簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

牧ノ原台地の茶畑 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-08-12 | Weblog
 山石の敷き詰められた坂を上り詰めるとそこは初倉山だ。
石畳道が途切れたところで行幸道路に出て南東方向に辿ると、一帯は
牧之原台地と言われる平坦地で、東京ドーム1,100個分に相当する広大
な茶畑が広がっている。

 江戸幕府が倒れ明治維新を迎え、川越制度が廃止され職を失った川越
人足や、武士の立場を奪われた幕臣などが当時は荒廃地であったこの地
に入植し開拓を行った。
結果広大な開墾地は、それらの開拓者に払い下げられた。
ここには今でもその子孫が何人か住み着いて、茶業を営んでいると言う。





 そう言えば街道一の大親分と言われた清水の次郎長も、維新間もない
頃、任侠道から足を洗い、子分や囚人などを引き連れて富士の裾野の開
墾をしている。
当時この遠江や駿河国には、まだまだ未開の原野が多かったのであろう。





 この地に茶が植えられたのは、水はけは良いが石の多い弱酸性地に
適していたからだ。また時の政府が海外需要に目を付け、頻りに輸出
を進めていた背景もあったらしい。温暖で豊富な日照時間など、気象
条件の後押しも有り、結果今では日本一の茶処と言われるまでの産物
に成長した。





 高級な抹茶を生産する宇治茶の畑などでは、新芽の出る頃は一時遮光
シートで覆うと言う話を聞いたことがある。日光に当たって、テアニン
が渋み成分のカテキンに変わるのを防ぐためだそうだ。

 しかしこの地には、そのようなものは何もなく、見渡す限り一面に広
がる緑の茶畑だ。
最近の茶摘みは機械摘みが殆どで、茶木が作る畝はどこの茶畑も同じう
ねりで、それが幾重にも重なって広がる幾何学模様は、青空と良く映え
何とも美しい。(続)



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