2015年12月25日 山口県
柳井市(山口県)の町並み
▼JR柳井駅:山口県柳井市中央
▲柳井名物「金魚ちょうちん」
金魚ちょうちん:今からおよそ150年の昔、柳井の商人が青森のねぶたをヒントにして、子供たちのために考案したと言われています。割り竹で組んだ骨組みに和紙を貼り、印象的な赤い色は「柳井縞」の染料で色付けしています。愛嬌のあるその姿は、全国民芸品番付でも上位にランクされるなど、山口県の代表的な民芸品として成長しました。柳井観光記念のお土産として、又、インテリアとしても多くの方々から好評です。山口県観光新興課
※柳井の街は「金魚ちょうちん」で溢れている。
▼ 町並み資料館・松島詩子記念館
この建物は明治40年(1907)周防銀行本店として建築されました。当時の銀行建築として現存する数少ない建物です。1階は、柳井市町並み保存地区の町家模型を中心にして柳井市名誉市民の資料等を展示しています。
2階は、柳井市出身で昭和の歌謡史を代表する歌手故松島詩子氏ゆかりの品々を展示した記念館となっています。代表曲「マロニエの木陰」などのレコードやポスター愛用したピアノなどを見学できます。柳井市観光協会
▲古市金屋地区(重要伝統的建造物群保存地区)の入口
▲むろやの園
▲木地屋小路:この前の町角に木地屋という商家がありその屋号をとって名付けられました。木地屋は貞末という柳井の代表的な産物の木綿問屋でありました。いまこの町は金家区といっていますが、かつて本町といい柳井津町のなかでもっとも栄えた町です。
▼湘江庵
曹洞宗湘江庵の境内にある柳と井戸は、柳井の地名発祥の地です。その昔、大分の長者の娘である般若姫が、橘豊日皇子(聖徳太子の父、後の用明天皇)の后となるため、都へあがる途中、姫の喉を潤したのがこの井戸の水だといわれており、お礼に挿された楊枝が一夜にして成木になったと伝えられています。おいでませ山口へ
柳井の地名はこの寺の境内にある柳と井戸に由来すると言われている。今から約1400年前、豊後の国(大分県南部)に住んでいた満野長者の娘、般若姫は、橘豊日皇子(後の用明天皇)に迎えられて上京の途中、姫が水を求められてこの津に立寄り、ここに湧き出る清水を飲まれ、傍に柳の楊枝をさした。この柳が芽を吹いて以来、この地を「柳井」と呼ぶようになったと伝えられている。説明板より
地名の由来とたった柳と井戸。柳は五代目
日本三体の虚空蔵菩薩
虚空蔵菩薩は、限りない慈悲を現わす仏様といわれ『岩邑志』に「すべて柳井津という所には、必ず虚空蔵おわす」とあります。それは、ここ柳井津の虚空蔵と
○福島県河沼郡 柳津町の福満虚空蔵
O宮城県本吉郡津山町柳津の福智満虚空蔵
でヽこれが日本三大虚空蔵菩薩といわれています。現在鎮座の以前の仏像は、古い記録によりますと柳井か片野の常楽寺からお移ししたものだったそうです。
▼普慶寺
831年開山と伝えられる柳井地区の最古刹で、山門には一対の仁王像が立っています。銅像千手観音菩薩立像は、像高30cmの銅製鋳造で、平安時代後期の様相がうかがえます。おいでませ山口へ
▼国木田独歩旧宅
国木田独歩は、20歳から22歳(明治25-27年)の間を、この旧宅で過ごしました。ここには独歩が愛用していた机や月琴などが納められ、周囲の閑静な佇まいが今も当時の雰囲気を残しています。彼の作品『少年の悲哀』や『置土産』などは、柳井を舞台にしたものです。柳井市観光協会
▼光台寺
中国明朝様式で造られたちょっと変わった風貌の楼門です。この楼門の下で手をたたくと、ワンワン・・・と反響するので、別名「ワンワン寺」とも言われ、人々に親しまれています。近くに住んでいた散歩好きの国木田独歩は、よくこの辺りまで来ていたことから、楼門右手側に「国木田独歩曽遊の地」碑 が建っています。 柳井市観光協会
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