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横田の渡し場跡に橋は無く、今は少し下流に昭和27(1951)年の国
道1号線の開通で架けられた橋がある。
500m程川に沿って歩き、国道の泉西交差点に迂回し、そこで甲賀市か
ら湖南市に入る。
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暫く国道を歩き、朝国の交差点で左折し、橋を渡り野洲川を越える。
これが失敗であった。
先の交差点で歩道橋を渡り、それで国道を越え、更に横断歩道を渡れ
ば橋の下流側には安全な「横田橋側道橋」が設けられていた。
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それに気付かず、そのまま橋に入り込んでしまったのだが、そこに歩
行者の歩道はなく、白線で区切られた僅かな路側帯があるのみで、とて
も人が歩ける幅はない。
後ろから来る車が、直ぐ脇を可成りのスピードで追い越していく。
今更向こう側に渡りも出来ず、可成り急ぎ足で、這々の体で橋を渡る。
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渡り終えたら、本来ならここで左に折れ、横田の渡しの三雲側の常夜
灯も見ておきたいところだ。また少し上流には、昭和4(1929)年に架
けられた旧橋の橋脚部分も残されているらしい。
しかしここまで行程は遅れ気味で、先を急ぎたい。
常夜灯は車窓から一瞬見えたので良いことにする。
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橋を渡ると正面がJR草津線三雲駅だが、駅手前の三叉路で右に取るの
が東海道である。この辺りは、嘗ての伊賀領田川村の立場があった。
その角に「微妙大師萬里小路藤房卿墓所」の石碑が建っている。
側面に「住是二十二丁」と刻まれ、臨済宗妙心寺派「雲照山妙感寺」の
微妙大師の墓所を案内した石柱である。
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妙感寺のHPを調べると、「微妙大師は建武中興の元勲萬里小路(ま
でのこうじ)中納言藤原藤房卿その人で、後世、新田義貞、楠木正成と
共に建武の三忠臣と讃えられた人である。
又後醍醐天皇の側近で、元弘の乱の謀議が露見した為、天皇ともに笠
置山に脱出し、その後、出家して京都妙心寺の第二世となり、晩年は当
寺に隠棲した。」紹介されていた。(続)
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