簾 満月「バスの助手席」

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二宮忠八 所縁の地(東海道五十七次歩き旅・山城国)

2025-02-26 | Weblog
 八幡には三大偉人と称えられる人物がいる。
一人は石清水八幡宮の社僧・松花堂昭乗で、四つ切り箱の「松花堂弁当」
でも知られる人物で、当地には松花堂庭園もある。



 二人目は発明王エジソンで、八幡の竹を世界に知らしめた恩人である。
三人目が世界で最も早く飛行原理を発明した二宮忠八だ。
彼は木津川の河川敷で飛行実験を計画した。



 街道が奥ノ町に入ると途中に「二宮忠八飛行器工作所跡」の案内板が
立っていた。忠八は、慶應2(1866)年、愛媛県の八幡浜市で、商家の
四男として誕生している。

 事業に失敗した父を12歳の時に亡くし、困窮した家計を助けるため、
様々な場所で働く傍ら、自らが考案した凧を売り、収入の足しにしてい
たと伝えられている。



 この時の経験が後の「飛行器造り」の原点と成り、後にはあのライト
兄弟よりも早く、世界中で一早い「飛行原理」の発見に繋がった。
 しかし、ライト兄弟の有人飛行実験成功のニュースを新聞で知ると、
快挙を逃した忠八は、制作を断念、飛行器造りから離れ製薬の仕事に移
ったと言われている。



 この地は忠八がゴム動力による「玉虫型飛行器」の制作に本格的に取
りかかった工房、二宮工作所があった地であるが、残念ながら完成には
至らなかった。

 生れ故郷の八幡浜とは、「八幡」繋がりで、この「八幡」の地はたい
そうなお気に入りであったと伝えられている。



 飛行機の草創期に、多くの人が事故による不慮の死を遂げた事を悼み、
八幡の町中の石清水八幡宮に近い土井に私財を投じ、招魂社として「飛
行神社」を創建し、自らが神主と成り弔ったという。

 大正4(1915)年の事で、今では宇宙開発や航空関係の事業者や関係
者の安全祈願参拝が多いらしい。(続)





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