書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

目の話

2022年06月22日 23時41分40秒 | 意識論関連

川村正二

ヒトの色覚には多様性がある

色覚多様性によって絶滅を免れた可能性

フィンセント:ファン:ゴッホは赤緑色盲だったという説がある

水の中では4色型

陸上の夜行性生活では2色型

森の中では3色型

2色型の方が狩りには向いていた

オマキザルもヒト同様に2色型と3色型がいる

4色型もザラにいるのではないか

⇨色覚型に違いがなくても 植物の多い田舎の環境で育った人と 都市で育った人では色分解能に差が出るという 脳が違う以上色覚に限らずあらゆる感覚には違いがあるのが必然

 

白目

視線がコミュニケーションに重要

霊長類88種 強膜(白目)がより白いのはヒトのみ

大脳新皮質容積と強膜面積に相関が見られる ⇨サンプル数が少な過ぎやしないかい?

生き残りのための生存戦略 ⇨また言ってる 後天的な都合は遺伝的要素に影響を及ぼさず 戦略的選択は不可能である

橋彌和秀(はしやかずひで) 九州大学

アイコンコンタクトでオキシトシンを分泌

 

結城雅樹(ゆうきまさき)北海道大学

顔文字が日本では目の違いで表現するが 欧米では口の違いで表現する

^_^ T_T ゜_゜

:D :P  :) :(

文化の違い ⇨欧米人から見ると一般的に東洋人は不機嫌そうに見えるという話を聞いたことがある 日本人から見るとインド系の人の目つきが怒っているみたいに見える傾向もある 脳内の「正解データ」の違いだろうな

 


Ende;

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バカなら無尽蔵にいる

2022年06月22日 16時36分07秒 | 意識論関連

養老孟司は自身の支離滅裂な話を正当化するために

「私は教科書に墨を塗らされたんですよ どうせ世の中間違っていない本なんかないんだから 間違っていたら墨を塗れば良いんだな そう思っています」

などと主張したことがある

「間違っていない本なんかない」からといって 論理整合性のない支離滅裂な話を一切訂正しない無責任性が正当化できるわけではない

迷惑系ユーチューバーの「へずまりゅう」が「迷惑者はザラにいる」と称して自身の迷惑行為を正当化できているという身勝手な勘違いと同じものである

「社会環境が悪い」という環境依存要因を持ち出して自分の自律的な社会的責任判断選択を放棄するための言い逃れになると思っているバカは非常に多く 自分の無責任性を正当化できるかのような都合の良い話だからこそ無責任性を正当化するのに都合が良いから養老孟司や長谷川眞理子は衆愚人気があるのだ

養老孟司にせよ長谷川眞理子にせよ 何か世の中の間違いを具体的に指摘しているかのような話はしているものの 個人の自律的責任判断については全く言及しておらず 読み手は社会の問題を自分事として認識することなく 結局何が悪いのは何も理解することなく 主観的気分として安心満足して「自分は頭が良くなった」と勝手に勘違いしているだけである

 

ヒトは 世間的成功を人間の価値か何かだと勝手に勘違いし 自律的な社会的責任判断よりも問題の責任が社会の方にあると思っておけば 気分的に安心満足して「信じよう」とする

「ゲーム理論」なんぞを持ち出して まるで環境要因だけで戦争が起きるかのような話をしておけば 衆愚は何かを理解したかのように錯覚し 鵜呑みにし 具体的に何が本当の問題なのかは全く自覚しなくなるのである

 

「まちがったっていいじゃないか にんげんだもの」的に自分の頭の悪さを事後正当化できる話で満足し 自分の頭の悪さを正当化したり なかったことにしておけるような話ばかりを主観的に「好き」になることで 「信じよう」とするのである

ヒトは間違えることがある

間違えることそのものは致し方ないことだと言えるが 間違えたことを事後正当化したり はぐらかしたり なかったことにして良いわけではない

 

香港警察やミャンマー政府軍による民主化組織弾圧においても 民主化デモに乗じた暴動破壊も起きたからこそ武力による治安統治が正当化されてしまったのである

ロシア軍によるウクライナ侵攻においても ウクライナ国内における親ロシア側との対立による暴力の応酬があったからこそ ロシア軍による介入の「理由」にされてしまった

理不尽な権力に対して戦うことは必要だが 暴力破壊で戦って満足するのではなく あくまで論理客観的な根拠に基づいた合理的な「真理」を見極めることが あらゆる「人災」の再発防止において最も重要なのである

民族国籍に優位性のようなものを持ち出してしまえば ヒトは簡単に分断され 差別による懲罰的暴力の応酬によって殺し合いは激化の一途を辿るものである

そして 「味方」や「仲間」同士による一致団結した統率的協調性を発揮することによって まるでラグビー競技の勝ち負けのような「ゲーム理論」的損得勘定に基づいた紛争にまで快楽を感じ 本当の目的を忘れて間違った行動選択によって暴走破綻への泥沼へと陥るものなのである

かつてソビエト連邦はナチスを撃退したが それはあくまで「現場の正義」であり 事態の収拾において役立っただけであって

警察が暴走族を何人捕まえようとも 暴走族などという迷惑行為の根源的原因究明にも 再発防止にもならないのと同様 ナチス撃退もナチス体制という腐敗体質が形成されるメカニズム構造の分析にはつながらず 結局ナチスような侵略戦争をも引き起こすことになってしまっているのである

ヒトは「自分だけは絶対に大丈夫だ」「自分達だけは絶対に正義なんだ」と思い込みたい習性がある だからこそ自分達の何が問題なのかを見失い 意味のない暴力を振り回しておくことで安心して何も考えなくなるものなのである

梅沢富美男のように「こんな奴は死刑にしちまぇ!」と怒鳴り散らして死刑を繰り返しても 通り魔のような不条理な殺人事件の原因究明にも再発防止にもならないのである

「メタ認知」などと称して「サルの正義」をこじつけておいて 「人間としての行動判断」を見失っていて 一体何が「メタ認知」だと言えるのであろうか 頭が悪いにも程がある

 

 

Ende;

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論理客観性なくしてバカは治らない

2022年06月22日 13時26分57秒 | 意識論関連

「ヒトには先天的に人間性が組み込まれている」

「ヒトには強い凶暴性はない」

「極刑を持って罪を償うことこそが尊厳」

これらの話には合理的根拠は何もなく 大衆観念的な「納得感(主観)」を衆愚に与えて真理を撹乱するだけである

 

ヒトという種の生物が どのような条件下において殺人や紛争に至るような凶暴性を発揮するのかは 必ずしも全てのヒトが同じ条件で発揮されるというものではない

「本当につまらない理由」で殺人を引き起こすヒトもいれば どんなに虐げられても暴力で反撃しないヒトもいる

それは 単なる先天的な個体差だけで語れるものではなく 本人の意志 本人の主体性による自律的な社会的責任判断選択能力にも依存するものである

 

加藤英明は爬虫類が大好きで 動物全般にも興味を持っており 生態系全体が破壊されれば個体種の減少や絶滅が引き起こされることを危惧している

これは あくまで加藤個人が主体的に環境保全を望んでいるのであって 世間多数からの評価承認が欲しくて環境保全活動をしているわけではない

環境保全という公益的活動は「善い行い」であるが 公益的であるということは必然的に加藤本人にとっても「善いこと」であるが故に環境保全活動をしているのである

個人というのは あくまで社会の中の存在であり 公益的な善行も結局は「自分のため」でもある

泥まみれになって危険な生物の捕獲や駆除をすることは 決して楽なことではないが 環境が破壊されれば自分がこれからも生き続ける社会全体の損失にもつながることから環境破壊への強い危惧を抱いているのである

「どうせ世の中 自分の事しか考えていない奴ばかりだ」などと言い出すバカは多いが 「自分の事」と「社会的公益」は不可分であり 別のものだと「思って」いるからバカなのである

自分が産まれてきた社会や時代は選択不可能だが どのような時代や社会を望み どうすれば自分がこれらも生き続けるに価する社会に変えられるのかは選択可能性が残されている

80億ものヒトが存在する以上 個人の判断選択が社会に与える影響はほとんどないが 決してゼロではない

1/80億の一人としての意志を貫くか それとも既存の社会構造や制度や因習や常識といった「正解データ」を鵜呑みにして「悪いのは他人や社会だ」と責任逃れをするかで行動は大きく異なる

自律的な社会的責任判断選択をするか否かは 主体的に社会に関わる意志が存在するかどうかに依るものである

誤給付金をちょろまかそうとするバカもいれば 原発の危険性を傍観放置するバカもいれば そもそも多くのヒトは学生時代にイジメを傍観放置し 社会的責任を放棄していたバカである

個人的に「死にたくない」 「損をしたくない」 「嫌な思いをしたくない」 「怖い相手に逆らいたくない」といった利己的情動によって選択したあらゆる自分の過去の行動結果を 事後正当化する形で「世の中誰もがそういうものである」と決めつけておいた方が 自律的な社会的責任なんぞ負わずに済むと「思って」いるからこそ ヒトは簡単に無責任な行動選択をできるようになるのである

「損をしたくない」という情動は 同時に過剰な利益を求めることでもある

過酷な弱肉強食の自然環境下においては 過剰な資源(利益)を蓄財しておいた方が 有事の際には生存にとって有利に働くため ヒトは他人から奪ってでも過剰蓄財をする習性を持った個体種への収斂進化が引き起こされているのである

弱者を切り捨ててでも自分が助かることを優先するという利己性は ヒトに限らずあらゆる生物に見られる行動である

 

「ゲーム理論」とは 要するに「勝ち負け」や「損得勘定」で行動が決定することを意味する

それは同時に 「勝てそうな相手なら 暴力で抑えつけて資源を略奪した方が得」という意味でもある

それはもう「強盗の論理」でしかない

スポーツ競技や「フォートナイト」のような「ゲーム」では あくまで予め決められたルールや規制条件の中だけで勝ち負け競争を主観的に「楽しむ」ためのものである

ヒトは 統率協調的に他集団との競争に勝つことが本能的に好きであるため スポーツなどの「ゲーム」を楽しむことで 本能的欲望や快楽を満たして満足する術を発明したのである

「欲望そのものを欲することは出来ない」が 欲望をどのように「楽しむ」かは選択可能性が存在しているのである

ゲームは所詮抽象化された成績評価にしかならないが エンターテイメントとして賞金がかかればプロスポーツとして成立することもある

商売的に成功したからといっても ゲームをやるそもそもの理由とは 主観的に「楽しい」からであって 観客もまたプレイヤーに共感して「楽しい」から応援し 観戦に費用を支払うのであって これら一連のエンターテイメントというのは 主観的な「楽しみ」を目的とした芸術分野の一つである

将棋やラグビーで勝とうが 多額の賞金で世間的に成功しようが 将棋やラグビーというのは基本的には主観的な「楽しみ」が目的であって 論理客観的に直接社会に役立つ知能や能力の論拠には一切ならない

脳科学者共はやたらと将棋棋士の「直感」ばかりを採り上げて知能の論証のように言い張るのだが 将棋でいくら成績を上げても 社会的に役立つような理論や構造の発見につながることはなく 将棋が単に社会的認知度が高いことで稼ぎが大きく「世間的成功」になっているだけの話に過ぎない

ラグビーなどのチーム競技における統率協調性といったものについても それが競技の成績にどんなに影響するとしても ヒトの先天的な統率協調性という本能習性が人間性の論拠になるわけでもなく あくまで先天的本能習性を主観的に「楽しんで」いるだけであって 論理客観的な人間性の論証に使えるわけではない

ヒトは 世間的に成功している者や 多数人気を短絡的に人間としての優秀さであるかのような「解釈」をしたがるものだが これは論理客観的な根拠を伴わない大衆観念であり こうした大衆観念的「優秀さ」の錯覚を あたかも「人間としての価値」にすり替える形で脳科学者や生物学者共は大衆をはぐらかしているのである

チーム競技における統率協調性というものに対して 大衆は体育会系集団への勝手な幻想を抱き 封建的序列による忠誠忠実な服従性に「美しさ」という快楽を感じ その主観的快楽によって人間性のようなものであるかのように錯覚する習性がある

軍隊や兵隊は危険な仕事であっても逃げることなく立ち向かってくれる「尊さ」はあるものの それはあくまで結果に対する「尊さ」であって 統率協調性そのものの尊厳の論証にはならない

なぜならば 暴力団やテロ集団や暴走族 半グレ 残虐なゲリラや海賊 日本大学田中英寿体制や東京電力福島第一原子力発電所における原発の津波に対する脆弱性放置など あらゆる非人道的集団組織においてもヒトの先天的統率協調性というものは働いているものだからである

実際に香港警察やミャンマー政府軍は民主化組織の弾圧にも利用可能なものであり 警察や軍隊でありさえすれば常に正しい結果しかもたらさない保証は何もないのである

「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかった」ことこそが原発事故の最も根源的な原因であり 故に畑村洋太郎は原発事故を「人災」と認定したのである

個人が自律的な社会的責任を負わなかった屁理屈なら いくらでもこじつけることは可能であろうが それらのこじつけの全ては環境依存要因であって「組織の体質」だの「トップが悪い」だの「制度や構造の問題」ばかりであり これらは全て「個人の自律的な社会的責任判断」を介さない環境要因でしかない

長谷川眞理子がウクライナ侵攻について語った内容の全ては こうした環境依存要因を並べているだけであって 個人の自律的判断選択については何一つ論じていない

チンパンジーの殺し合いの話であれば チンパンジーに理性など存在していないから全てを環境要因だけで語っても構わないが ヒトの殺し合いにまで「サルの正義」を持ち込み こじつけるというのは不謹慎で無責任にも程がある

ヒトの多くは自分で責任を負いたくないという感情が働くため 責任放棄のあらゆるはぐらかしであっても情動的な「共感」によって容認してしまう習性があり 組織腐敗の責任の全てを組織幹部などのトップになすりつけ 組織を構成している大多数の個人には責任がなかったかのような「解釈」も簡単に鵜呑みにしてしまうものなのである

アドルフ:ヒトラー一人でナチス独裁政権の全てを作り出したわけではなく ナチス政権というのはそもそもドイツ国民によって民主的多数決によって承認されたものなのであり ヒトラー個人だけを批難しても プーチン個人だけを批難しても無駄で 体制そのものに共感共鳴同調迎合服従忖度し 媚びへつらい唯々諾々と従う大多数の組織を構成する個人の自律的な社会的責任判断の欠如こそが 腐敗した暴力組織が傍観放置され 結果的に暴走破綻にまで至ってしまう最も根源的原因なのである

 

多くのヒトは 生物学者や脳科学者共の支離滅裂なはぐらかしを論理客観的には理解しておらず 権威肩書の主張でさえあれば何の疑いも持たずに簡単に鵜呑みにし 主観的に安心して満足することで何も考えなくなる

自分の頭で何も考えず ただ権威の命令や主張を唯々諾々と鵜呑みにするバカの方が 封建的序列による統率協調性を発揮し 環境資源の奪い合い競争においては有利に働き 何も考えないバカの遺伝子の方が拡がりやすかった結果として ヒトは先天的にはバカなのである

 

だが 自分の先天的な頭の悪さ 認知的欠陥の存在を理解し自覚していれば バカにならずに済むのである

 

 

Ende;

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