
『与一は二尺二寸二分の鏑矢を取って弓につがえると息を入れずに引き絞った。
鏑矢は弦を放れ、海面に長い響きを残して飛ぶと扇の要から一寸ほどの上をひょう
と打ち抜いた。扇はきらりと陽に映えて高く空に舞いあがってから海に落ちた・』
(「武蔵坊弁慶」富田常雄 講談社 昭和61年1月)

平家物語で有名な屋島の合戦で、海に漂う敵方の小舟の上に立つ扇の的を見事
滋藤の弓で射貫いた下野国の武将那須与一宗隆は、この時生年十七歳であった。
その後その恩賞として全国五カ所の荘園を与えられ、地頭職を命じられた。
そのうちの一つが備中荏原の庄(現在の井原市東南部)で、与一の一族が来往し
戦国時代末期まで当地で活躍したと言う。


井原駅はこの井原線では最大規模の拠点駅で、1面2線の島式ホームが有り、
列車の行き違いが可能である。
ホームから駅舎に向かう通路は、線路とは平面交差で、そこには踏切が設け
られているのがいかにもローカル線の駅らしい。
ここには同線開通と同時に造られた特徴のある駅舎がある。

総ガラス張りの三角錐の構造物は矢を、緩やかに湾曲した建屋は弓を表わし、
与一の弓と矢をイメージしデザインされた建物である。
駅前の広場の端には、その扇の的をデザインした構造物も有るので、駅舎から
少し離れてそれを通して遠望した方がよりイメージできる。

建物の内部は天井の高い明るいスペースになっていて、売店や飲食店、特産
品の販売所などが有り、空いたスペースでは様々なイベントが開催され市民に
も開放されている。(続)
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