簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

義仲寺(東海道歩き旅・近江の国)

2024-06-21 | Weblog
 「馬場村にあり。此の所 木曽義仲戦死の地也 仏堂に牌あり」



 鋸の歯のようにギザギザと小刻みに折れ曲がり、木下町から西の庄を
経て馬場町に入り250m程行くと、有名な「義仲寺」が有る。
 平安時代末期、この地で死を遂げた木曽義仲を、側室であった巴御前
が供養したことに由来する寺で、境内には義仲の墓と供に、巴御前の塚
も残されている。



 正式には、「天台宗朝日山義仲寺」と言うが、創建は明らかでは無い。
近江守護の佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれている。

 一説には、義仲はこの地に葬られたがその数年後、一人の美しい尼が
草庵を結び住み着いて、その霊を弔っていた。
里人が名を問うと、「われは 名も無き女性」と答えるのみで有った。



 その為何時しか「無名庵(むみょうあん)」と呼ばれるようになった
が、後に巴御前が義仲を弔い住んだ庵と知れると、別名、巴寺とも木曽
寺とも言われるようになる。

 鎌倉後期の文献には既に現われる様になるが、今日のように「義仲寺
(ぎちゅうじ)」と呼ばれるのは、弘安の頃(1278~88)かららしい。



 有名な寺の割りには、こじんまりと小さくまとまった寺だ。
街道に面して瓦葺白壁の塀を巡らし、その中央に小さな山門を構え、脇
には一本の柳の大木が象徴的に植えられている。 
 柳の根元には、「史跡 義仲寺境内」と彫られた石柱を始め、何本も
の石柱や燈籠が立てられている。



 本堂の朝日堂(ちょうじつどう)や翁堂(おきなどう)、無名庵(む
みょうあん)、文庫などが立ち並ぶ境内全域は、昭和42(1967)年に国
の史跡に指定されていて、拝観は有料である。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 陪膳浜(東海道歩き旅・近江... | トップ | 木曽義仲と巴御前(東海道歩... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事