては何の有利にもならなかったのである
それは ロシア国内において 国際社会全体における社会的責任として武力行使に反対しても ロシア国内において「生きるため」には何の有利にもならないのと同じである
プーチンだろうが田中英寿だろうが 本当は順位序列など存在せず 誰もネコでもネズミでもなく ヒトであることに何の違いもないのだが 権力権威という抽象化された順位序列の観念情動によって ヒトは相手が理不尽な要求をしてくるバカであっても 大多数のヒトは傍観者に徹し 何の批判精神も持たず 唯々諾々と腐敗組織の温存に加担するバカなのである
ヒトの生物学的な 本能習性としての「社会性」とは イヌ同様に順位序列に基づく封建的な統率協調性であって 「人間としての社会性」とは全く別のものである
軍隊というのは 動物的な本能習性としての「封建的統率協調性」を用いた盲目的服従性を利用した集団であり 故に戦争のようなバカげたことにも便利に利用可能であると同時に 盲目であるが故に軍隊のトップになった場合には 自分が盲目的に順位序列を受け入れたという「常識(学習データ)」に基づいて あらゆる人にまで順位序列を強要し 武力暴力によって抑圧する「正義」を振り回さなければ気分的に満足できなくなってしまうのである
軍隊に文民統制が必要なのは 軍隊というものはその内部に平等とか公平とか民主的判断というものが全くない 封建的順位序列による盲目的服従による指揮命令系統だけで構成された集団だからである
プーチンは元KGBである
つまり 兵隊だった
兵隊というのは命令に服従することが評価業績になる
イヌが飼い主の指示に従うことに喜ぶのと同じで 順位序列が上の相手との共感共鳴によって快楽を感じる習性を利用することで 介助犬や救助犬のように 飼い主に都合の良いように行動を統制することが可能となる
しかし イヌというのは 野犬の群れで育てば野獣にしかならない
KGBという野蛮な暴力組織の中で「業績評価」を得ようと「頑張って」いたが故に プーチンは順位序列への異常執着性を「学習」してしまったのである
プロパガンダという嘘をついてまで国民からの支持を得ようとするのも 国際社会の中での協調性を持たないのも 過去の「業績」評価を絶対的な「常識(正解データ)」として 価値観の全てに「学習」してしまったのが原因である
こうした構造はヒトラーでも同様である
日本大学田中英寿でも ミャンマー軍事政権でも 暴力的に権威性を振り回す相手に服従迎合した者というのは 暴力的権威に服従することが「正義」として「常識」になってしまっているため それ以外の選択可能性が著しく失われて無意識になり バカになっているのである
構造的には「虐待の連鎖」と同じである
これは決して特殊な例ではなく プーチン政権の場合は規模が大きいだけであって 宮台真司でも養老孟司でも「へずまりゅう」でも見られるヒト全般に見られる普遍的な習性傾向でもある
「私は教科書に墨を塗らされた」だの 「自分の頭で考えるのは10年早い 丸暗記しろ」だの 「迷惑者はザラにいる」といった過去の社会経験を「正解データ(常識)として「学習」することによって 行動学習的に自律的思考(人間としての意識)が抑制され 無意識なバカになるのである
過去に自分が受け入れた行動という「結果」に対し これを事後正当化する形で連鎖し続けないと 過去に自分が受け入れた選択を否定しなければならないため ヒトは簡単にバカになる仕組みが脳に普遍的に存在しているのである
こうした情動の仕組みによる無意識な状態のことを 認知的不協和を解消する形で「洗脳」と言うのである
人工知能AIの「学習」において 回路が単純化された状態を「蒸留」と形容する
Microsoft社のTwitterAIが SNS上の数多のヘイトスピーチを「正解データ」として「学習」した結果 ヘイトスピーチに同調するよう回路にバイアス(偏り)が生じるようになった
これも一種の「蒸留」であり 「洗脳」である
AIというのは生物の脳を模したものであり ヒトの脳の挙動と似たような結果ももたらすことが良くあり 偏った「正解データ(常識)」を「学習」することによって 簡単に洗脳(蒸留)状態にも陥るものでもあり これはヒトの脳でも基本的な仕組みは同じである
虐待が連鎖するのも 脳が洗脳的に虐待状態を「学習」してしまうためである
「生きるため」には 多数派に迎合することは不可欠であり イジメは傍観放置し 権威や「怖い相手」には逆らわず 多数派に同調することで安心満足して 自分からは何の考えも持たずに既存の社会に唯々諾々と迎合することが「常識」となる
「身勝手」とは 必ずしも個人的なものとは限らず 多数で身勝手な観念を共有 共感 共鳴 同調することも珍しくはない
何を持ってして「身勝手」なのかと言えば それは論理客観的根拠を伴わぬから「身勝手」なのであり 真理は数で見極めるものではない
どんなに多数でユダヤ人などの少数派を迫害しても 身勝手であることに変わりはない
聖書であれクルアーンであれ それらはヒトが書いたものであって どうしても伝言ゲーム的な間違いが混入する可能性を排除することはできない
科学も同じである
既存の科学的理論や知見の全てが「正しい」保証はなく 所詮は学術権威もヒトである以上は間違いが混入する可能性は否定できない
宗教の場合は間違いを訂正する仕組みがないが 科学の場合は常に更新できる余地があるからこそ より「正しい」理論や知見へと高めることが可能となるのである
しかし ヒトは権威に教えられたことを疑うことをしなくなる性質があり だからこそ宗教はいつまでもカースト制度などの理不尽な因習までをも「連鎖」し続けてしまうことになるのである
ヒトは 一度自分が既に信じた内容に 疑いを持つことを嫌う習性があり 振り込め詐欺に騙されている人が「いや、自分は絶対に騙されてなどいない」と言い張るのも 虐待が連鎖するのも 脳の基本的な「学習」システムの欠陥によって促される行動である
たとえ虐待であっても 冷静に考えれば「子供にとっても社会にとっても良くない」ことは理解可能なものである
論理客観的に「考え」れば バカを脱することは可能なのである
私が「バカ」と形容しているのは あくまで「考え」ることが可能でありながら「考えない」ことを指しているのであって 先天的な学習障害のようなものを指しているわけではない
自閉症と診断されて 発話言語が苦手な人であっても 文章を書けば一般人以上に理路整然とした考えを持っていることは良くあることであるが 既存の学力偏差値基準においては発話言語が苦手だと評価にはならない
書字が先天的に読み書きできない人というのもいて 文章がほとんど読めないにも関わらず 発話言語は常人以上に理解可能であるために噺家になった人もいる
これら読み書きソロバン的な特定能力基準というものは 本質的知能の基準としては全く意味を為さないものであり コンピューターで例えれば「I/O」のような入出力回路の障害であって 主処理としてのCPUやシステムソフトウェアの問題ではないのである
プーチンやヒトラーは発話言語能力に障害はなく むしろ演説なら得意である
振り込め詐欺師が言葉巧みに他人を騙せるのも 発話言語能力だけなら非常に高いからである
だが 独裁者や詐欺師は主処理としての知能に致命的な問題があり 故に社会的迷惑問題となるのである
Ende;