八幡には三大偉人と称えられる人物がいる。
一人は石清水八幡宮の社僧・松花堂昭乗で、四つ切り箱の「松花堂弁当」
でも知られる人物で、当地には松花堂庭園もある。

二人目は発明王エジソンで、八幡の竹を世界に知らしめた恩人である。
三人目が世界で最も早く飛行原理を発明した二宮忠八だ。
彼は木津川の河川敷で飛行実験を計画した。

街道が奥ノ町に入ると途中に「二宮忠八飛行器工作所跡」の案内板が
立っていた。忠八は、慶應2(1866)年、愛媛県の八幡浜市で、商家の
四男として誕生している。
事業に失敗した父を12歳の時に亡くし、困窮した家計を助けるため、
様々な場所で働く傍ら、自らが考案した凧を売り、収入の足しにしてい
たと伝えられている。

この時の経験が後の「飛行器造り」の原点と成り、後にはあのライト
兄弟よりも早く、世界中で一早い「飛行原理」の発見に繋がった。
しかし、ライト兄弟の有人飛行実験成功のニュースを新聞で知ると、
快挙を逃した忠八は、制作を断念、飛行器造りから離れ製薬の仕事に移
ったと言われている。

この地は忠八がゴム動力による「玉虫型飛行器」の制作に本格的に取
りかかった工房、二宮工作所があった地であるが、残念ながら完成には
至らなかった。
生れ故郷の八幡浜とは、「八幡」繋がりで、この「八幡」の地はたい
そうなお気に入りであったと伝えられている。

飛行機の草創期に、多くの人が事故による不慮の死を遂げた事を悼み、
八幡の町中の石清水八幡宮に近い土井に私財を投じ、招魂社として「飛
行神社」を創建し、自らが神主と成り弔ったという。
大正4(1915)年の事で、今では宇宙開発や航空関係の事業者や関係
者の安全祈願参拝が多いらしい。(続)


にほんブログ村
一人は石清水八幡宮の社僧・松花堂昭乗で、四つ切り箱の「松花堂弁当」
でも知られる人物で、当地には松花堂庭園もある。

二人目は発明王エジソンで、八幡の竹を世界に知らしめた恩人である。
三人目が世界で最も早く飛行原理を発明した二宮忠八だ。
彼は木津川の河川敷で飛行実験を計画した。

街道が奥ノ町に入ると途中に「二宮忠八飛行器工作所跡」の案内板が
立っていた。忠八は、慶應2(1866)年、愛媛県の八幡浜市で、商家の
四男として誕生している。
事業に失敗した父を12歳の時に亡くし、困窮した家計を助けるため、
様々な場所で働く傍ら、自らが考案した凧を売り、収入の足しにしてい
たと伝えられている。

この時の経験が後の「飛行器造り」の原点と成り、後にはあのライト
兄弟よりも早く、世界中で一早い「飛行原理」の発見に繋がった。
しかし、ライト兄弟の有人飛行実験成功のニュースを新聞で知ると、
快挙を逃した忠八は、制作を断念、飛行器造りから離れ製薬の仕事に移
ったと言われている。

この地は忠八がゴム動力による「玉虫型飛行器」の制作に本格的に取
りかかった工房、二宮工作所があった地であるが、残念ながら完成には
至らなかった。
生れ故郷の八幡浜とは、「八幡」繋がりで、この「八幡」の地はたい
そうなお気に入りであったと伝えられている。

飛行機の草創期に、多くの人が事故による不慮の死を遂げた事を悼み、
八幡の町中の石清水八幡宮に近い土井に私財を投じ、招魂社として「飛
行神社」を創建し、自らが神主と成り弔ったという。
大正4(1915)年の事で、今では宇宙開発や航空関係の事業者や関係
者の安全祈願参拝が多いらしい。(続)



※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます