簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

天皇の陵墓(東海道五十七次歩き旅・山城国)

2024-12-16 | Weblog


 趣のある旧道を歩き、途中七滝川に架かる谷口橋を渡って進む。
そこは「深草谷口町」で、道端に「宇多天皇皇后御陵」、「仁明天皇御
陵」、「桓武大王陵」などと彫られた石標が建てられていた。



 「仁明天皇御陵」は、「深草陵(ふかくさのみささぎ)」と呼ばれる、
宮内庁が治定する第54代天皇の陵で、ここから200m程北に入った場所
にあるようだ。第50代・桓武天皇は、平安京に遷都した天皇で、教科
書にも登場し良く知られた天皇である。



 陵墓は直線でも2㎞程南に離れた伏見桃山にある柏原陵(かしわばら
のみささぎ)とされているが、当地以外にも参考地とされる陵墓がある
らしい。
 宇多天皇は、第59代の天皇で、女御は贈皇太后(藤原胤子)の事で、
墓は小野陵がこの近くの勧修寺北大日町にあるので、その事かと思う。



 これまでに他の場所にある天皇陵を訪れた事があるが、そこは深い森
の中にひっそりと佇んでいた。
時折ハイカーが訪れるようだが、参拝する人は稀らしく、その日は人と
出会うこともなく辺りは深閑としていた。



 何れにしても、こうして街道筋に天皇陵への道標が建てられていると
いうことは、昔の人は歴代天皇をお慕いし、陵墓に崇拝に訪れる事も多
かったと言う事であろうか。
今日歴代天皇に対する尊崇の念は薄れ、御陵は観光の対象と成っている。



 久々に見る趣の或る町並の旧道を抜け、再び大岩街道に戻って来た。
そのまま100m程歩くと、前方にJR奈良線のガードが見えてくる。
その筆ケ坂橋というところで左折して、「西久宝寺町」に入る。
見えてきた道は、住宅の密集した地域を抜ける、可成りな急な坂の狭い
道である。(続)





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