簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

日本人妻・花 (東海道歩き旅・三河の国)

2021-12-15 | Weblog


 音羽川に架かる五井橋を渡ると、かつては「五井」とも呼ばれていた
「御油」である。小さな宿場で、となりの赤坂宿とは指呼の間である。
一時はこの隣り合った二つの村で、一つの宿場とした時期もあった。



 ここには「五井橋 板橋卅五間」と言われる橋が架けられていたが、
今は古びたコンクリート橋だ。
この辺り桜の名所なのか、堤には見事な桜並木が見て取れる。
その先で旧街道は御油の宿内へと入り込むとすぐ、高札場跡がある。



 御油は明治以降国鉄や国道のルートは、旧宿場町を外して建設された。
また戦災での焼失も免れ、加えてこれまでに大きな災害を蒙った事も無
かったという。
従って、嘗ては連子格子や犬矢来の有る江戸時代の面影を色濃く残す町
並が見られたらしいが、流石に今日では新しい住宅に置き換わることも
避けられなくなっているようだ。



 橋を渡るとそんな真新しい住宅地の中に「花・ベルツゆかりの地」の
案内板が立てられている。
ドイツ人医師ベルツ博士の妻・花の実家、江戸時代の旅籠、荒井熊吉の
営む「戸田屋」のあった場所だという。

 医師ベルツは明治政府の招待により来日し、東大医学部の前身東京医
学校で教鞭をとり、近代日本の医学普及に貢献した人物らしい。



 それを支えたのが、江戸は神田明神下の生まれ、旅籠の娘として育っ
た日本人妻・花で、これが国際結婚の先駆けであったそうだ。
戸田家の菩提寺である御油の西明寺には、博士の死後帰国した花が建て
たベルツの供養塔もあると言う。(続)





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