日本で最初の路面電車が実用化され、営業を始めたのは京都市である。
明治28(1895)年に、琵琶湖疎水で発電する電力を引いて、七条停車
場前から伏見下油掛の間に開通した。
遅れること17年、岡山にも待望の路面電車が、岡山電気軌道(岡電)
により開通した。
明治45(1912)年5月に内山下(うちさんげ)線の岡山駅前~内山下
分岐(現在の城下交差点辺り)間(910m)である。
同時に内山下支線の内山下分岐~後楽園口間(448m)も営業を始め、
更に大正10(1921)年には、内山下分岐から後楽園口の路線は番町ま
で延伸され、番町線が開通した。
一方その後内山下線は、西大寺町まで延伸され、今日の東山線の一部
が開通した。
その2年後には、西大寺町から旭東地域の東山に至る路線が旭東線とし
て開通し、今日の東山線が全通した。
これは旭川に架かる京橋が、改修補強され、軌道敷の敷設が可能にな
ったからである。
嘗ての城下町を通る山陽道(西国街道)の土橋から近代的なコンクリー
ト橋に架け替えられ、更に拡幅工事が終わったのだ。
この京橋周辺は昔から岡山城下の主要な拠点で、川湊も設けられていて、
路面電車が接続出来た事は、市内の交通網整備には大きな意義があった。
昭和3(1928)年には、柳川から南下して大雲寺に至る柳川線が開
通する。大雲寺から更に南下して、清輝橋に至る路線が開通するのは、
昭和21(1946)年の事だ。
これにより柳川から分岐する柳川線は、名も清輝橋線と改め全通した
ことになり、旭東線、清輝橋線、番町線の3路線となった。(続)
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