簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

藤ノ森界隈(東海道五十七次歩き旅・山城国)

2024-12-20 | Weblog


 JR藤森駅を左に見て、その交差点を右折すると、地名が「大亀谷八島
町」と成る。上ってきた坂は、ここから先大亀谷と言う谷に向かうのか、
道は長い下り坂になっている。



 曲がるとすぐ右手に浄土宗のお寺、如意山・光厳院・西福寺がある。
手持ちの資料によると寺は、「文禄年間(1592~96)、豊臣秀吉が伏
見城築城に当たって現在の地に移し、寺名を西福寺に改めたといわれ、
教誉上人を中興開山としている」と書かれている。



 山号が示す通り、光厳天皇所縁の寺と伝えられている。
由緒ある寺らしいが、山門は固く閉ざされ、その下には鉄柵が置かれて
いて、境内を窺う窺う事は出来ず参拝も叶わなかった。



 その先寺の西側は、広大な京都教育大学のキャンパスが広がっている。
明治9(1876)年に創立の京都府師範学校が前進で、昭和24(1949)
年、新制国立大学69大学の1つとして設置された国立大学である。



 更にその西に藤森(ふじのもり)神社がある。約1800年前、神功皇
后によって創建された皇室とも所縁の深い古社、地元の産土神である。

 江戸は正徳元(1711)年の銘がある鳥居には、かつて後水尾天皇の
宸筆による扁額が掛けられ、通行する大名達も礼拝をしていたという。
ところが幕末期には、新撰組の近藤勇が「こんな悠長はしていられな
い・・・」と言って外してしまったと伝えられている。 



 神社は、菖蒲の節句発祥地としても知られている。
尚武は勝負にも通じるので、今日では勝運の神様、馬の神様として信仰
され、競馬関係者(馬主・騎手等)や競馬ファンの参拝が多いらしい。
 また境内にある二つの紫陽花苑には、沢山の紫陽花が咲き乱れ、シー
ズンともなると多くの花見客でも賑わうと言う。(続)



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コメント
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