簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

立木神社(東海道歩き旅・近江の国)

2024-05-06 | Weblog
 草津宿を後に、県道を横断し、伯母川に架かる立木橋を渡ると、その
先右手に立木神社が鎮座している。「立木明神。草津、矢倉の産土神」
と言われ、神護景雲(じんごけいうん)元(767)年創建の古社である。



 武甕槌命(たけみかづちのみこと)が常陸(ひたち)国(茨城県)の
鹿島神宮から白鹿に乗り旅に出られ、諸国を経てこの地に到着された。
境内にやたら鹿の像が多いのは、この言い伝えに因むものらしい。



 その折手にした神木の柿の木を社殿近くに刺すと、不思議にも柿の木
は生え付き、枝葉が茂り出した。

 里人は御神徳を畏み、この木を崇め神殿を建て社名を立木神社とした。
境内にご神木の柿の木が植えられているが、勿論初代で有るはずは無く、
何代目かは定かに分からないらしい。



 境内が賑わっているので、近くの白い法被姿の男性に、「何かイベン
トでも?」と尋ねると「七五三のお祝いです」と言う。
 羽織袴や晴れ着姿の子供達と、これも着飾った両親やその父母達の姿
が見られ、晴れ姿を写真に収めようと彼方此方で歓声が上がっていた。



 境内には、滋賀県で最も古いという「石造道標」がある。
「みぎハたうかいとういせミち ひたりは中せんたうをた加みち」と刻
まれているらしい。

 京都壬生村あしだの行者万宝院が、伊勢神宮と京都の愛宕神社に七年
間毎月参詣し、それを感謝し記念として延宝8(1680)年に草津追分に
建てたものがこの地に移されたという。



 写真が一枚欲しいのだが、ウォーキングの一団とかち合い、碑の回り
には人が群れている。説明が続いていて聞く人の塊が中々解けず、その
後も石碑を覗き込む人や一人一人の撮影が続く。
暫く待ったが、人が切れそうにもないので結局諦め先を急ぐことにした。(続)





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